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大型設備投資

大型設備投資は、需要が立つ前に生産能力を置く決断だった。戦後の日本はこの前払いを連鎖させて産業構造を組み替えている。川崎製鉄が千葉に一貫製鉄所を建設して平炉メーカーから抜け出すと、日本鋼管は福山へ約2,500億円を投じ、旭化成は売上高に匹敵する1,000億円を水島コンビナートへ向けた。乗用車専門工場であるトヨタ自動車の元町工場日本国有鉄道の東海道新幹線は、いずれも1959年に動き出している。石油危機が投資先をエネルギーへ移し、東京電力は福島第一原子力発電所を主力電源に据えた。地価が高騰したバブル期には三菱地所が丸の内マンハッタン計画を掲げ、投じる先は都市の床へ移る。2000年代にはシャープが堺に世界初の第10世代液晶ラインを敷いた。回収に要する年数は短くなり、需要予測を外した投資は減損として一期で表に出る。

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キャッシュ・フロー計算書の投資活動による支出、なかでも有形固定資産の取得による支出で金額を押さえる。これを減価償却費と並べ、償却を上回る期が何年続いたかを見れば、拡張か維持かを判別できる。建設仮勘定の残高は工事中の投資が積み上がった額で、完成年度に本勘定へ振り替わる。主要な設備の状況で所在地・帳簿価額・生産能力を、設備の新設、除却等の計画で今後の投資予定額と資金調達方法を確認する。稼働率と減損損失が回収の成否を示す。

2020年代

2025年 東洋水産 カリフォルニア新工場投資 蓄積した資金を北米即席麺の増産へ振り向ける能力投資 2025年 東映アニメーション 「VISION2030」策定 売上高2,000億円・営業利益500億円を掲げる中期経営計画の始動 2025年 ホンダ 日産との統合協議打切 経営の一体化構想へ踏み込みながら二カ月弱で引き返した判断 2025年 三井物産 Rhodes Ridge鉄鉱石への参画 20年交渉した未開発鉱床の権益40%を約8,000億円で取得し、豪州鉄鉱石を積み増した 2025年 東日本旅客鉄道 高輪ゲートウェイシティ開発 品川車両基地跡地の再開発による、不動産を第3の柱とする布石 2025年 名古屋鉄道 名古屋駅地区再開発の見直し 事業化を決定した再開発計画の、施工難による再検証・見直しへの着手 2024年 ニップン 長期ビジョン2030へ資産振替 政策保有株式・遊休不動産の売却と、3年で最大1,400億円の設備投資への振り替え 2024年 江崎グリコ 基幹システムの全面移行 342億円を投じた入れ替えが招いた、7カ月に及ぶチルド商品の出荷停止 2024年 アドバンテスト 中期計画「MTP3」始動 AI・HBMテスト需要ブームへの先行投資と過去最高益 2024年 SCREEN HD 彦根への集中投資 洗浄装置の世界首位を土台にした売上1兆円構想 2024年 常磐興産 米フォートレス系のTOB受入 東証スタンダード市場からの上場廃止と非公開化への移行 2024年 森ビル 六本木五丁目西地区の再開発着手 7000億円規模の再開発と、住友不動産との共同事業化 2023年 トクヤマ OCIと合弁でマレーシア再進出 折半出資による半導体用多結晶シリコン生産の再開と、ベトナム子会社の設立 2023年 中外製薬 研究拠点の横浜集約 富士御殿場・鎌倉の両研究所の閉鎖と、創薬機能を一カ所に束ねる選択 2023年 森ビル 麻布台ヒルズの開業 虎ノ門・麻布台地区の開発区域拡大 2023年 森ビル 虎ノ門ヒルズ周辺の連続開発 3街区を続けて手がける進め方と、日比谷線新駅を再開発と一体で整備する構え 2022年 ADEKA 全州第二工場の増強 半導体材料への経営資源の集中と、高誘電体ALD材料の生産能力の増強 2022年 JFEHD 倉敷の大型電炉化 高炉1基の休止に踏み込んだ脱炭素に向けた生産体制の転換 2022年 東京エレクトロン 合志と大和町への開発棟新設 他社との統合による規模拡大を捨て、国内の自社開発拠点への投資で伸びる道を選んだ判断 2022年 京王電鉄 新宿駅西南口をJR東日本と再開発 総事業費3000億円の共同事業への参画という、単独では担えない規模の投資 2021年 日本ガイシ 半導体セラミックスへ転換 製造装置用部材を柱に据えたデジタル社会領域への事業構成の組み替え 2020年 小田急電鉄 新宿駅西口の資産入替 1,300億円再開発へ振り向けた資産の入替

