三菱化学光磁気ディスク量産設備の新設と米バーベイタムの買収
素材で稼ぐか、最終製品で稼ぐか——記録メディアの規格寿命と、化学会社の投資回収
- 概要
- 三菱化成が1990年5月に米フロッピーディスク大手バーベイタムを約400億円(推定)で買収し、翌6月には水島工場に60億円を投じた年産120万枚の光磁気ディスク量産設備を完成させた投資判断。記録メディアを情報電子事業の柱に育てる計画のもとで、製造設備と販売網を一体で押さえにいった。
- 背景
- 石油化学とアルミの整理を終えた三菱化成工業は、1985年の時点で機能製品の構成比を1990年までに35%へ高める方針を掲げ、うち8%を情報電子に割り当てていた。有機光半導体や印刷版材、フロッピーディスクで蓄えた「塗る技術、膜を作る技術」を、記録メディアという最終製品へ持ち込む構えであった。
- 内容
- 水島工場の設備は当時世界最大規模で、買収によってフロッピーディスクの世界シェア約15%と「データライフ」ブランド、世界に広がる販売網が加わった。情報電子事業本部の売上高を1996年3月期に2000億円へ伸ばし、その半分を記憶メディアで稼ぐ数値目標が置かれた。
- 含意
- 売上規模は1998年3月期に2060億円へ届いた一方、部門の営業利益は44億円にとどまった。1995年以降のフロッピーからCD-ROMへの需要転換でバーベイタムは赤字に沈み、2002年3月期には株式評価損350億円を計上。記録メディアは撤退を検討する対象へ変わった。
素材の時間と、メディアの時間
塗る技術と膜を作る技術を最終製品まで持ち上げる——1985年に宮部義一常務が自社の強みとして挙げた蓄積は、光磁気ディスクの主材料である高機能樹脂・金属薄膜・レジストにそのまま重なっていた。国内40社近い参入表明のうち化学各社が競って名乗りを上げたのも同じ読みによるもので、水島の量産設備と販売網の買収を同時に打った三菱化成の手は、当時の方針としては筋が通っていた。誤算は、商品そのものの寿命の短さにあった。
400億円で買ったバーベイタムの世界シェア15%は、フロッピーディスクという規格ごと価値を失い、2002年3月期には評価損350億円として落とされた。設備は10年単位で回収するのに、フロッピーからCD-ROM、さらにCD-Rへと規格が入れ替わる周期のほうが短い。ソニーの金田嘉行常務は、この事業を「遠目には美しいが、近寄って手中にするのは難しい」と言い表していた。躓いた理由は技術の水準ではなく、素材の設備投資の作法をそのまま持ち込んだ点にある。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
機能製品へ ── 素材メーカーの転換方針
1985年5月、三菱化成工業の常務取締役財務部長であった宮部義一氏は、日本証券アナリスト協会の企業分析部会で自社の転換方針を語った。年商約8,000億円の8割を石油化学・コークス・肥料が占める構成を改め、機能製品の比率を1990年までに35%へ引き上げる。内訳は高機能材料および加工分野が17%、バイオ・インダストリーが10%、情報電子が8%という配分だった。研究開発の負担はすでに重く、年間の試験研究費約270億円は経常利益約300億円と並ぶ水準に達していた[1][2]。
情報電子と呼ばれた事業群は、素材の延長線上にあった。電子複写機の心臓部に使う有機光半導体(OPC)で三菱化成工業は国内首位のシェアを占め、印刷用の版材では感光液を塗ったアルミ板を朝日新聞へ納めていた。磁気メディアではフロッピーディスクを手がけ、リジッドディスクの生産も直江津工場で始めている。宮部氏は自社の強みを、基礎技術の厚さに加えて「情報電子材料関係で塗る技術、膜を作る技術も身につけ」た点に求めた[3][4]。
化学各社が殺到した光磁気ディスク
光磁気ディスクは1988年に製品化されたばかりの記録メディアで、フロッピーディスク数百枚分の容量を持ち、一度書き込んだ情報を消して何度でも書き換えられた。主材料はポリカーボネートなどの高機能樹脂、磁性層を形成する金属薄膜、ミクロン単位の微細加工に要るレジストであり、化学会社の先端材料と加工技術がそのまま製品になる。参入を表明した企業は電機・化学を中心に国内だけで40社近くに上り、化学業界は大手の大半が何らかの形で名乗りを上げた[5]。
ところが需要は追いついていなかった。1990年の光磁気ディスクの市場規模は業界推定で30万〜40万枚にとどまる一方、量産開始を宣言する会社が相次ぎ、見かけ上の生産能力は実需の10倍以上に膨らんでいた。米デュポンはフィリップスとの合弁から撤退し、ダイセル化学工業と住友化学工業は単独での事業化を見直して住友金属鉱山との3社出資でオプティカル・ストレージを設けている。同社の島津彰社長は「数十社が参入といっても実際に商業生産にこぎ着けるのはせいぜい両手。利益を出せるところは片手に収まる」と予測した[6]。
決断
水島の量産設備と、バーベイタムの買収
1990年6月、三菱化成は岡山県の水島工場に60億円を投じ、年産能力120万枚という世界最大規模の光磁気ディスク製造設備を完成させ、本格的な商業生産に入った。その直前の5月には、米イーストマン・コダックが全額出資していたフロッピーディスクメーカー、バーベイタムを約400億円(推定)で買収している。世界中に広がる同社の製造拠点と販売網、そして「データライフ」のブランドが、設備の稼働と同じ時期に手元へ入った[7]。
