デンカセメント事業からの撤退と、販売事業の太平洋セメントへの譲渡

石灰石・カーバイド・セメントが一体で回る青海の連鎖を、今井俊夫 社長はなぜ外へ渡したか

更新:

時期 2022年10月
意思決定者(推定) 今井俊夫 デンカ 社長
論点 カーバイドチェーンの再構築とポートフォリオ変革
概要
2022年10月25日、デンカが取締役会でセメント事業からの完全撤退を決議し、セメント販売事業を新設の100%子会社へ吸収分割したうえで全株式を太平洋セメントへ譲渡する契約を結んだ経営判断。今井俊夫 社長のもとで、石灰石の自社採掘とセメント製造も2025年上期を目途に止めることを決めた。
背景
青海工場では、黒姫山の石灰石のうちカーバイドに使えない純度やサイズの石をセメントに回し、カーバイドやクロロプレンゴムの副産物を原燃料に使う独自のカーバイドチェーンを組んでいた。国内セメント需要の低迷と設備更新・脱炭素の大型投資に加え、石炭価格の急騰が重なっていた。
内容
販売事業は2023年3月31日に太平洋セメントへ譲渡し、青海工場で作ったセメントは4月以降「太平洋セメント」ブランドで売られる。人員整理は行わず重点分野へ配置転換した。撤退後の石灰石は太平洋セメントから購入し、副産物は明星セメントが受け入れる。
含意
2022年3月期のセメント事業売上高113億円は連結の2.9%にすぎないが、切ったのは製品ではなく原料採掘までを含む連鎖の一角であった。翌月に公表するMission2030の「3つ星事業」以外は整理するという基準が、公表前にこの案件へ当てられた。
筆者の見解

畳める相手が隣にいたこと

青海工場では、黒姫山から掘った石灰石を純度とサイズで選り分け、カーバイドに向かない分をセメントに回していた。カーバイドとクロロプレンゴムの副産物はセメント窯へ入り、社外の廃棄物までが原燃料に変わる。2022年10月25日の決議で切ったのは、セメントという製品ではなく、この選り分けと使い回しの仕組みそのものであった。連結売上の2.9%を手放す代わりに、石を掘る役目が太平洋セメントへ渡っている。

もっとも、連鎖を外へ出しても青海が軽くなったわけではない。石灰石はこの先も太平洋セメントから買い、副産物は明星セメントが引き取る。相手を1社に絞れたのは、同じ糸魚川市内に明星セメントの工場があり、鉱山の共同開発ですでに関係ができていたからだとみられる。裏返せば、この条件が揃わなければカーバイドを軸にした連鎖は畳みようがなかった。撤退の巧拙より、畳める相手が隣にいたことのほうが効いていたのかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

黒姫山の石を選り分ける連鎖

デンカがセメント事業に参入したのは1954年である。新潟県糸魚川市の青海工場では、隣接する黒姫山の豊富な石灰石のうち、カーバイド向けに使えない純度やサイズの石をセメントへ回してきた。カーバイドやクロロプレンゴムを作るときに出る副産物や、社外から受け入れた廃棄物も、セメントの原燃料として使う。石灰石とカーバイドとセメントが一体で回るこの仕組みを、同社はカーバイドチェーンと呼んだ[1][2]

有価証券報告書の沿革は、1953年9月の電化セメント設立をこの事業の始まりに置く。青海はもともと自家発電と自社採掘の石灰石を抱えた拠点であり、1962年に日本で初めて企業化したクロロプレンゴムも、この連鎖の上で作られてきた。工場のゼロエミッションと地域の資源リサイクルは、セメント窯があって成り立っていた[3][4]

需要の低迷と石炭価格の急騰

近年のセメント事業は、主要販売先の北信越をはじめ国内需要が低調に推移し、老朽化した設備の更新とカーボンニュートラルに向けた大型投資が避けられなくなっていた。2022年3月期のセメント事業の売上高は113億47百万円で、連結の2.9%にとどまる。同社は経営計画「Denka Value-Up」で事業再構築が必要なコモディティー事業に分類し、構造改革の検討を重ねていた[5][6]

