1897年6月、初代社長の渡辺祐策氏ら宇部の地元有志[1]が資本金4.5万円を出し合[2]い、匿名組合『沖ノ山炭鉱』を設立した[3][4]。中央財界からかけ離れた辺地ゆえ地元有志で資金を賄うほかなく、出資者[5]は応分の出資に加えて自らも労役を提供した。出資者と従業員と地域住民がほぼ重なる共同経営の体裁で、瀬戸内海の海底炭田の採掘から事業が始まった。明治末から戦前にかけて宇部周辺では沖ノ山・東見初・本山・山陽無煙・長澤・西沖ノ山の6炭鉱が稼働し、1949年時点で従業員約12,000名を石炭部門[6]が抱える地域最大の炭鉱会社へ育った。宇部の企業は宇部人のためにあり、宇部人の利益に奉仕すべきだという大原則が、組合員=出資者=従業員という構造から自然に生まれた。
創業者の渡辺祐策氏は炭鉱の好況期から将来の枯渇を口にしていた。現在ある石炭の恩恵を一時代の宇部の人が独占せず、石炭の恩恵を将来の工業へ転化し、石炭が消滅しても無限[7]の工業を残すことで子々孫々まで生活を豊かにしうるようにする、というのが渡辺氏の理念であった。この『有限の石炭から無限の工業へ』[引用元]という言葉は、創業者が炭鉱の創設にあたり掲げた発想を一文に縮めて伝えている。中安閑一氏も後年、経営理念を問われて『限りある石炭から無限の事業を起こして子孫に伝える』[引用元]と整理しており、枯れる前に次を仕込む発想が企業理念そのものへと引き上げられた。石炭そのものを売るのではなく、石炭を原料・燃料として加工産業へ転じさせる発想は、のちの多角化の骨格を早くから規定し、宇部発祥の産業群を下支えする共通の基盤にもなった。
渡辺祐策氏の考えは具体的な会社設立として形をとった。1914年1月に炭鉱機械を内製する宇部新川鉄工所[8]、1923年9月に石灰石と石炭採掘で出る良質の粘土を生かす宇部セメント製造[9]、1933年4月にアンモニアを軸とする宇部窒素工業を[10]、いずれも宇部の地元出資で立ち上げた。宇部窒素では、従来コークスから水性ガスを得ていた硫安製造を改め、石炭[11]から直接水素をとるわが国最初の石炭ガス化による方法を採った。石炭の副産物や港湾立地を生かす形で、機械・セメント・化学の3領域を10〜20年刻みで仕込んでいく段取りだった。それぞれが独立した宇部発祥企業として並走する体制は、戦時統合の圧力に対する備えとしても機能し、9年後に宇部発祥4社の自己統合として合併する下地にもなった。
1942年3月、政府が同業他社との企業合同を進める中で、宇部興産は沖ノ山炭鉱・宇部新川鉄工所・宇部セメント製造・宇部窒素工業の4社合併で発足した[12]。4社はいずれも役員を共通にし同一立地で有機的[13]につながっていたため、外部資本との統合ではなく宇部発祥4社の自己統合という形を選び、地域共同経営の原型を維持した。1944年6月には日本鉱業山陽無煙鉱業所を買収し、無煙炭部門に進出[14]した。1949年5月に東京証券取引所に上場し[15]、1950年4月期の売上高構成は石炭3.0億円・硫安2.5[16]億円・セメント0.8億円となっていた。石炭が依然主力ではあったが、3本目・4本目の柱がすでに収益を生み始めていた。従業員の内訳は石炭部門約12,000名に対し肥料部門約4,000名・セメント部門約1,000名・機械部門約800名で、人員構成は炭鉱会社のままである。
1951年1月に中央研究所を開設し[17]、1955年12月には宇部カプロラクタム工場を新設してナイロン原料の量産[18]に踏み込んだ。販売先は日本レイヨンで[19]、合成繊維市場の立ち上がりに合わせた参入だった。エネルギー革命で国内炭鉱の採算が悪化するなか、宇部興産はカプロラクタム・アンモニアという量産化学品を、石炭事業の縮小と並行して立ち上げる段取りを選んだ。枯れていく祖業から出る利益を、次の主力となる化学量産品へ振り向ける計画が、中央研究所開設からわずか4年で量産工場として実体化した。研究所・プラント・販売先の3つを同時に手当てしたのは、合成繊維ブームに後れを取らないための速度優先の判断だった。
石炭撤退は社内の反対を抱えながら進んだ。水野一夫氏は『主力炭鉱だった宇部の沖ノ山炭鉱は鉱脈が薄くなり、採算が急速に悪化し始めた』[引用元]『現場の坑夫と本社のスタッフとが一緒になり常磐炭田に進出しようと社内で運動し始めた』[引用元](日経ビジネス 1984/5/7)と振り返っている。経営陣は石炭の将来性を見限っていたが、現場の声に押されて常磐炭田への進出を決めた。出水多発で投資は失敗し[20]、化学部門への投資を一時的に圧迫した。水野一夫氏は『転換期には往々にして両者(注:企業と社員)の間にズレが生じる』[引用元](日経ビジネス 1984/5/7)とも語っている。1957年から石炭部門の約7,000名を多角化事業に配置転換し[21]、撤退と同時に化学・セメント・機械への再配置を行った点が、他の財閥系炭鉱会社との違いになった。1967年10月に宇部鉱業所を閉鎖し[22]、1970年代までに石炭事業の従事者数はゼロとなった[23]。
