エルピーダメモリ台湾・力晶半導体との折半出資によるDRAM生産合弁レックスチップの設立
最先端の量産をなぜ広島ではなく台中に置いたか——税と用地の差が決めた生産立地
- 概要
- 2007年1月、エルピーダメモリが台湾のパワーチップ・セミコンダクター(力晶半導体)と、台中の中部サイエンスパークにDRAM生産の合弁会社レックスチップ(瑞晶半導体)を設立することで正式合意した経営判断。両社が3年間でそれぞれ年800億円を投じ、フル稼働時には300ミリウェハ換算で月産24万枚を見込んだ。
- 背景
- DRAMは微細化投資と生産量で原価が決まる装置産業で、当時のエルピーダの世界シェアは5位、力晶は7位にとどまっていた。単独では首位のサムスン電子に量で届かず、営業利益の差は10倍近くあった。加えて日本の法人実効税率40%に対し台湾は25%で、用地費も桁が違っていた。
- 内容
- 台中・中部サイエンスパーク内の総面積20ヘクタールの敷地に、両社が対等出資して生産会社を設立する。新工場で作ったDRAMは出資2社へ均等に供給され、既存工場を合わせた生産能力は月産39万枚と世界トップ級になる計画であった。用地は国からの賃貸で1ヘクタール月90万円だった。
- 含意
- 元親会社である日本電気・日立製作所に事前の相談をせずに決めた点で、資本の面でも意思決定の面でも自立が完了したことを示す判断であった。一方で、最先端の量産拠点を国外に置いたことは、日本にDRAM産業を残すという後年の公的支援の論理と緊張関係を残した。
税と用地で決まった立地が残したもの
1ヘクタール月90万円の賃貸と、1ヘクタール2億円の分譲。この差は、経営者の気概や技術の優劣で埋められる種類のものではない。坂本幸雄社長が台中を選んだ判断は、当時の条件に照らせば合理的であったとみることができる。単独では月産20万枚のサムスンに届かず、力晶と組めば39万枚に達する。日本に置けば同じ投資で作れる枚数が減る。規模で決まる産業にいる以上、立地は選べるものではなく、条件が決めるものであった。
ただ、この合理が公的支援の論理と噛み合わなかったことは、2009年以降に表面化する。国が300億円を出す理由は「日本にDRAM産業を残す」ことにあり、最先端の量産が台中にある事実とは正面から重ならない。破綻後の入札で買い手が値を付けたのが広島ではなく台湾の工場だった点は、その齟齬を最も端的に示している。企業が国を選ぶ時代に、国が企業を選び直そうとした——両者のずれが、後年の支援の中途半端さに影を落としたといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
単独では届かない生産能力
DRAMは、微細化を一世代進めるたびにウェハ1枚あたりの取り数が増え、製造原価が下がる。先に投資した会社が量産効果で値を下げ、遅れた会社が採算割れに沈む。2006年末時点のエルピーダの世界シェアは5位、力晶は7位で、2社を合わせてようやく3位級であった。首位のサムスン電子との差は量だけでなく体力にもあり、2005年度の営業利益はエルピーダ・力晶の単純合算56億円に対し、サムスンは9311億円だった[1]。
資金の取り方は2004年の上場で変わっていた。公募増資とオーバーアロットメントによる第三者割当で3185万株を発行し、資本金は406億円、資本準備金は652億円増えている。しかし調達できる額と、作れる枚数は別の問題であった。広島工場ではE300エリア2が2005年10月に量産へ入り、エリア3の増設も進んでいたが、月産20万枚規模のサムスンに単独で並ぶ見通しは立っていなかった[2]。
日本で作ることのコスト
立地の条件は、当時すでに開いていた。台湾の法人実効税率は25%で日本は40%、加えて一部の法人税が5年間免除され、投資額の5〜20%が所得控除の対象となる。研究開発費にも助成があった。用地は国からの賃貸で1ヘクタール月90万円、これに対し広島工場周辺は分譲で1ヘクタール約2億円である。日本の地方自治体が用意する工場誘致の優遇策とは規模が異なっていた[3]。
同じ時期、電子情報技術産業協会の秋草直之会長は、エルピーダの台湾合弁について問われて「国が企業を選ぶのではなく、企業が国を選ぶ時代になった。諸外国の産業政策と比べると日本の取り組みはまだ足りない」と述べている。業界団体の長が国内の産業政策の不足を認める発言であり、国外に量産を置く判断が当時の業界でどう受け止められたかを示している[4]。
