カタールLNGに参画(1993年・飯野海運の決断) 更新:2026/07/22 論点 原油タンカーに加えLNG輸送へ進出するか インドネシアを含む複数プロジェクトへの参画による、液化天然ガス輸送への進出 何をなぜ決めたか:インドネシアを含む複数プロジェクトへの参画による、液化天然ガス輸送への進出 概要 1993年、飯野海運はカタールのLNGプロジェクトに参画し、1996年から2000年にかけて竣工するLNG船10隻の共有船主となった。実際の輸送は1994年のインドネシア・バダックIVプロジェクトで共有したLNG VESTAから始まった。 背景 オイルショック後の原油タンカー市況は低迷が続き、1980年代の飯野海運は売上を伸ばしても経常利益が1桁億円にとどまる期があった。1979年以降のケミカルタンカーで、荷主との長期契約で稼ぐ商売を先に身につけていた。 内容 LNG船は建造費が大きく、20年単位の長期契約とセットで運航される。飯野海運は船を単独で抱えるのではなく共有持分で参画し、その後カタールガスI、ラスガスIIIなどに大手3社・三井物産とともに加わった。 含意 運賃市況の上下ではなく契約期間で稼ぐ船種を獲得し、のちのガス船中心の事業構成につながった。2003年には自主運航のLNG船も持ったが、2025年時点の経営はLNG船の再開を課題として掲げている。 いつ何が起きたか 6件 考察:時間の長さを買った投資 考察 考察:時間の長さを買った投資 LNG輸送への参画は、船種を1つ増やした話にとどまらない。運賃市況で数カ月ごとに損益が変わる原油タンカーに対し、LNG船は契約が20年単位で続く。飯野海運が1993年に選んだのは、収益の大きさよりも収益の続く時間であったと思われる。10隻を単独で抱えず共有持分で乗った形も、資本の規模に見合う範囲で長期契約に加わる工夫であったといえる。 ただし、長期契約の事業は、契約が切れたあとに何を積むかという問いを必ず連れてくる。同社のLNG船はいったん手元を離れ、2025年の経営はその再開を検討する課題として掲げている。一方でアンモニアやエタンといった次の貨物では、世界初の運搬船を先に持つ側に回った。何を運ぶ会社であり続けるのか——1993年の参画は、その問いに船種の選択で答え続ける経営の型を示しているのだろう。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 概況 参考文献 参考文献 参考飯野海運 公式サイト「社史」(https://www.iino.co.jp/kaiun/company/history_1991.html)飯野海運 有価証券報告書【沿革】飯野海運 有価証券報告書(2023年3月期・連結)飯野海運 有価証券報告書(2024年3月期・連結)会社年鑑(飯野海運 単体業績) 次に読む決断 飯野海運の意思決定1955年飯野海運飯野海運千代田土地建物を買収一社を丸ごと取り込むかたちで踏み出した不動産事業への進出1955年1964年飯野海運飯野海運川崎汽船へ定期航路を移管海運集約での定期航路部門の譲渡とタンカー専業体制への転換1964年同じ問い:隣接領域への設備投資1994年第二電電第二電電PHS事業への参入地域別9社によるポケット電話会社の設立1994年1991年三菱化学三菱化学バーベイタムの買収光磁気ディスクの量産設備の新設と米国の記録メディア大手の取り込み1991年1991年東京製鐵東京製鐵岡山工場で熱延帯鋼へ参入高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入1991年1996年ニップンニップン冷凍食品のニップン冷食への分社化専業子会社での製造と、工場用地・新工場・販売の本体での保持1996年1990年サンリオサンリオサンリオピューロランド建設物販の会社による616億円の固定資産を抱えるテーマパーク運営1990年 × 出所