2010年代

2019年 みずほFG MINORIへ全面刷新 4000億円台半ば・35万人月を投じた新勘定系システムへの全面刷新 2019年 川崎汽船 自動車船・LNG船へ集中投資 非海運多角化の見送りと、鉄鋼原料輸送を含む海運本業への資源の集中 2018年 エクシオG シーキューブ等3社子会社化 通信工事3社の同時子会社化とエクシオグループへの改称・再編 2018年 オリエンタルランド ファンタジースプリングス投資 約3,200億円を一つの区域に投じる、超長期を前提とした回収設計 2018年 小田急電鉄 代々木上原〜喜多見の複々線化 半世紀を貫いた複々線化投資——1964年都市計画決定から2018年全面完成まで 2017年 カルビー フルグラの中国再進出 越境ECと現地専用工場を軸にした中国市場の攻め直し 2017年 ペプチドリーム 合弁でペプチスター設立 塩野義製薬・積水化学工業と三社で担う原薬製造の内製化 2017年 楽天G 完全仮想化でMNO参入 既存3社に挑む第4の携帯事業者としての自前網の構築 2017年 神戸製鋼所 神戸製鉄所の上工程休止 加古川製鉄所への一貫工程の集約 2016年 三菱商事 チリ銅山AASの巨額減損 銅資源への巨額投資が招いた2,712億円の損失計上 2015年 ネクステージ 名古屋茶屋店を開業 大型ワンストップ店フォーマットへの転換と、借入による規模拡大 2015年 住友商事 アンバトビーの巨額減損 リスク回避路線からの転換と資源投資の膨張が招いた3,103億円の損失計上 2014年 パナソニック テスラとの車載電池協業 ギガファクトリーへ生産設備ごと踏み込み、電池の主力を家電向けから自動車向けへ移す 2014年 東海旅客鉄道 リニア中央新幹線を自己負担建設 外部資金に頼らない全額自己負担での新線建設という選択 2014年 三菱倉庫 江戸橋倉庫ビルの用途転換 日本橋の物流拠点を建て替え、賃貸オフィスとして収益を得る形への切り替え 2014年 森ビル 虎ノ門ヒルズ森タワーの竣工 立体道路制度を使った環状第二号線上空への超高層建設 2013年 大同特殊鋼 知多にアーク炉新設 150トン級の大型炉導入による、高付加価値鋼へ向けた設備の作り替え 2013年 NISSHA フィルムタッチセンサー投資 スマートフォン向け部材に単年274億円を投じる一点集中の設備投資 2013年 商船三井 LNG船・長期契約へ転換 スポット運賃で稼ぐ不定期船経営からの脱却と、収益構造の安定化 2012年 INPEX イクシスLNG最終投資決定 総事業費340億米ドルを投じる自社主導の巨大開発 2012年 神戸物産 兵庫の屋根で太陽光参入 自社施設の屋根29キロワットから始めた再生可能エネルギー事業 2012年 セガサミーHD リゾート・海外IRへ投資 遊技機で稼いだ資金を新分野へ振り向けた同時多発の投資 2012年 東急 渋谷ターミナル再開発 鉄道の地下化で生み出した跡地への集中投資と、拠点駅の作り替え 2011年 さくらインターネット 石狩データセンター建設 都市型の立地を捨てて郊外型の大規模拠点へ切り替える選択 2011年 富士フイルム バイオCDMO参入 医薬品の受託生産という新領域に向けた生産能力への集中投資 2011年 ファナック iPhone特需でロボドリル増産 特需に合わせた増産投資と、需要集中がもたらした業績の振れ 2010年 ラウンドワン 米カリフォルニア初出店 海外第1号店の開設と、国内で育てたモール業態のそのままの移植 2010年 富士電機 パワー半導体へ投資集中 パワーエレクトロニクスを軸に据えた経営資源の集中 2010年 川崎重工業 「すいそふろんてぃあ」建造 液化水素サプライチェーンへの集中と、世界初の液化水素運搬船の建造