2022年度に入ると石炭価格が急騰した。同社はサーチャージ制を採らず値上げで対応し、2021年11月に発表した1トン当り2,300円に続いて、2022年8月4日に3,000円の追加値上げを表明している。撤退後の収支は2018年度から2022年度の平均と比べて10億円程度の良化にとどまるが、石炭高騰に見舞われた2022年度と比べれば数十億円の良化になると同社は説明した[7][8]

決断

販売は譲り、生産は止める

2022年10月25日、デンカは取締役会でセメント事業からの完全撤退を決議した。セメント販売事業を新設する100%子会社へ吸収分割で承継させたうえで、その全株式を太平洋セメントへ譲渡する。あわせて2025年上期を目途に石灰石の自社採掘とセメント製造をやめる。同日付で株式譲渡契約を締結し、本件取引に関連して約190億円の特別損失を見込んだ[9][10]

手放したのは製品だけではなく、原料の採掘までを含む一角であった。「デンカセメント」ブランドの販売は終わり、2023年4月以降は青海工場で作られたセメントを新会社が「太平洋セメント」ブランドで売る。譲渡金額は株式譲渡契約の秘密保持義務を理由に開示していない。人員整理は行わず、石灰石の採掘を含むセメント事業の社員は重点分野へ配置転換すると明記した[11][12]

相手を太平洋セメントに絞った理由

相手選びは、連鎖の引き受け手を探す作業でもあった。太平洋セメントの100%子会社である明星セメントは、青海工場と同じ糸魚川市内にセメント工場を持つ。デンカは、カーバイドチェーンで自社が担ってきた石灰石の供給と副産物の有効活用を引き受けられる唯一の提携パートナーであると判断した。両社は従前から黒姫山の石灰石鉱山の共同開発計画に取り組み、その検討過程で信頼関係が醸成されていた[13][14]

撤退後もカーバイドの生産に石灰石は要る。自社採掘をやめた後は太平洋セメントから購入し、カーバイドチェーンで出る副産物は明星セメントが受け入れる。連鎖を断ったのではなく、担い手を社外へ移した。糸魚川市における石灰石鉱山の共同開発計画にも変更はないとし、譲受側は自社の「国内事業の収益基盤強化」とデンカの「スペシャリティ分野への経営資源のシフト」が合致したと説明している[15]

結果

基準を先に当てた案件

株式譲渡は予定どおり2023年3月31日に実行された。決議の2週間後にあたる2022年11月8日の決算説明会で、同社は新中期経営計画「Mission2030」を示し、スペシャリティ・メガトレンド・サステナビリティの3要素を備えた「3つ星事業」以外は撤退や売却を含めて整理する方針と、WACC6%を最低ラインのKPIとする判断基準を掲げた。セメント撤退は、その基準が公表される前に当てられた案件であった[16][17]

説明会では、撤退後にカーバイドチェーン全体のコストが増え、クロロプレンゴムなど他の事業に大きな影響を与えないかが問われた。同社は大きな影響を与えることはないと答えている。クロロプレンゴムはその後、米国子会社のコスト増加と2024年1月の能登半島地震という別の要因で傷み、2024年度に戦後初の純損失を計上した。連鎖から最初に外したのはセメントであったが、青海をめぐる負担はそこで終わらなかった[18][19]

2025年6月、青海工場のセメント生産が終わり、1954年の参入から71年で事業は幕を閉じた。撤退に伴う残務処理費用は、2025年度上期の特別損失に計上されている。撤退の発表を報じた記事は、この判断を電気自動車向け材料など高収益製品へ経営資源を振り向ける動きとして伝えた。連結売上の2.9%を手放す代わりに、黒姫山の石を掘る役目が社外へ移った[20][21]

出典・参考

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