決断
折半出資という組み方
2007年1月、両社は台中・中部サイエンスパーク内にDRAM生産の合弁会社を設立することで正式に合意した。総面積20ヘクタール、フル稼働する5年後には300ミリウェハ換算で月産24万枚、両社の既存工場を含めれば合計39万枚となる計画である。投資は3年間で各社年800億円、2社合計4800億円を見込んだ。新工場で作ったDRAMは、出資する2社へ均等に供給される取り決めであった[5]。
相手の選定にも理由があった。力晶の黄崇仁董事長は、アップルのパソコンをライセンス生産していた事業を打ち切られたあと、三菱電機から技術供与を受けて力晶を設立した経緯を持つ。「日本の技術はすばらしい。しかも日本企業は一度パートナーになれば決して裏切らない」と黄董事長は語っている。三菱電機のDRAM事業はすでにエルピーダへ移っており、両社は技術の系譜の上でつながっていた[6]。
元親会社に相談しないという意思表示
坂本幸雄社長は台北での会見で、この合弁を元親会社に事前に相談していないと明かした。「エルピーダと力晶はこれまで親戚だったが、これからは家族」。当時の出資比率は日立製作所が11%、日本電気が8%強まで下がっており、事業の重要な決定を2社の了解なしに進められる状態になっていた。2002年の社長就任時に掲げた自立という方針が、資本と意思決定の両面で形になった場面であった[7]。
相手の側も、この合弁を日本の産業政策への異議として受け止めていた。黄崇仁董事長は「日本の経済産業省は、今回の合弁に不快感を抱いているだろう。だが経産省がエルピーダに影響を及ぼすことはもう不可能だ」と語り、税負担と生産コストを考えれば日本企業が国内工場を断念するのは自然だと述べている。国外での合弁が唯一の生存手段だという見方を、両社は共有していた[8]。
結果
立ち上がりと価格暴落の重なり
合意した年度の業績は、設立以来の最高となった。2007年3月期の売上高は4900億円、営業利益684億円、当期純利益529億円。自己資本比率は49.7%まで上がっている。ところが2007年後半からDRAM価格が崩れ、1ギガビット製品は6ドルから2008年12月に60セント割れまで落ちた。台中の工場が立ち上がる時期と、市況の底が重なった[9][10]。
2009年3月、エルピーダはレックスチップを連結子会社にした。生産能力は計画どおり積み上がった一方で、総資産は7544億円から9653億円へ膨らみ、自己資本比率は46.1%から17.3%へ落ちている。規模を取りにいった投資が、価格の下がり切った時期に貸借対照表へ重く乗った。同じ期の当期純損失は1789億円で、この年の資金繰りが翌年の公的支援につながった[11][12]。
会社が消えたあとに残った工場
2012年2月にエルピーダが会社更生法の適用を申請したあと、支援企業を選ぶ入札で東芝が関心を示したのは、広島工場ではなく台湾のレックスチップだった。「広島にはまったく興味を感じていない」と東芝首脳は語っている。エルピーダ自身も破綻前から、為替の影響を除いても台湾のほうが広島より生産効率は高いと説明していた。台中に置いた工場は、会社が消えたあとも買い手が値を付ける資産として残った[13]。
台湾との結びつきは合弁だけにとどまらなかった。2010年12月には合弁で設立したテラプローブが東京証券取引所マザーズ市場へ上場して持分法適用関連会社に移り、2011年2月にはエルピーダ自身が台湾証券取引所へ台湾預託証券を上場している。破綻の1年前まで、この会社は台湾の資本市場からも資金を取ろうとしていた。国外に置いたのは工場だけではなかった[14]。
- 週刊東洋経済 2007年1月13日号「なるか打倒サムスン エルピーダ“台湾工場”の全貌」
- 週刊東洋経済 2009年7月11日号「公的資金の出資第1号 エルピーダ救済の成否」
- 週刊東洋経済 2012年4月21日号「広島工場は救われるのか エルピーダ争奪戦」
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2006年3月期)
- エルピーダメモリ 有価証券報告書(2011年3月期)