2000年代

2009年 GSユアサ 本田技研とブルーエナジー設立 完成車メーカーとの過半出資合弁による車載用リチウムイオン電池事業への参入 2009年 シャープ 堺に第10世代パネル工場 世界初となる最大級の液晶量産ラインへの集中投資という一点賭け 2008年 イビデン マレーシア新工場建設 618億円を全額自己資金で賄った海外量産拠点への投資 2008年 TBSHD 赤坂サカスの開業 赤坂再開発による不動産事業化 2008年 中部電力 浜岡1・2号機の廃炉 運転終了と隣接地への6号機新設という設備更新の選択 2008年 四国電力 ラスラファンC発電事業への出資 カタールの発電造水事業を足がかりとした海外電力事業への進出 2007年 キオクシアHD BiCS FLASHへの積層転換 回路線幅を細める微細化の延長を捨て、メモリセルを縦に積む3次元構造へ主力技術を移した選択 2007年 王子HD 南通への一貫生産工場建設 中国での一貫生産の立ち上げと、排水パイプライン計画の撤回 2007年 日本製鋼所 室蘭製作所を原子力向けに増強 製鋼・鍛錬設備の増強と、原子力発電向け大型鍛鋼への傾斜 2007年 エルピーダメモリ 力晶半導体との合弁設立 台湾勢との折半出資によるDRAM生産拠点レックスチップの立ち上げ 2006年 新日本石油 石油化学製品へ生産転換 ガソリン依存からの脱却と、10年2000億円を投じる製油所改造 2005年 名古屋鉄道 中部国際空港線の新設 新空港の開港に合わせた常滑からの延伸と、空港アクセスの確保 2004年 アルバック 東証一部上場で資金調達 東証一部上場で集めた資本を半導体・FPD製造装置の生産能力へ積み増した資本政策 2004年 シャープ 亀山モデルへ集中投資 材料から完成品までを一つの拠点で作る液晶一貫生産への賭け 2004年 パイオニア NECのプラズマ事業買収 規模拡大への賭けと、それと重なったデジタル家電の価格急落 2003年 伊勢丹 メンズ館の全面改装 新宿本店ブランド区画の撤去、本館改装への150億円の投入 2003年 東武鉄道 東京スカイツリー建設に投資 1,430億円という巨額を投じた、新たな集客拠点への賭け 2003年 森ビル 六本木ヒルズの竣工 用地の自社取得から地権者参画・床売却への切り替え 2002年 ユキグニファクトリー 五泉バイオセンター新設 競合主力のぶなしめじ・エリンギへの参入と生産拠点の増設 2002年 SUMCO 住友・三菱で事業統合 シリコンウェーハを300mm専業会社に集約する新会社の設立 2002年 神戸製鋼所 神戸製鉄所で電力事業参入 製鉄所構内での石炭火力発電所の建設と、電力卸供給という収益源の確保 2002年 KDDI auのCDMA一本化とPDC除却 二方式の併走を解いてCDMAへ寄せ、稼働中のPDC設備1,283億円を一期で落とした資産の入れ替え 2001年 ソフトバンクG Yahoo!BBでADSL参入 自前の通信インフラ事業への参入と、それが招いた経営の危機 2000年 キオクシアHD サンディスクとNAND生産で合弁 四日市工場の増産投資を米社と折半し、設備を自前で抱える形を手放した選択 2000年 高島屋 JR東海と名古屋出店 共同出資という形をとった出店と、初年度黒字という別解 2000年 NTT πシステムからFTTHへ移行 各家庭へ光を直結する固定網への切り替えを選んだ基盤投資 2000年 KDDI DDI・KDD・IDOの合併 長距離・国際・携帯を1社に束ねた総合通信事業者の発足