買収によって三菱化成はフロッピーディスクの世界シェア約15%を押さえ、米3Mと首位を争う位置に立った。1985年に参入したコンピューター用ハードディスクでも年産800万枚の体制を敷き、世界シェア約16%で米コマッグに次ぐ2番手につけている。情報電子事業本部長の福谷秀夫常務は「うちの技術力とバーベイタム社の販売力とを合わせた相乗効果で、光磁気ディスクでも一気にトップグループ入りを狙う」と述べ、これを基本戦略に据えた[8][9]。
グローバル・テン計画のなかの記憶メディア
水島の設備投資とバーベイタムの買収は、全社の長期計画に組み込まれていた。1990年暮れの長期経営計画発表の席上、古川昌彦社長は「2000年には連結売上高150億ドル(約2兆円)。世界の化学会社の中で上位10位以内に入ることを目指す」とグローバル・テン計画を掲げた。1990年3月期の連結売上高は1兆1544億円で、世界の化学会社では14位である。これを10年で2倍にする原動力に、情報・電子材料、ライフサイエンス・医薬品、新素材からなる機能商品が置かれ、売上高に占める比率3割を2000年に50%へ引き上げる目標が示された[10]。
記憶メディアに課された数字は具体的だった。情報電子事業本部の売上高は1991年3月期で約1000億円の見込みであり、これを5年後の1996年3月期に2000億円へ伸ばし、「その半分を光磁気ディスクなどの記憶メディア部門で稼ぐ」(福谷常務)計画である。同じ時期にIBMが3.5インチの光磁気ディスク装置を出荷し、三菱化成はソニーと並んでOEM供給するとみられていた。福谷常務がライバルに挙げたのも同業の化学会社ではなく、ソニー、日立マクセル、3Mであった[11][12]。
迎え撃つ側の見方は冷ややかだった。ソニーで記録メディア事業を担当する金田嘉行常務は、光磁気ディスクを「レインボービジネス。遠目には美しいが、近寄って手中にするのは難しい」と評し、化学会社の過熱ぶりを牽制している。ビデオテープやフロッピーディスクが示すように、磁気メディアの競争は激しく、規模を確保できなければ研究開発投資を回収できない。三菱化成は、素材の技術だけでは勝敗が決まらない市場へ踏み込んだ[13]。
結果
売上規模には届き、利益には届かず
1994年10月に三菱油化と合併して三菱化学となった同社は、1998年、日本企業としては異例の部門別収益をアナリスト向けに公表した。連結売上高1兆7334億円・営業利益403億円のうち、情報電子部門は売上高2060億円・営業利益44億円である。1991年に描いた「1996年3月期に2000億円」という売上規模には到達した一方、営業利益率は2%にとどまり、機能商品の稼ぎ手としては薄かった。公表の狙いは、石油化学中心の収益構造からの転換を市場に評価してもらう点に置かれていた[14][15]。
買収した会社の側は、より厳しい結果になった。1995年以降、記録メディアの需要はフロッピーディスクからCD-ROMへ移り、バーベイタムの業績は悪化して多額の赤字を計上する。三菱化学は2002年3月期に、同社株を全株保有する米子会社の株式評価損350億円を計上し、単独の最終損益が赤字へ転じた。週刊東洋経済の企業レポートは、情報電子事業の不振の「病根」を1990年の買収そのものに遡らせている[16]。
撤退を検討する事業へ
赤字の源は記録メディアに集まった。CD-RやCD-RWといった光ディスク、そしてハードディスクは、アジア勢との価格競争にさらされたうえ、メディアの変化サイクルが短くなり、研究開発と設備投資を回収できるだけの利益を上げられなくなっていた。三菱化学がハードディスクの国内生産をやめてシンガポールへ集約し、光ディスクを三菱化学メディアへ移管して台湾メーカーなどへ生産を委託したのは、2001年に入ってからである[17]。
2002年2月の時点で、記録メディアを含む情報電子部門は今期売上高1780億円・営業利益50億円を見込んでいた。前期の33億円の赤字からは好転したものの、水準は低い。情報電子カンパニー執行役員企画管理部長の原山博志氏は「全体の三分の一が赤字に陥っている。ここが黒字になったり赤字になったりと振れ幅が大きい」と述べている。同記事は、記録メディア事業について撤退を真剣に検討すべき時期に来ていると結論づけた[18]。
- 証券アナリストジャーナル 1985年6月号「三菱化成工業 先端分野へ積極進出」(宮部義一 常務取締役財務部長、日本証券アナリスト協会企業分析部会 1985年5月10日 講演要旨)
- 日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」
- 日経ビジネス 1998年7月6日号「株価回復へ情報開示に賭ける三菱化学 異例の事業ごとの収益公表、リストラの成果アピール」
- 週刊東洋経済 2002年2月2日号「[企業レポート]経営分析 三菱化学 脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」