コーセーホールディングス中国生産子会社の持分譲渡と、在庫処分・店舗整理による中国事業の構造改革
値引きの応酬を続けるか、規模を落として利益を取るか——日本メーカー首位から36年後の整理
- 概要
- 2024年11月11日、コーセーが中国事業の構造改革を公表し、在庫の処分と店舗・人員の整理によって特別損失44億円を計上した経営判断。1988年1月の現地法人設立から36年、2017年に決議した生産子会社の持分譲渡に続く整理にあたる。
- 背景
- 1999年時点の中国事業は売上高36億円・利益約7億円で、日本の化粧品メーカーのなかで首位にあった。その後、日本製品への評価が上がる一方で現地ブランドが台頭し、EC への投資に売上が届かず、値引きを競う市場になっていた。
- 内容
- 過当競争から離れてハイプレステージラインへ注力し、不採算店舗と人員を整理する。処分した在庫は流通に渡った市場在庫ではなく社内在庫であった。事業整理損4,572百万円の内訳は棚卸資産の評価および廃棄損3,181百万円、人員整理費用1,075百万円、工具・器具および備品の廃棄損316百万円で、中華圏からの撤退は行わないと明言した。
- 含意
- 2025年12月期に中国本土は黒字転換したが、増益はマーケティング費用と管理費の削減によるもので、売上は縮んだままであった。成長を求める先はインド・東南アジアへ移り、中国では低価格帯のコーセーコスメポートが伸びた。
参入時の合理性と、誤算の所在
1999年に売上高36億円で日本メーカーの首位に立った市場から、コーセーは2024年に44億円の損失を計上して規模を落とした。降りたのは中国からではなく、値引きの応酬からであった。現地で作って現地で売るという1988年の設計は、日本製の化粧品が中国で評価される前の相場観に照らせば合理的で、誤算は品質の逆転が現地工場の意味を消した点にある。2017年に製造だけを手放したのも、その一点への対応であったとみられる。
ただ、黒字はマーケティング費用と管理費の削減で作ったものであり、売上はまだ戻っていない。2026年に入っても中国本土は直営店からの撤退と代理店経由への切り替えの途中にあり、大幅な利益貢献の段階には届いていない。同じ市場で、高価格帯が競争から降りた一方、コーセーコスメポートの低価格帯は2018年度の海外売上高の8割近くまで戻している。どの価格帯で戦うかを選び直した判断であって、市場から退いた判断ではなかったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
日本メーカーの首位に立った中国事業
コーセーが中国に現地法人を置いたのは1988年1月であった。設立した春絲麗有限公司は、後に高絲化粧品有限公司と改称し、中国市場で売る現地ブランド品を製造した。日本の化粧品各社が国内の対面販売を主戦場としていた時期に、コーセーは販売会社ではなく製造会社から中国に入っている。現地で作って現地で売る形を、進出の最初から採ったことになる[1][2]。
進出から11年後、中国は同社の海外事業で最も稼ぐ市場になっていた。1999年12月に株式を店頭公開した直後の講演で、小林保清社長は中国事業の売上高36億円が日本のメーカー中で首位にあり、利益も約7億円を計上していると述べている。台湾でも売上高約21億円・利益約3億円を挙げ、中国では第二工場の建設が進んでいた。当時5.9%だった海外比率を3年後に9%強へ引き上げる計画も、この二つの市場を中心に組まれていた[3]。
現地ブランドの台頭と、値引きの応酬
もっとも、現地で作って現地で売るという前提は、日本製品への評価が上がるにつれて崩れた。小林保清名誉会長は後年、「メイド・イン・チャイナが売れなくなってきた」(週刊東洋経済 2018/12/29)と振り返っている。日本製の基礎化粧品が中国の消費者に受け入れられた結果、中国で作った現地ブランド品の居場所が狭まった。進出時には想定しにくい逆転であった[4]。
販売の側でも採算が崩れた。2021年12月期は中国 EC への投資に売上が届かず、W11(独身の日)の反動と中国政府の規制が重なって、売上・営業利益とも計画に届かなかった。翌年度はセールのある月以外への投資を全面的に見直している。2023年には販売子会社の高絲化粧品銷售(中国)有限公司がオフラインの代理商事業から撤退し、関連社員の割増退職金などを事業整理損に計上した[5][6]。
決断
工場を手放し、販売に専念する
2017年10月31日、コーセーは取締役会で、中国生産子会社である高絲化粧品有限公司の全持分を日本コルマーホールディングスへ譲渡すると決議した。理由として挙げたのは、「経営資源を集中化して販売事業に専念する」(コーセー 2017/10/31)ことが最善であるとの判断であった。中国では生産の高絲化粧品有限公司と、2005年6月に設けた販売の高絲化粧品銷售(中国)有限公司の二社で事業を行っており、このうち製造側を外へ出す形になる[7][8]。