1990年代

1999年 住友金属工業 和歌山製鉄所を再建 熱間圧延ラインの休止を含む、主力製鉄所の身の丈に合わせた立て直し 1999年 AREHD 株式店頭公開 貴金属リサイクル専業の姿のままでの、外部資本への門戸開放 1998年 カネカ カネカソーラーテック設立 専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資 1998年 沖電気工業 DRAM事業から撤退 量産競争から降りたうえでの、半導体事業そのものの売却 1997年 参天製薬 フィンランド社スター買収 眼科薬メーカーの取り込みによる欧州拠点の確保 1997年 KDD ルートKDDの国内延伸 企業向け国内電話への参入と、列島周回海底ケーブルの敷設 1996年 ニップン ニップン冷食を設立 冷凍食品製造部門の切り出しによる専業体制の構築 1996年 アリアケジャパン 液体エキス専用工場建設 年商の7割にあたる75億円を投じた専用設備への集中投資 1996年 オリエンタルランド 東京ディズニーシーの建設決定 既存パークの増設ではなく、第2パークとホテル・モノレールの同時建設で滞在型リゾートへ移る選択 1996年 センコーGHD クレフィール湖東への投資 年間投資予算の3倍にあたる60億円を投じた研修施設への先行投資 1994年 サッポロビール 恵比寿ガーデンプレイス開業 工場跡地を売却せず自ら開発する道を選んだ、不動産事業への踏み出し 1994年 コロワイド 鎌倉キッチンの新設 逗子工場の閉鎖と、配送センターを備えたセントラルキッチン網の構築 1994年 第二電電 PHS事業への参入 地域別9社によるポケット電話会社の設立 1993年 飯野海運 カタールLNGに参画 インドネシアを含む複数プロジェクトへの参画による、液化天然ガス輸送への進出 1992年 そごう 水島廣雄の借入依存多店舗化 地域一番店戦略——別会社方式が築いた百貨店帝国 1991年 三菱化学 バーベイタムの買収 光磁気ディスクの量産設備の新設と米国の記録メディア大手の取り込み 1991年 東ソー エチレン増設と事業撤退 バブルをまたいだ強気拡張と反動、10事業の整理と塩ビへの選別再投資 1991年 東京製鐵 岡山工場で熱延帯鋼へ参入 高炉独占品種だった熱延広幅帯鋼への電炉メーカーとしての量産参入 1991年 高島屋 新宿へ旗艦店出店 35年越しの悲願だった大型店の実現による、都心商圏での地歩固め 1991年 山之内製薬 アイルランドへの生産拠点設置 欧州の生産販売網の自前構築 1990年 三洋電機 二次電池へ経営資源を集中 二次電池に資源を寄せる傾斜投資という、次の主力事業への賭け 1990年 サンリオ サンリオピューロランド建設 紙とモノで稼いできた会社が616億円の固定資産を抱えるテーマパーク運営を選んだ判断 1990年 東武鉄道 サックス買収計画の頓挫 東武百貨店による池袋店増床900億円投資

