1946年〜 協約販売制度と量より質を選んだ化粧品事業の出発(1946〜1969)
- 1946年 化粧品の製造販売を目的に東京都北区で小林合名会社を設立
- 1948年 会社組織を変更し小林コーセーを設立
- 1951年 販売部門を分離しコーセー商事を設立
- 1956年 高級化粧品の製造会社アルビオンを設立
- 1963年 フランスのロレアル社と技術提携
- 1964年 埼玉県に狭山工場を設置
- 1964年 東京都北区に研究所を開設
小売店から先に資金を集めた協約販売制度
コーセーの出発は、1946年3月に小林孝三郎氏が東京都北区王子に設立した小林合名会社[1]である。敗戦の焦土で国民が生活不安に怯えていた時期に、小林氏は化粧品が人々の心を明るくし、復興の一助を担うと考えて創業した[2]。資金の裏づけを持たなかった小林氏は、小売店から先に協約金を受け取ってから商品を配給する協約販売制度[3]をつくり、全国の小売店に声をかけて回った。わずかな商品でも荷づくりし、運賃を負担して物資のない地方の小売店へ1軒ずつ送った[4]。1948年6月には会社組織を変更し、株式会社小林コーセーを設立した。 [5]
- コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1946年3月に小林孝三郎が東京都北区王子に小林合名会社を設立
- [5]1948年6月に会社組織を変更し株式会社小林コーセーを設立
- KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
- [2]小林孝三郎は化粧品が復興の一助を担うと考えて創業した
- [3]小売店から先に協約金を受け取って商品を配給する協約販売制度をつくった
- [4]わずかな商品でも荷づくりし運賃を負担して地方の小売店へ1軒ずつ送った
1951年11月には販売部門を分離してコーセー商事を設立し[6]、製造と販売を別の会社に置いた。同じ年に発売した「パーライトスキン」は、結晶ができない機能を備え、長く売れる商品になった[7]。当時は品物さえあれば売れた時代で、粗悪品も出回っていた。小林氏は品質に見合わない価格で売られる状況を憂い、原料と香料はできる限り高品質のものを選んだ[9]。大量に生産して規模を広げるべきだという声も社内にはあったが、小林氏は量ではなく質を求めると表明し、優秀な商品の開発と組織・人材の育成に力を傾け、小さくても優れた内容で戦える企業を目指すと述べた[10]。 [8]
- コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
- [6]1951年11月に販売部門を分離しコーセー商事を設立
- KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
- [7]1951年に発売したパーライトスキンは結晶ができない機能を備えたロングセラーになった
- [8]創業期の1950年代は品物さえあれば売れた時代で粗悪品も横行していた
- [9]小林孝三郎は原料と香料をできる限り高品質のものにする方針を取った
- [10]小林孝三郎は量より質を求めると表明し小さくても優れた内容で闘える企業を目指すと述べた
- コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1946年3月に小林孝三郎が東京都北区王子に小林合名会社を設立
- [5]1948年6月に会社組織を変更し株式会社小林コーセーを設立
- [6]1951年11月に販売部門を分離しコーセー商事を設立
- KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
- [2]小林孝三郎は化粧品が復興の一助を担うと考えて創業した
- [3]小売店から先に協約金を受け取って商品を配給する協約販売制度をつくった
- [4]わずかな商品でも荷づくりし運賃を負担して地方の小売店へ1軒ずつ送った
- [7]1951年に発売したパーライトスキンは結晶ができない機能を備えたロングセラーになった
- [8]創業期の1950年代は品物さえあれば売れた時代で粗悪品も横行していた
- [9]小林孝三郎は原料と香料をできる限り高品質のものにする方針を取った
- [10]小林孝三郎は量より質を求めると表明し小さくても優れた内容で闘える企業を目指すと述べた
ラボンヌの成功と日本人の肌に合わせた製品開発
1957年に発売した高級化粧品「ラボンヌ」は大きく売れ、会社を躍進させた。コーセーが目指したのは高価であることではなく、効果があることだった[12]。1962年には日本人の肌に合わせて美容効果を高めた「オーリック」を出している。創業から10年余りのあいだに、同社は価格帯の高い商品で存在感を得る形をつくった。1999年の講演で小林保清社長は、創業当時から商品開発について業界内で定評があったと述べ、画期的な新製品を多数開発してきたことを同社の強みの筆頭に挙げている[14]。 [11][13]
- KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
- [11]1957年発売の高級化粧品ラボンヌが大ヒットしコーセーは大きく躍進した
- [12]コーセーが目指したのは高価=高級品ではなく効果=高級品だった
- [13]1962年に日本人の肌に合わせて美容効果を高めたオーリックを発売
- [14]小林保清社長は1999年の講演で創業当時から商品開発に業界内で定評があったと述べた
1956年3月には高級化粧品の製造会社として株式会社アルビオンを設立した。同じ企業グループのなかに別の会社を置き、別の商品群を持たせる形は、のちに販路ごとにブランドを分ける方式へつながる。1999年時点でアルビオンは連結子会社として高付加価値の化粧品を担い、コーセー本体の売上に対する連結の倍率を1.8倍に押し上げる一因となった[16]。小林保清社長は同年の講演で、親会社と関係会社が役割を分担する形をコーセーの特徴の一つに数えている[17]。 [15]
- コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
- [15]1956年3月に高級化粧品の製造会社として株式会社アルビオンを設立
- [16]1999年時点で売上高の連単倍率は1.8倍だった
- [17]小林保清社長は親会社と関係会社が役割分担する形を特徴の一つに挙げた
- KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
- [11]1957年発売の高級化粧品ラボンヌが大ヒットしコーセーは大きく躍進した
- [12]コーセーが目指したのは高価=高級品ではなく効果=高級品だった
- [13]1962年に日本人の肌に合わせて美容効果を高めたオーリックを発売
- [14]小林保清社長は1999年の講演で創業当時から商品開発に業界内で定評があったと述べた
- [16]1999年時点で売上高の連単倍率は1.8倍だった
- [17]小林保清社長は親会社と関係会社が役割分担する形を特徴の一つに挙げた
- コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
- [15]1956年3月に高級化粧品の製造会社として株式会社アルビオンを設立
ロレアルとの技術提携と生産設備の整備
1963年5月、コーセーはフランスのロレアル社と技術提携を結んだ。この関係は2001年8月に合弁契約を解消するまで38年続く。翌1964年6月には埼玉県に狭山工場を設け、同年8月には東京都北区に研究所を開いた。1965年3月には本社を東京都中央区日本橋へ移している。提携で技術を導入しながら、自社の生産設備と研究組織を同時に整えた時期にあたる。1968年9月には香港に香港高絲私人有限公司を設立し[21]、海外での販売に足を踏み入れた。 [18][19][20]
- コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
- [18]1963年5月にフランスのロレアル社と技術提携し2001年8月に合弁契約を解消
- [19]1964年6月に埼玉県に狭山工場を設置、同年8月に東京都北区に研究所を開設
- [20]1965年3月に本社を東京都中央区日本橋へ移転
- [21]1968年9月に香港に香港高絲私人有限公司を設立
- コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
- [18]1963年5月にフランスのロレアル社と技術提携し2001年8月に合弁契約を解消
- [19]1964年6月に埼玉県に狭山工場を設置、同年8月に東京都北区に研究所を開設
- [20]1965年3月に本社を東京都中央区日本橋へ移転
- [21]1968年9月に香港に香港高絲私人有限公司を設立