エルピーダメモリ改正産業活力再生特別措置法にもとづく日本政策投資銀行からの優先株300億円の受け入れ
公的資金を入れるか、市場で調達し続けるか——一般企業として第1号となった資本注入
- 概要
- 2009年6月30日、エルピーダメモリが改正産業活力再生特別措置法にもとづく事業再構築計画の認定を、一般企業として最初に受けた経営判断。日本政策投資銀行が300億円の優先株を引き受けて100億円を融資し、政府が出資額の最大8割を保証した。主要取引銀行も1000億円の協調融資に応じている。
- 背景
- 2007年後半からのDRAM価格暴落で、2009年3月期に当期純損失1789億円を計上した。有利子負債は4950億円へ膨らみ、自己資本比率は前期の46.1%から17.3%へ落ちている。エルピーダは取引行と等距離で付き合ってきたため、支援策をまとめる主力行を持たなかった。
- 内容
- 政投銀の400億円と主力行の1000億円、加えて台湾政府が準備するDRAM統括会社からの約200億円を合わせた1600億円を、有利子負債の返済と最先端設備への投資に充てる。事業再構築の期間は2012年3月末までとされ、その間に政投銀が普通株へ転換して売却するか、優先株を買い戻して支援を終える段取りであった。
- 含意
- 国が支援した理由は「DRAM産業は日本にないといけない」という産業政策の判断にあった。一方で300億円という額は、銀行にとって見限っても損失の限られる規模でもあり、坂本幸雄社長は後年これを「中途半端だった」と総括している。
300億円という額が決めたもの
「一番の失敗は300億円でリーディングバンクを政投銀にしたこと。政投銀がなければメインバンクがどこか出てきたはずだ」。坂本幸雄前社長は破綻の1年半後、支援の規模そのものを敗因に挙げた。シャープやルネサスエレクトロニクスのように1000億円規模の借入があれば、銀行は潰せなかったという見立てである。300億円は、危機を先送りするには足り、銀行を当事者にするには足りない額であった。公的資金が入ったことで、かえって民間の主力行が現れる余地が塞がれたとみることができる。
ただ、金額を大きくすれば救えたとも言い切れない。2009年の時点でDRAMは、首位のサムスン電子以外は各国の政府や銀行に支えられて生き残る産業になっていた。支援を厚くすれば、その消耗戦に長く留まる。実際、認定時に織り込まれた台湾連合は実現せず、支援の前提は初年度から崩れていた。国が「日本にDRAMを残す」と決めた時点で、残す方法までは決められていなかった——そこに、この判断の限界があったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
1年で1789億円が消えた価格下落
2007年後半からDRAM価格が崩れた。1ギガビット製品は6ドルから2008年12月に60セント割れまで下がり、業界の各社が変動費すら賄えない水準に落ちている。金融危機で資金繰りに窮した海外メーカーが損失覚悟で在庫を処分し、スポット価格に連動する大口価格まで引きずられた。2009年3月期のエルピーダは、売上高3311億円に対し営業損失1474億円、当期純損失1789億円を計上した[1][2]。
損失の大きさは、直前まで積み上げた設備の裏返しでもあった。2008年4月に生産子会社の広島エルピーダメモリを吸収合併し、2009年3月にはレックスチップとテラプローブを連結子会社にしている。総資産は7544億円から9653億円へ膨らみ、有利子負債は4950億円に達した。自己資本比率は46.1%から17.3%へ落ちている。価格が戻る前提で積んだ能力が、そのまま固定費として残った[3]。
主力行を持たない会社
資金を借りる相手にも事情があった。エルピーダは取引行と等間隔で付き合う方針を取っており、支援策をまとめる主力行を持たない。2009年に公的支援へ進んだ背景には「銀行が積極的に支援したがらなかった」という事情があったと、後に銀行関係者は語っている。DRAMという事業の見通しが銀行から評価されていなかった以上、民間だけで1600億円を組成する道は現実的ではなかった[4]。
同じ時期、競合の側でも同じことが起きていた。2009年に入ってDRAM大手の一角である独キマンダが経営破綻し、韓国のハイニックス半導体は過去に公的支援を受けて再生している。台湾でも政府がDRAM事業の統括会社を準備していた。各国が自国メーカーを支えるなかで日本だけが手を引けば、生き残った側が得る利益は国外へ渡る。国が動く理屈は、そこにあった[5]。
