飯野海運カタール・インドネシアのLNGプロジェクト参画によるLNG輸送への進出
市況で稼ぐか、20年契約で稼ぐか——中堅船社がLNG船に持分で乗った理由
- 概要
- 1993年、飯野海運はカタールのLNGプロジェクトに参画し、1996年から2000年にかけて竣工するLNG船10隻の共有船主となった。実際の輸送は1994年のインドネシア・バダックIVプロジェクトで共有したLNG VESTAから始まった。
- 背景
- オイルショック後の原油タンカー市況は低迷が続き、1980年代の飯野海運は売上を伸ばしても経常利益が1桁億円にとどまる期があった。1979年以降のケミカルタンカーで、荷主との長期契約で稼ぐ商売を先に身につけていた。
- 内容
- LNG船は建造費が大きく、20年単位の長期契約とセットで運航される。飯野海運は船を単独で抱えるのではなく共有持分で参画し、その後カタールガスI、ラスガスIIIなどに大手3社・三井物産とともに加わった。
- 含意
- 運賃市況の上下ではなく契約期間で稼ぐ船種を手に入れ、のちのガス船中心の事業構成につながった。2003年には自主運航のLNG船も持ったが、2025年時点の経営はLNG船の再開を課題として掲げている。
時間の長さを買った投資
LNG輸送への参画は、船種を1つ増やした話にとどまらない。運賃市況で数カ月ごとに損益が変わる原油タンカーに対し、LNG船は契約が20年単位で続く。飯野海運が1993年に選んだのは、収益の大きさよりも収益の続く時間であったとみることができる。10隻を単独で抱えず共有持分で乗った形も、資本の規模に見合う範囲で長期契約に加わる工夫であったといえる。
ただし、長期契約の事業は、契約が切れたあとに何を積むかという問いを必ず連れてくる。同社のLNG船はいったん手元を離れ、2025年の経営はその再開を検討する課題として掲げている。一方でアンモニアやエタンといった次の貨物では、世界初の運搬船を先に持つ側に回った。何を運ぶ会社であり続けるのか——1993年の参画は、その問いに船種の選択で答え続ける経営の型を示しているとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
市況で稼ぐ船と、契約で稼ぐ船
1970年代後半から1980年代前半の飯野海運は、売上の割に利益の薄い期を重ねた。単体の売上高は1979年3月期に279億円、1984年3月期に470億円へ伸びる一方、経常利益はそれぞれ1億円、3億円にとどまっている。2度のオイルショックを経た原油タンカーの運賃市況が戻らず、船を増やしても収益に結びつかない状態が続いた。1985年3月期も売上高433億円に対して経常利益は13億円で、売上の規模と利益の水準は釣り合っていない[1]。
この時期に手をつけたのがケミカルタンカーであった。1979年にESPOIRの傭船を始め、1985年にはサウディ基礎産業公社(SABIC)と中東積み・極東向け石油化学製品の数量輸送契約を結び、1989年のLODESTAR ACE竣工で自主運航を本格化させた。積み荷を決めた数量輸送契約は、荷主との関係と運用の巧拙が収益を左右する商売で、大口の運賃市況に業績を預ける原油タンカーとは性格が異なる[2]。
日本向けエネルギー輸送という市場
大型の投資に踏み込む前に、資本の側も厚くしている。1986年12月に有償第三者割当増資を実施して資本金を78億円とし、1990年3月には有償株主割当増資で107億円へ積み増した。バブル期の資金調達環境を使って自己資本を増やしたうえで、1990年代の船隊投資に向かう段取りであった[3]。
狙う先は、日本向けのエネルギー輸送であった。LNG船に代表される日本向けエネルギー輸送や原料炭・鉄鉱石輸送、自動車専用船の市場は、コンテナ船や不定期船と違って海外勢に開かれておらず、荷主も電力・ガス各社や石油元売りに限られる。飯野海運の荷主には東京ガスや電力各社、出光、新日本石油が並んでいた。既存の荷主との関係を、そのまま次の船種へ持ち込める位置にあった。国際市場でコンテナ船や不定期船が価格競争にさらされるのとは対照的に、この分野では長期契約が船主の収益を支える[4]。
決断
10隻の共有船主としてカタールに乗る
1993年、飯野海運はカタールのLNGプロジェクトへ参画した。公式の沿革は「カタールLNGプロジェクトに参画 LNG船10隻(1996年~2000年竣工)の共有船主となる[5]」と記録している。参画を決めた年から最初の船が就航するまでに3年、10隻がそろうまでに7年を要する取引で、契約から回収までの時間の長さがこの事業の性格を表している。