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|---|---|---|---|---|
| 1897〜1956年石炭が枯れる前に仕込まれた機械・セメント・化学 | 沖ノ山炭鉱を匿名組合として設立 | ★★ | ||
| 宇部新川鉄工所を設立 | ★ | |||
| 宇部セメント製造を設立 | ★★ | |||
| 宇部窒素工業を設立 | ★★ | |||
| 俵田明 | 4社合併で宇部興産を設立 | ★★ | ||
| 俵田明 | 東京証券取引所に上場 | ★ | ||
| 俵田明 | 中央研究所を新設 | ★ | ||
| 俵田明 | 宇部カプロラクタム工場を新設 | ★★ | ||
| 1957〜2001年セメントと化学量産で拡大した総合素材企業 | 中安閑一 | 祖業・石炭鉱業からの撤退と石炭部門約7,000名の配置転換 1957年から1967年にかけて、宇部興産がエネルギー革命で採算を失った祖業の石炭鉱業から段階的に撤退し、石炭部門の約7,000名を化学・セメント・機械の多角化事業へ配置転換した経営判断。中安閑一社長のもと、大量解雇ではなく人員の再配置を伴って炭鉱を畳み、1967年10月に70年の歴史をもつ宇部鉱業所を閉山した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 中安閑一 | 7,000名の配置転換を断行 | ★★ | ||
| 中安閑一 | NY・デュッセルドルフ駐在員事務所を開設 | ★ | ||
| 中安閑一 | 千葉石油化学工場を新設 | ★ | ||
| 中安閑一 | 堺工場を新設 | ★ | ||
| 中安閑一 | 高分子研究所を新設 | ★ | ||
| 中安閑一 | 宇部アンモニア工業を設立 | ★ | ||
| 清水保夫 | 145千KW石炭専焼自家発電所が完成 | ★ | ||
| 長広真臣 | Productos Quimicos del Mediterraneo S.A.の経営権を獲得 | ★ | ||
| 長広真臣 | カプロラクタムの量産化と、スペイン・タイ現地生産によるナイロン原料の世界供給網の構築 1955年12月に宇部カプロラクタム工場を新設して6ナイロン原料の量産に踏み込み、1994年のスペイン取得と1997年のタイ一貫生産で宇部・スペイン・タイの三極供給網を築いて、カプロラクタムで世界3位の規模へ至った量産化学品の世界展開。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 長広真臣 | 創業100周年 | ★ | ||
| 常見和正 | 宇部三菱セメントを設立 | ★★ | ||
| 常見和正 | 宇部興産機械を設立 | ★ | ||
| 2002〜2024年祖業セメントの切り離しと商号UBE化への転換 | 常見和正 | 宇部日東化成を株式交換で完全子会社化 | ★ | |
| 常見和正 | 宇部丸善ポリエチレンを設立 | ★ | ||
| 田村浩章 | 田村浩章が代表取締役社長に就任(FY08) | ★ | ||
| 田村浩章 | タイ拠点2社を合併しUBE Chemicals (Asia)を設立 | ★ | ||
| 竹下道夫 | 竹下道夫が代表取締役社長に就任(FY10) | ★ | ||
| 竹下道夫 | 山本謙が代表取締役社長に就任(FY14) | ★ | ||
| 山本謙 | 子会社2社を合併しUBE CORPORATION EUROPE体制に集約 | ★ | ||
| 泉原雅人 | 泉原雅人が代表取締役社長に就任(FY18) | ★ | ||
| 泉原雅人 | 商号をUBEに変更 | ★ | ||
| 泉原雅人 | 祖業セメントの連結除外と商号「宇部興産→UBE」への同時転換 2022年4月、宇部興産がセメント関連事業をUBE三菱セメントへ承継して持分法適用会社とし連結から外すと同時に、80年使った商号を『宇部興産』から『UBE』へ変更し、東証プライム市場へ移行した経営判断。泉原雅人社長のもとで、市況に振れる総合素材の構造から化学スペシャリティ企業への転換を進めた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 泉原雅人 | FY22で純損失を計上 | ★★ | ||
| 泉原雅人 | 西田祐樹への社長交代を発表 | ★ |
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事実根拠:出所(UBE)