1980年代

1989年 ホクト 柳原きのこセンター設置 きのこ栽培資材の供給から自社量産への転換と、消費地への生産センター開設 1989年 三菱樹脂 三菱商事と共同出資会社設立 光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり 1989年 THK 寺町博による株式店頭公開 公開市場からの資金調達に踏み切り、世界市場を狙う体制づくり 1989年 ローム 汎用SRAMへ参入 上位各社が先に押さえた市場へあえて後発で入り、大手が取り残した領域だけを狙う立ち位置の選択 1989年 川崎汽船 北米定期航路への集中投資 1,200億円を投じた邦船6社共同運航体制からの離脱と単独運航への移行 1989年 山之内製薬 筑波研究センターの開設 バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資 1988年 三越 580億円のゴルフ場開発 本業の外へ事業を広げる多角化路線の採用と、土地取得への巨額投入 1988年 三洋証券 世界最大の取引フロア建設 資本金に匹敵する300億円を投じる、自社史上最大の設備投資 1988年 三菱地所 「丸の内マンハッタン化計画」 構想発表と、初代丸ビルの建て替えによる複合都市への転換 1988年 日本移動通信 NTT大容量方式の採用 開業時の無線方式へのTACS方式の不採用 1987年 DMG森精機 伊賀工場を新設し生産方式を転換 量産方式の限界に直面した末の、一台ごとに作り込む方式への回帰 1987年 SMC 大村進体制で東証二部上場 東京証券取引所市場第二部への株式上場と社名のSMCへの変更 1986年 東京応化工業 フォトレジスト事業で上場 東証二部への株式上場と生産能力投資の資金基盤の確保 1986年 東燃ゼネラル石油 和歌山で電力卸売に参入 経営会議の組織風土の立て直しと、遊休地を収益源に変える新規事業の立ち上げ 1986年 森ビル アークヒルズの竣工 単独ビルの建設から市街地再開発事業への転換 1984年 四国電力 STNetの設立 情報通信事業への参入を担う専業子会社の設立と新事業の立ち上げ 1983年 ニッスイ 越前丸へ集中投資 漁場半減下でも止めなかった約120億円のトロール船集中投資 1983年 DCMHD IBMシステム38の導入 計算機と物流センターを組み合わせた、商いの土台づくり 1980年 メイコー 多層プリント配線板へ進出 両面板専業からの脱却と、より高度な製品分野への軸足の移し替え

