設備投資と工場自動化の積極化——欧米市場をにらんだ攻めの投資
1979年実施国内で稼いだ余力を、なぜ花王石鹸・丸田芳郎社長は3年で1200億円超の投融資へ振り向けたのか
- 概要
- 1979年、花王石鹸の丸田芳郎社長は、今年度に500億円、今後3年間で1200億〜1300億円という投融資を明言し、設備投資と工場自動化を積極化する方針を打ち出した。九州工場をほぼ無人化して24時間・365日の自動運転にするなど、国内で稼いだ余力を生産合理化と研究開発、そして欧米市場への進出の布石に振り向けた経営判断である。
- 背景
- 花王石鹸は1966年に始めた販社網を武器に、強い価格維持力と低い物流コストで石けん・洗剤市場の首位を固め、53年3月期には売上1868億円・経常74億円と3期連続の増収増益をあげていた。国内の体制固めがほぼ終わり、次の成長を海外市場と技術革新に求める局面に入っていた。
- 内容
- 今年度500億円・3年で1200〜1300億円の投融資を計画し、特別償却・有税償却を含む償却は3年で600億円に達すると見込んだ。九州工場を包装から装置ラインまでほぼ無人化して24時間・365日運転とし、倉庫も自動化する一方、合理化で浮いた人員を研究所へ回し、発酵技術で天然原料から新中間物質を生む研究開発を厚くした。
- 含意
- 好業績で得たキャッシュを守りに回さず、償却負担の重い攻めの投資へ充てた点に特徴がある。この投資は、償却を終えたあとの強い体質づくりと、P&Gやユニリーバがひしめく欧米市場への進出を見据えたもので、のちの海外買収や高付加価値製品への展開につながる布石となった。
余力を守りに回さず、次の成長へ
この判断の核心は、好業績で得たキャッシュを内部留保や当面の増配に回すのではなく、償却負担の重い設備投資と研究開発へ思い切って振り向けた点にある。53年3月期の経常利益74億円に対し、3年で600億円という償却計画は、目先の利益を犠牲にしても償却後に強い体質を残すという、時間軸の長い賭けであった。販社網で国内首位を固めた成功体験に安住せず、その余力を次の成長の原資として投じたところに、丸田社長の経営の攻めの性格がうかがえる。
もっとも、丸田社長が思い描いた欧米市場でのトップメーカー化や発酵技術による新中間物質の事業化が、この投資だけで一気に実現したわけではない。海外での本格的な地歩固めには、その後の買収や現地展開を含む長い時間を要した。それでも、工場の自動化で生産合理化を進め、そこで浮いた人とカネを研究開発へ回すという循環を早い時期に組み込んだことは、のちの高付加価値製品と国際化を支える下地となった。規模の拡大そのものより、稼いだ余力をどこへ投じ、どの技術で次の競争に備えるか——この設備投資の積極化は、その問いに正面から答えようとした経営判断だったとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
販社を軸にした高収益体質
花王石鹸は、1966年(昭和41年)に始めた「花王販社」という独自の販売網を強みに、石けん・洗剤市場で確固たる地位を築いていた。問屋の花王取り扱い部門だけを分離・統合して各地に設けた専売の直販会社を通じ、全国84カ所の販社に製品を送り、全製品の約6割を直接小売店の店頭に並べた。第三者の問屋を間に置く他社より流通経路が「太くて短い」ぶん、安売り攻勢のなかでも値崩れを抑える価格維持力が働き、石油ショック後にP&Gサンホームの安値攻勢を仕掛けられても業績を伸ばし続けた[1]。
財務の裏づけも厚かった。53年3月期(1978年3月期)の売上高は1868億円で前年比16%増、経常利益も74億円で同20%増と、3期連続の増収増益を記録した。この期の経常利益は、ライバルのライオン油脂の52年12月期のおよそ7倍にあたる。本社・工場・販社を1977年から本格的にオンラインで結び、合計在庫を1.4カ月分から0.9カ月分へ圧縮して約60億円分の金利負担を軽くするなど、物流でも他社を引き離していた。売上高に占める物流費の比率は、花王石鹸の7.84%に対しライオン油脂は11.61%であった[2][3]。
国内固めの先にある次の一手
