経営指標をEVAへ、そしてROICへ——20年かけて取り換えた事業評価の物差し

資本効率をどの尺度で測るか——花王はなぜ日本初のEVAを導入し、20年余りを経て自ら組み替えたのか

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時期 1999年4月
意思決定者 後藤卓也 花王 社長
論点 経営指標と資本配分
概要
1999年4月、後藤卓也社長のもとで花王は日本の事業会社として初めてEVA(経済付加価値)を経営指標に導入し、資本コストを差し引いた利益で事業を測る物差しへ判断基準を統一した。それから20年余りを経て、当事者の花王自身がEVAをROICへ組み替えた。売上規模ではなく資本効率で事業を選ぶ経営への転換を、指標の設計という面から進めた判断である。
背景
1960年代からの製品別の利益管理、1986年のトータル・コスト・リダクション活動と、花王は数値で経営を測る文化を早くから育てていた。1999年の花王販売設立で流通改革が製販一体として一応の完成をみて、原料・製造・流通を社内に抱えた花王にとって、次の課題は何にどれだけ資本を振り向けるかを全社で同じ尺度で測ることであった。
内容
EVAは資本コストを賄えているかで事業を評価する尺度で、日本の事業会社では花王が最初に本格採用し、これに続く二番手がソニーであった。この物差しのもとで花王は1981年度以来22期連続の連結増益を記録した。だが2010年代後半、EVAは海外展開や研究開発など回収に時間のかかる長期投資の評価に合わなくなった。
含意
優れた指標ほど組織に深く根づき、その合理性がかえって問い直しを遅らせる。2020年代、澤田道隆社長がESGを投資と捉え直し、花王は2030年の数値目標を掲げてEVAからROICへ指標体系を組み替えた。設備で事業転換を、人事で撤退を固めてきた花王にとって、指標の入れ替えは経営の物差しそのものを後戻りさせない選択にあたる。
筆者の見解

優れた指標ほど、見直しを遅らせる

この判断の中心にあるのは、事業を何で測るかという物差しそのものを、企業が自らの手で取り換えた点にある。1999年に日本の事業会社として先んじて導入したEVAは、22期連続増益という成果に裏打ちされ、資本コストを問う規律として組織の深くに根づいた。だが、その合理性と成功体験がかえって、前提を問い直す動きを遅らせる面もあったとみることができる。優れた指標ほど組織に馴染み、疑う理由を見えにくくする——花王のEVAからROICへの歩みは、その逆説を映しているように思われる。

見方を変えれば、20年余り使った物差しを長期投資の時間軸に合わせて組み替えたことは、指標を目的ではなく手段として捉え直してきたことのあらわれともいえる。設備投資で事業転換を、人事で撤退を、いずれも後戻りのきかない形で固めてきた花王にとって、経営の物差しを入れ替える選択もまた、判断の基準そのものを据え直す不可逆の一手にあたる。ESGの長期投資と資本市場の短い時間軸をどの尺度でどう按分するかは、ROICへ替えた物差しがこれから問われる次の試金石になるとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

規模を追う経営に欠けていた資本の物差し

花王は数値で経営を測る文化を早くから社内に育てていた。1960年代の半ばには製品ごとの利益管理を取り入れ、一つひとつの製品が生んだ利益を何に振り向けて伸ばすかを管理し、1986年からは原価低減を全社で追うトータル・コスト・リダクション活動を続けた。ただし売上規模や原価率を尺度に置くだけでは、それぞれの事業が資本コストを賄えているかまでは見えず、どの事業へどれだけ資本を振り向けるかという判断の基準は定まりきらないままであった[1][2]

1999年1月には花王販売株式会社を設立し、1964年の再販契約に始まる約40年がかりの流通改革を、製造から販売までを一貫して自社で担う製販一体の体制として一応の完成に導いた。原料の内製から量産、販売までを社内に抱えた花王にとって、次に整えるべきは、この一本につながった事業群を同じ物差しで測る仕組みであった。何にどれだけ資本を振り向けるかを全社で共通の尺度で議論できなければ、規模の拡大がそのまま資本の効率につながる保証はなかった[3]

決断

日本の事業会社として初めてEVAを物差しに据える

1999年4月、後藤卓也社長のもとで花王は経済付加価値、すなわちEVAを経営指標に導入した。事業が上げた利益から、その事業に投じた資本のコストを差し引いて残る価値で成果を測る尺度で、売上や営業利益の大きさではなく、資本コストを上回る価値を生めているかで事業を評価する。日本の事業会社でこの指標を本格的に採り入れたのは花王が最初で、これに続く二番手がソニーであった[4]

EVAを共通の物差しに据えたことで、花王は資本コストを賄えない事業から賄える事業へ投資を組み替える土台を全社に置いた。後藤社長は、成長を持続させてきた原動力を「健全なる危機意識と現状不満足の精神」という言葉で語り、資本の効率を問い続ける緊張感を経営の規律として組み込もうとした。1960年代からの製品別の利益管理を、資本コストという一段深い基準まで押し広げた指標の設計であった[5]

結果

22期連続増益を支えた高収益体質と、長期投資とのずれ

EVAを物差しに据えた花王は、そのもとで高い収益力を保った。長引くデフレのなかでも競合より高い価格の商品を投入して利益を確保し、1981年度以来22期連続の連結増益と12期連続の増配を記録した。資本コストを意識する規律が、原価低減や製品開発と噛み合って高収益体質を支え、資本市場からは持続性の高い企業と評価された。指標の導入は、少なくとも当初は狙いどおりに働いた[6]

ただし、その物差しは万能ではなかった。2010年代後半に入ると、EVAは資本コストを賄えているかを毎期問う性質から短期の成果へ寄りやすく、海外展開や研究開発のように回収まで時間のかかる長期投資の評価には合わない場面が増えた。当時の澤田道隆社長は、環境や社会への対応をコストではなく事業領域を広げるための投資と捉え直し、回収に年単位の時間を要する取り組みを本業の延長として組み立てる方針を示した。優れた成果を上げてきた指標と、長い時間軸の投資とのあいだに、少しずつずれが生じていた[7]

花王自身が物差しをROICへ組み替えた

澤田社長は、ESGの視点で「よきモノづくり」を進めることを経営の中核に据え、2030年に売上高2.5兆円、営業利益率17%、ROE20%という数値目標を掲げた。長期の投資を成長へつなげる絵を描くうえで、資本コストを賄えているかを毎期測るEVAよりも、投じた資本がどれだけの利益を生んだかを示す指標のほうが、事業の選別と資本配分を語りやすい。指標を入れ替える下地が、この時期に整っていった[8]

2024年、花王は中期経営計画K27のもとで、事業を測る物差しをEVAから資本効率を示すROICへと組み替えた。事業別のROICを判断の尺度に据え、資本効率の低い事業を選び直す経営へと移った。2024年12月期に9.2%まで戻したROICを、2027年に11%以上へ引き上げる目標を掲げた。1999年に日本で初めて導入した指標を、20年余りを経て当事者の花王自身が入れ替えた点に、この判断の核がある[9]

出典・参考