1970年代

1979年 信越化学工業 ダウコーニングとの合弁設立 共同出資で設立した半導体事業会社の、優先交渉権行使による全株取得 1979年 オリエンタルランド ディズニー独占ライセンス契約 三井不動産の反対を退けての、使用許諾の自社での抱え込み 1978年 花王 九州工場の無人化投資 設備投資と工場自動化の積極化——欧米市場をにらんだ攻めの投資 1978年 東京製鐵 江戸川工場閉鎖と電炉化 岡山工場の平炉停止とあわせて進めた電炉一貫体制への移行 1978年 東北電力 日本海エル・エヌ・ジー設立 石油専焼火力への依存を改めるLNGへの燃料転換 1978年 北海道電力 泊村での立地決定 道内初の原子力発電所をめぐる内陸型から海側への計画変更 1977年 ニチロ 北洋漁業の縮小で陸上転換 二百カイリ規制を受けた漁労依存からの脱却と、加工・畜産事業への軸足移動 1977年 東急 新玉川線建設で都心直通化 路面電車に代わる地下新線への切り替えと、都心直通ネットワークの完成 1976年 ユニオンツール 新潟県長岡に拠点集約 本社工場の機能を新設工場へ移し切る生産体制の一本化 1976年 三井物産 イラン石油化学への参画 撤退の判断がつかないまま膨らんだ巨大プロジェクトの重荷 1975年 九州電力 玄海1号機による電源多角化 石油に頼りきった発電構成から抜け出すための、原子力を先頭に据えた組み替え 1975年 大阪ガス ブルネイLNGの導入 全供給エリアの天然ガス転換 1974年 アマダ 園池製作所の株式取得 不振に陥った同業の連続買収と、企業再建を事業に組み込む路線への転換 1974年 北海道電力 苫東の石油火力構想を撤回 600万kW級の大型計画を取り下げ、石炭を軸に据えた電源構成への組み替え 1972年 名村造船所 造船拠点を伊万里へ移転 大阪を離れての新工場建設と、主力生産の全面的な置き換え 1972年 イトーヨーカ堂 坪20〜30万円で出店 商圏規模に比例させた店舗規模と、坪二十万〜三十万円の立地への出店 1971年 グンゼ 販売子会社23社体制へ再編 代理店に委ねてきた流通の直接掌握と、首都圏販売の3系列への集約 1971年 新日本石油 喜入に原油中継基地建設 37万重量トン「日石丸」の就航に合わせた大型タンカー時代への備え 1971年 東京製鐵 大丸製鋼を吸収合併 全株式を取得済みだった子会社の取り込みと、九州工場の開設 1971年 DOWA 秋田製錬所を設立 臨海型の亜鉛拠点の新設と、自山鉱から輸入鉱への原料の切り替え 1971年 メディパルHD 大阪支社の開設 38%を握った兵庫に留まらず、主戦場を大阪へ移した三星堂の府外進出 1971年 ユニー 西川屋とほていや合併 合併によって生まれた新会社ユニーとしての新たな出発 1971年 東京電力HD 福島第一原発の建設 原子力を主力電源に据える選択と、その第一号機の実現 1970年 北海道炭礦汽船 夕張新炭鉱へ投資 石炭の斜陽を15年前に予言しながら新鉱開発へ社運を賭けた判断 1970年 神戸製鋼所 加古川製鉄所を新設 灘浜での自社高炉の建設と尼崎製鉄の吸収合併を経た、一貫製鉄体制の完成 1970年 川崎汽船 自動車専用船PCCの実用化 フルコンテナ船の投入と、世界初となる専用船型による輸送の刷新 1970年 四国電力 伊方原発の立地決定 地元からの誘致を受け入れた原子力発電所の建設地の確定

1960年代

1969年 住友重機械工業 浦賀重工業を吸収合併 造船大手の取り込みによる重工業メーカーへの転換 1969年 東京ガス アラスカ産LNGの導入 15年の長期契約・東京電力との共同調達と根岸基地の建設 1968年 旭化成 水島コンビナート建設 売上高に匹敵する1000億円を投じた石油化学への本格進出 1968年 上村工業 枚方に中央研究所建設 めっき用化学品製造部門の移転を伴う研究開発拠点の集約 1967年 カネカ 高砂に新製法設備建設 塩ビモノマー原料のカーバイド法からオキシクロリネーション法への切り替え 1966年 トヨタ自動車 カローラの本格投入 大衆車市場を狙った高岡工場への集中投資と量産体制の構築 1966年 東急 多摩田園都市の建設 鉄道の敷設と沿線の開発を一体で回す事業モデルの確立 1966年 日本航空 ボーイング747導入決定 ジャンボ機の導入に踏み切った大量輸送体制への転換 1965年 名古屋鉄道 明治村など多角化経営 名鉄百貨店・バスターミナルを核とする多角化とグループ経営の構築 1964年 日本電気硝子 滋賀高月にCRT工場新設 ブラウン管ガラスへの後発参入と、専用工場による生産体制の確立 1964年 カナデビア 堺工場マンモスドック建設 総工費150億円の桜島工場の造船からの撤収 1963年 サントリーHD ビール市場への参入 主力が順風のうちに、勝ち目の薄い市場へあえて踏み出す選択 1962年 倉敷紡績 寝屋川工場を新設 化成品・環境エンジニアリング・エレクトロニクスへ本体で多角化 1962年 大王製紙 三島工場の操業維持 会社更生法の適用申請と、操業を止めないままの再建手続 1962年 日本鋼管 福山に総合製鉄所建設 第4の総合製鉄所への約2,500億円の投入と、粗鋼年産600万トン計画の遂行 1962年 曙ブレーキ工業 ベンディックス提携と岩槻製造所 岩槻製造所への資本金数倍の投資 1961年 日油 川崎・千鳥工場で石化進出 連続赤字下で踏み切った新工場の建設と事業の柱の入れ替え 1961年 川崎製鉄 水島製鉄所を建設 岡山県倉敷市への第2の一貫製鉄所の建設と、千葉と並ぶ二極体制への移行 1961年 ツガミ 東洋精機を吸収合併 三井へ手放した初代の後身を茨城工場として取り込む再統合 1960年 東海カーボン 米キャボット社と技術提携 カーボンブラック製造技術の導入と、知多工場の新設

