筆者の見解
危機をタイミングに変えた決断の代償
この決断の核心は、被災という動かしがたい非常事態を、佐伯勇社長がむしろ懸案実行の好機と読み替えた点にある。役員全員の反対を押し切ってまで復旧と軌間拡幅を同時に進めたのは、資金に余裕があったからではなく、平時であれば長期の運休を確保しにくい大工事を、線路がすでに使えないいましか実行できないという、時機についての見立てであっただろう。危機のさなかでの決断のほうが平時よりも迅速に下されたところに、この案件の逆説がある。
もっとも、直通特急によってねらった名阪間の速度競争での優位は、1964年の東海道新幹線開業から5年と持たなかった。軌間拡幅という投資は、国鉄との対決という当初の文脈では早々に主目的を失ったといえる。それでも、被災を機に一気に築いた直通インフラとビスタカーというブランドは、その後の三重電鉄合併を経て観光私鉄への転身を支える土台として生き延びた。危機への即応で得た資産をどう活かすかという問いは、新幹線という壁に直面したのちの近鉄経営に、形を変えて引き継がれていったとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月