参画の形は、船を単独で持つのではなく共有船主として持分を取るものであった。LNG船は1隻あたりの建造費が大きく、のちに飯野海運が自前で1隻を建造した際の投資額は200億円弱にのぼる。資本金107億円の中堅船社が10隻を単独で抱えることはできない。持分で複数船に分けて乗ることで、1隻あたりの負担を抑えつつ長期契約の収益に加わる道を選んだ[6]。
輸送の実務はインドネシアから始まった
実際にLNGを運び始めたのは、カタールの船が就航する前であった。飯野海運がLNG輸送を最初に手掛けたのは1994年で、インドネシア・バダックIVプロジェクトのLNG VESTAを共有する形で参加している。中東と東南アジアの2つの産地に、ほぼ同時期に足がかりを置いたことになる[7]。
その後もカタールガスI、ラスガスIIIといったプロジェクトに参画を重ね、海運大手3社と三井物産とともに、日本側の船主グループの一角を占めた。定期航路を手放して30年、規模では大手に及ばない独立系の船社が、国家規模のエネルギープロジェクトで大手と同じ座に着いた。ケミカルタンカーで積み上げた長期契約の運用経験が、参画の前提として働いた[8]。
結果
持分から自主運航へ、膨らむ投資
参画から10年後の2003年9月、グループ初の自主運航LNG船となるSK SUNRISE(68,415重量トン)が竣工した。荷主は韓国のSKで、他社の船に持分で乗る立場から、自ら船を持ち運航まで担う立場へ移った。2005年には国内で2隻目となる内航LNG船NORTH PIONEERも竣工し、外航・内航の両方でLNGを扱う体制が整った。同じ時期、1999年には規制に先立ってグループ初のダブルハルタンカー隆邦丸を竣工させ、2002年にはサウジアラビアのメタノール製造プロジェクトにも参画している[9][10][11]。
投資の負担は小さくなかった。2003年時点で有利子負債は870億円あり、LNG船とメタノール船2隻、さらに汐留の超高層ビル230億円を加えるとピークで1,110億円に膨らむ計画であった。ちょうど香港の海運資本が同社株を買い集めていた時期と重なり、規模に対して大胆な投資が買収の関心を呼ぶ材料にもなりかねない状況にあった。それでもLNG船は一級の荷主を後ろ盾とする案件として進められた[12]。
ガス船が主力になるまで
LNGで得た長期契約型の経験は、その後のガス船全体へ広がった。2022年2月にはLPG二元燃料主機関を積んだ大型ガス船CALLUNA GAS(49,943重量トン)が、2024年2月には世界初のアンモニア運搬船GAS INNOVATOR(17,945重量トン)が竣工している。その前段として、2019年12月にはメタノール二元燃料船CREOLE SUN(49,760重量トン)が竣工している。大谷祐介社長は2024年6月、ガス船を主力事業に育てる方針を掲げ、同月にガス船第二部を新設して中小型ガス船事業を広げると述べた[13][14][15]。
業績の面では、2024年3月期の連結経常利益218億円が過去最高となり、大谷社長もこの水準をVLGC市況の高騰とケミカル船市況の反動安が小幅にとどまった結果として説明している。もっとも、LNG船そのものは同社の手元を離れており、2025年11月に大谷社長は「ガス船は何でも取り組む。LNG船の再開を希望し、エタン船拡張やアンモニア輸送なども関心領域だ」[19]と語った。1993年に持分で乗った船種は、30年を経て再び参入を検討する対象になっている。2023年3月期に売上高1,413億円・経常利益209億円を計上した会社が、次に運ぶ貨物を選び直す段階にある[16][17][18]。
- 飯野海運 公式サイト「社史」(https://www.iino.co.jp/kaiun/company/history_1991.html)
- 飯野海運 有価証券報告書【沿革】
- 飯野海運 有価証券報告書(2023年3月期・連結)
- 飯野海運 有価証券報告書(2024年3月期・連結)
- 会社年鑑(飯野海運 単体業績)
- 週刊東洋経済 2003年2月8日号「狙われた優等生・飯野海運 香港華僑が『海運』を喰う!」
- 日本海事新聞(2013年6月4日)「【LNG輸送 邦船4社に聞く】(4)飯野海運取締役常務執行役員・近光護氏/管理船拡大へ船員育成強化」
- 日本海事新聞(2024年6月4日)「【海運トップに聞く 24年度の舵取り】(2)飯野海運社長・大谷祐介氏、ガス船を主力事業に」
- 海事プレスONLINE(2025年11月)「中計概ね達成へ、ガス船で成果 飯野海運・大谷祐介社長に聞く」