譲渡後も現地ブランド品の供給は続いた。日本コルマーグループから製品を受け、販売子会社を通じて日本製品とあわせて中国市場へ出す形に組み替えている。持分譲渡が実行されたのは2018年5月で、進出から30年を経て製造機能だけが手を離れた。小林保清名誉会長は「買い手がいたので、昨年、現地の工場を売却した」(週刊東洋経済 2018/12/29)と述べ、需要の変化と売却の機会が重なったことを理由に挙げている[9]。
過当競争から降りる
2024年11月11日、コーセーは第3四半期の決算と中長期ビジョンの説明会で、中国事業の構造改革を公表した。販売手法の見直しについて同社は、「これまでのような過当競争から脱却」(コーセー 2024/11/11)し、ハイプレステージラインに注力して収益性を確保すると説明している。一部の不採算店舗は整理するが、中華圏からの撤退は考えていないとも述べた。値引きの応酬から降り、売る場所と価格帯を絞る選択であった[10]。
整理の対価は特別損失44億円であった。有価証券報告書に計上した事業整理損4,572百万円は、棚卸資産の評価および廃棄損3,181百万円、人員整理費用1,075百万円、工具・器具および備品の廃棄損316百万円で構成される。処分した在庫は流通企業に渡った市場在庫ではなく、中国コーセーと日本のコーセーが中国トラベルリテール向けに抱えていた社内在庫であった。同社はこの年度で損失を出し切ったとの認識を示している[11][12]。
結果
黒字転換と、縮んだままの売上
構造改革の翌年度に見込んだのは、規模の回復ではなく底打ちであった。2025年2月の説明会でコーセーは、2025年度に中国本土が前年比1割程度、中国トラベルリテールが3割程度の減収になると想定し、2025年度が売上・利益の底で2026年度から増収増益に転じると述べている。2025年度内に構造改革を終えることで収益の出る体質に戻し、黒字化するとの見通しも示した[13][14]。
黒字化そのものは実現した。2025年12月期の有価証券報告書は、中国本土における構造改革の効果が顕在化して黒字転換したと記している。同年11月の説明会でも、中国コーセーが第1から第3四半期のすべてで黒字を確保し、計画を上振れしたと説明された。ただし増益の中身はマーケティング費用の削減と、拠点整理に伴う人件費など管理費の削減であり、売上が戻ったことによるものではなかった[15][16]。
依存の組み替えと、戻ってきた低価格帯
構造改革を公表した同じ日の中長期戦略説明会で、小林一俊社長は「中国一辺倒だった体制に反省がある」(週刊東洋経済 2024/12/28)と述べ、M&Aや提携を含めてインドや東南アジアなどグローバルサウスへの進出を強めると語った。中国市場の悪化に直面した日本の化粧品各社は同じ時期に依存の見直しへ動いており、コーセーの整理も業界全体の動きと重なっていた[17]。
中国そのものが縮んだわけではなかった。2025年度のコーセーコスメポート事業は中国本土と香港で好調に推移し、過去最高だった2018年度の海外売上高の8割近くまで戻している。一方、高価格帯を担う中国本土の事業は2026年5月の時点でも直営店からの撤退と代理店経由への販路切り替えの最中にあり、黒字は維持するものの大幅な利益貢献の段階には至っていないと説明された[18][19]。
- 証券アナリストジャーナル 2000年1月号「コーセー」(小林保清社長講演、1999年12月24日)
- 株式会社コーセー「中国生産子会社持分の譲渡に関するお知らせ」(2017年10月31日)
- 週刊東洋経済 2018年12月29日号「化粧品 平成の教訓 小売りが大きく変化した30年 コーセー名誉会長 小林保清」
- 週刊東洋経済 2024年12月28日号「化粧品 『脱中国』で成長性に格差」
- コーセー 2021年12月期 決算説明会 質疑応答(2022年2月14日)
- コーセー 2024年12月期 第3四半期 決算説明会 質疑応答(2024年11月11日)
- コーセー 2024年12月期 決算説明会 質疑応答(2025年2月12日)
- コーセー 2025年12月期 第3四半期 決算説明会 質疑応答(2025年11月10日)
- コーセー 2025年12月期 決算説明会 質疑応答(2026年2月12日)
- コーセーホールディングス 2026年12月期 第1四半期 決算説明会 質疑応答(2026年5月14日)
- コーセー 有価証券報告書(2024年12月期・連結)
- コーセー 有価証券報告書(2025年12月期・連結)