1950年代

1959年 ニチアス 祖岳製作所を合併 し竹鼻工場(現羽島工場)を岐阜の生産拠点として受け入れ 1959年 三菱電機 北伊丹工場の新設 半導体量産専門工場・西条・高知への量産設備の拡大 1959年 トヨタ自動車 元町工場の建設 日本初の乗用車専門工場・量産体制への転換 1959年 三菱地所 丸ノ内総合改造計画 策定と、赤煉瓦街から9階建てビル街への建て替え 1959年 近鉄GHD 名古屋線の軌間拡幅 軌間の統一による、名阪間直通特急の実現という悲願の達成 1959年 日本国有鉄道 東海道新幹線の建設 在来線の改良でしのぐ案を退け、広軌の別線に投じる選択 1959年 森ビル 虎ノ門への集中投資 森事務所の法人化による森ビルの設立 1959年 YKK アルミサッシへの参入 余ったアルミ合金の使い道として選んだ新分野への進出 1958年 明治製菓 カナマイシンの工業化 梅沢浜夫博士が発見した抗生物質を、菌の培養から原末・製剤まで一貫して作る体制へ 1957年 本州製紙 釧路の段ボール原紙工場新設 第一次・第二次の合理化工事と一体で進めた生産体制の立て直し 1956年 神崎製紙 阿南に富岡工場建設 広葉樹100%のパルプから加工紙までの一貫生産への移行 1956年 東映アニメーション 日動映画買収し専属化 短編の外注先だった制作会社を長編漫画映画の自前スタジオへ改組 1956年 三菱重工業 マンモスタンカー建造着手 超大型船の建造に耐える設備の拡充と、大型化への舵切り 1955年 飯野海運 千代田土地建物を買収 一社を丸ごと取り込むかたちで踏み出した不動産事業への進出 1955年 東京電力HD 火主水従への転換 水力中心の電源構成を改め、火力を基幹に据えた供給体制の組み替え 1954年 大丸 東京駅八重洲へ出店 駅舎に民間資本を入れる「民衆駅」への大口賃借と、東京店の開設 1953年 安藤・間 米アトキンソン社と共同企業体 米社との共同企業体を通じた機械化施工の導入 1953年 三菱鉱業セメント 三菱セメントを設立 石炭に代わる事業の選定と、系列各社の共同出資による別会社方式での参入 1953年 ヤマハ 川上源一の木材乾燥投資 木材乾燥システム開発と量産品質の確立 1953年 日本テレビHD 民間テレビ局の開局 街頭受像機を置いて視聴者そのものを作り出す事業の立ち上げ 1951年 ブリヂストン グッドイヤーからタイヤ製法を導入 自前の技術開発ではなく米最大手の製造方法を丸ごと持ち込んだ選択 1951年 川崎製鉄 千葉製鉄所を建設 製鉄所の新設による、平炉メーカーから銑鋼一貫メーカーへの転換 1951年 九州電力 日本発送電の解体で発足 電気事業再編成令による九州一円の発送配電一貫会社としての設立 1950年 クラレ ビニロンの企業化 国産技術の合成繊維をポバールから一貫して作る体制の立ち上げ 1950年 日本ゼオン 米グッドリッチとの合弁設立 技術を持つ相手と組んで興した新会社による塩化ビニル樹脂の国産化

1940年代

1930年代

1920年代

1910年代

1900年代

1880年代

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