好調のさなかにあって、丸田社長は経営の重心を次の段階へ移そうとしていた。1978年の時点で、国内の体制固めは終わったから今後の課題は海外市場への進出だと述べ、伸びの鈍った国内市場より欧米の大市場に成長の余地を見ていた。そのためには石けん・洗剤から多角化し、特色のある製品を生む技術力が要る——こう考えた丸田社長は、合理化でここ3年に浮いた500〜600人を研究所のオペレーターに回し、合理化の成果を研究開発につぎ込む考えを明らかにしていた[4]。
業績の伸びそのものが、地道な技術の積み重ねの成果でもあった。丸田社長は、オイルショック後の昭和51年ごろを境に業績が大きく伸びたのは技術の積み重ねの結果であり、今後は以前よりもっと大きな成果が期待できると受け止めていた。国内で確立した高収益と販売網を土台に、稼いだ余力を守りではなく次の成長への投資へ振り向ける——設備投資の積極化は、こうした経営姿勢の延長線上に構想された[5]。
決断
今年度500億円、3年で1200億円超の投融資
1979年夏、丸田社長は具体的な投資計画を数字で語った。今年度に500億円の投資を決めたのは、他社にまねのできない、投資に値する「シーズ(種)」が出始めているからだと説明する。とくに今年度からの3年間を大変な時期と位置づけ、この間に1200億円から1300億円の投融資を計画した。特別償却・有税償却を含む償却は3年で600億円に達する見込みで、償却さえ終えればキャッシュフローの面で非常に強い体質ができ、いよいよ欧米市場での計画実行に乗り出せると見立てていた[6]。
投資が向かう先は、石けん・洗剤にとどまらない技術革新であった。丸田社長は、P&Gやユニリーバの地位をひっくり返すには石けん・洗剤以外の新しい分野で画期的な技術革新をやり遂げる必要があるとし、発酵などの技術で牛脂・パーム油といった天然原料を高度に加工し、まったく新しい中間物質を作り出さねばならないと語った。中進国への進出も、原料の確保と現地での加工をにらんだものだと位置づけていた。設備投資は、単なる能力増強ではなく、この技術革新と海外展開を支える基盤づくりとして構想されていた[7]。
九州工場の無人化と「連合艦隊」への組織転換
設備投資の中身として丸田社長が具体的に挙げたのが、工場の自動化であった。九州工場は来年(1980年)中に、包装ラインから装置ラインまで、オペレーターなどを除けばほぼ無人化し、24時間・365日自動で動くようにする。倉庫も自動化し、販社からの注文に即応して在庫を最小限に抑えた生産をめざす。合理的なシステムをつくることに資金を投じ、その要所要所に人をムダなく配置していく——工場合理化は、こうした考えのもとに投資の柱に据えられた[8]。
丸田社長は、投資と自動化を組織のあり方の転換と一体でとらえていた。もはやピラミッド型の社内組織では立ちゆかないとし、状況に応じてチームを組み替える「連合艦隊」のような組織が要ると説く。新技術の開発でヒト・モノ・カネの配分が複雑になるなか、各部門の連携がムダなく自動的に回る仕組みへ作り替える——設備投資は、その裏づけとなる生産と物流の合理化を担うものと位置づけられた[9]。
結果
増収基調のなかで進んだ投資と海外展開
この積極投資は、増収基調が続くなかで実行に移された。花王石鹸の単体売上高は、投資に踏み切ったのちも1979年3月期の2142億円から1984年3月期の3306億円へと5年でおよそ1.5倍に伸び、経常利益も同じ期間に98億円から133億円へ拡大した。丸田社長が「償却が済めば強い体質ができる」と語ったとおり、償却負担の重い投資を続けながら増益基調を保った[10]。
丸田社長が次の課題に掲げた欧米市場への進出も、やがて形になった。花王石鹸は1985年に社名を「花王」へ改め、1988年に米アンドリュー・ジャーゲンズ社を、翌1989年には西独のゴールドウェル社を買収して、欧米の生産・販売基盤を手にした。国内で稼いだ余力を守りに回さず、生産合理化と研究開発、海外進出への投資に振り向けた1970年代末の選択は、この国際化の助走にあたる[11][12]。
- 日経ビジネス 1979年8月13日号「編集長インタビュー 合弁成功の鍵は相互理解と研究の主導権——丸田芳郎氏(花王石鹸社長)」(日経マグロウヒル社)
- 日経ビジネス 1978年7月3日号「花王石鹸。販社の徹底利用で強い価格維持力」(日経マグロウヒル社)
- 花王石鹸 有価証券報告書(各期・単体)
- 花王 有価証券報告書【沿革】