大阪ソーダの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

原料と製法を官から受け継ぎ、純度の高さで需要が来るのを待った会社である。創業時の製品は苛性ソーダと晒粉の2品目で、水銀法の高純度品を求める国内の需要家はまだ少なかった。その後、第一次世界大戦で輸入が途絶えると、1918年10月に資本金を200万円へ増やしている。1923〜24年には人絹向けに次亜塩素酸ソーダと合成塩酸を加え、1931年11月に社内に積み上げた資本で新設したのが尼崎工場である。並行して電解槽の改良で大曹式水銀法を築き、同業数社へ実施権を供与した。

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