決断
一般企業第1号という枠組み
2009年6月30日、二階俊博経済産業大臣がエルピーダを改正産業活力再生特別措置法の第1号として認定した。日本政策投資銀行が300億円の優先株を引き受けて100億円を融資し、政府が出資額の最大8割を保証する。主要取引銀行も1000億円の協調融資に応じた。加えて台湾政府が準備するDRAM統括会社から約200億円の出資を受ける計画も、この枠組みに織り込まれている。合計1600億円を有利子負債の返済と最先端設備への投資に充てる設計であった[6]。
出口の設計もあらかじめ置かれていた。事業再構築の期間は2012年3月末までとし、その間に政投銀が優先株を普通株へ転換して市場で売却するか、エルピーダが買い戻して支援を終える。国の側の理由は明快であった。「DRAM産業は日本にないといけない。供給元が韓国勢だけになってしまうと産業界の競争力にかかわる」と、経済産業省の幹部は説明している[7]。
受け入れる側に躊躇はなかった
公的資金を受けることへの批判に、坂本幸雄社長は正面から答えている。「自分たちが生き残って、次への投資ができるということを考えるべきで、プライドのためにそれをやらないという選択肢はない」。そのうえで、エコポイントのように間接的な公的支援を受けている企業は多いと指摘し、エルピーダという固有名詞が付くから批判されやすいだけだと述べた。次世代技術への投資余力を失えば競争から振り落とされるという判断が、受け入れの理由であった[8]。
国との距離についても、坂本社長は当時これを歓迎していた。「政府、特に経済産業省が信じられないぐらいに協力的でした。日本の半導体、特にDRAMの灯を消さないことを真剣に考えて一緒に行動してくれました」。支援の枠組みには台湾4陣営との提携が織り込まれており、国の後押しを得て日台連合を組み上げるという構想が、この時点では成立するように見えていた[9]。
結果
2期の黒字と、消えた台湾連合
支援を受けた翌期から、業績はいったん戻った。2010年3月期は当期純利益31億円、2011年3月期は売上高5143億円と設立以来の最高を記録している。ただし2011年3月期の当期純利益は21億円にとどまり、有利子負債は3372億円が残った。市況の回復は損益を黒字に押し戻したものの、支援の前提であった財務の立て直しまでは届いていなかった[10]。
枠組みの一角であった台湾からの出資は、実行されないまま終わった。坂本社長は台湾6社の再編統合を構想し、2008年11月から隔週で台湾へ渡って交渉している。しかし統合案にあるメーカーの経営者が署名せず、代わりに台湾政府が出資するDRAM統括会社が設けられた。約200億円の出資は入らず、政投銀にとっては認定時の前提が崩れた形になった[11][12]。
期限と同時に来た資金需要
事業再構築の期限である2012年3月末は、資金需要の山と重なっていた。2012年1月から4月にかけて社債の償還と借入金の返済で1200億円超が必要となる一方、2011年夏からDRAM価格は再び1ドルを割り、同年4〜9月期には567億円の最終赤字を計上している。支援の期限が切れる時点で財務が立ち直っていなければ、借り換えの前提そのものが失われる設計であった[13]。
2012年2月27日、エルピーダは会社更生法の適用を申請した。公的資金は毀損し、政投銀の優先株300億円は回収されないまま終わっている。支援に関与した経済産業省の官僚がエルピーダ株のインサイダー取引で逮捕された事件も重なり、2度目の公的支援へ動く余地は残っていなかった[14]。
- 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
- 週刊東洋経済 2010年1月16日号「DRAMメーカーは将来2社しか生き残れない」
- 週刊東洋経済 2012年1月28日号「崖っぷちのエルピーダ 苦肉の救済シナリオ」
- 週刊東洋経済 2012年3月10日号「エルピーダついに倒産 支援先探しは難航必至」
- 週刊東洋経済 2013年10月19日号「エルピーダ倒産の全貌 今だからすべて語ろう」
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)