1929年9月、創業者の鈴木忍氏は[1]静岡県静岡市で個人事業として化粧品の製造販売を開始した[2]。当時の化粧品業界は資生堂・クラブ化粧品・ヘチマコロンといった老舗が百貨店・小売店経由の対面販売を主流としていたなか、鈴木氏は得意先を訪問して肌の状態を見ながら商品を勧める方式を選んだ。[3]販売員が顧客の自宅へ足を運び、肌質・年齢・季節に合わせた製品を選定する流通モデルは、当時としては異端の手法だった。
1940年12月、事業規模の拡大に伴い個人事業を株式会社化し、株式会社ポーラ化粧品本舗(現ポーラ化成工業株式会社)を設立した[4]。1943年8月にポーラ化成工業株式会社へ社名変更し[5]、戦時統制経済下でも化粧品製造の認可を維持した。戦後、1946年7月に鈴木忍氏は販売部門を製造から独立させ、ポーラ[6]商事株式会社(現株式会社ポーラ)を設立した。販売を製造から切り離す決断により、訪問販売員の組織化と製品開発を別組織に任せる分業が始まった。1948年7月には株式会社ポーラ化粧品本舗に社名を戻し[7]、製造のポーラ化成と販売のポーラ商事という二層構造を確立した。
販売の現場を担ったのは、のちにポーラレディーと呼ばれる女性販売員だった[8]。1976年半ばには全国で約13万人を数え、その多くは子育てが一段落した平均年齢35歳前後の主婦で、朝は営業所の朝礼で連絡事項を受け、日中の4〜5時間を担当地域の訪問に充て、1人あたりの月商は平均10万円ほどだった[9]。目標額を押し付けられるものと見るか、少しずつ攻略する対象と見るかで働き方は変わると語る販売員もいた[10]。2代目社長の鈴木常司氏は、化粧品の商売は女性の肌と女心という二つの微妙なものを相手にする仕事であり、同じ製品でも体質によって合う合わないがある以上、売り手が助言役を兼ねて一人ひとりに合う品を選ぶ形が望ましく、それは訪問販売でこそ成り立つと説明していた[11]。
1954年、創業者の長男である鈴木常司氏が2代目社長に就任した[12]。鈴木常司氏は1996年までの約42年間にわたって社長を務め、ポーラブランドの全国展開と海外進出を主導した。1958年4月には香港の取引先と商品輸出契約を締結し[13]、海外市場へ初進出した。1967年6月にPOLA COSMETICS(THAILAND)CO.,LTD.を設立してタイに進出[14]、1974年1月には寶麗化粧品(香港)有限公司を設立[15]して香港での販売を本格化させた。アジア市場への展開は1960〜70年代に進み、訪問販売モデルを輸出するという発想で各国に現地法人を設立した。もっとも拡大の裏では制度の綻びも見え始めた。1976年、鈴木常司氏は組織の肥大化と流通コスト上昇で販売制度に矛盾が目立ち、末端責任者の取り分や組織内の公平さを欠く面が出てきたとし、根幹を揺るがす問題だと認めている[16]。
1984年6月、鈴木常司氏は通信販売事業を担うオルビス[17]株式会社を設立した。訪問販売のポーラとは別ブランドで、当時急成長していた通信販売市場に参入する判断だった。ポーラ本体は1985年4月に実験店舗を開き、創業以来の直接訪問販売の原則を自ら崩した。主婦の在宅率が下がり、会って初めて成り立つ商売が痛手を受けたためである[18]。1987年5月にオルビスは通信販売事業を首都圏で本格展開[19]し、1988年1月に全国展開へ拡大した[20]。化粧品の通信販売は商品のサンプルを顧客に直送し、肌質に合った製品を自宅で試してもらうモデルで、訪問販売とは異なる顧客接点を設けた。1999年9月にはオルビス・ザ・ネット(インターネット販売サイト)を稼働[21]させ、通信販売からEコマースへの移行を業界に先駆けて開始した。2000年8月にはオルビス・ザ・ショップ1号店を出店し[22]、店舗販売も始めた。
ポーラ本体も1989年4月にオーダーシステム化粧品『APEX[23]-i(現アペックス)』を全国発売し、訪問販売員が顧客の肌測定データに基づいて処方を組み立てる仕組みを導入した。同年からはポーラブランドのAPEX-iコーナーが百貨店化粧品売場への進出を開始し[24]、訪問販売だけに依存しない販路の多角化を進めた。1996年に2代目鈴木常司氏が退任し、甥にあたる鈴木郷史氏が3代目社長に就任した[25]。鈴木郷史氏は2005年1月に全国20社あった販売会社をポーラ[26]販売株式会社として統合し、訪問販売員の管理体制を一本化した。4月にはエステと化粧品店を融合した集客型店舗『ポーラ ザ ビューティー』の展開を開始し[27]、訪問販売員が常駐する店舗型サロンへ業態を拡張した。
2004年10月、上海宝麗妍貿易有限公司を設立して中国本土に進出[28]した。1958年の香港進出から46年を経て、本土市場での販売拠点を構えた決断である。中国市場は人口規模と中間層拡大の両面で日本化粧品メーカーにとって最大の成長機会となり、ポーラも訪問販売モデルを中国に持ち込む試みを進めた。一方、オルビス事業も2006年7月に台灣奥蜜思股份有限公司を設立[29]して台湾へ進出し、ポーラとオルビスがそれぞれ独自にアジア展開する体制が整った。
2005年12月、オルビスはプライバシーマークを取得し[30]、訪問販売員が扱う顧客情報の管理体制を制度化した。訪問販売ビジネスは顧客の自宅情報・肌情報・家族構成といった個人情報の蓄積が事業の核心であり、個人情報保護法施行(2005年4月)への対応は業態維持の前提条件だった。同じ2005年には2017年中期経営計画の策定に向けた前段として、グループ内の事業再編が議論された。販売会社の統合・ポーラ ザ ビューティー展開・プライバシーマーク取得は、いずれも訪問販売モデルを近代化するための施策だった。
2006年9月、グループ全体の純粋持株会社として株式会社ポーラ・オルビスホールディングスが設立された[31]。鈴木郷史氏が初代社長に就任し[32]、ポーラ・オルビス・ポーラ化成・不動産事業のピーオーリアルエステートを傘下に統括する体制となった。同年12月には株式会社ピーオーリアルエステートを設立し、グループ保有不動産を集約した[33]。HD化の狙いは、訪問販売のポーラと通信販売のオルビスという異質なチャネルを並走させる構造を、子会社として独立採算で運営しつつ、グループ全体の資本配分と新規ブランド育成を持株会社が担う体制を作ることにあった。
2007年1月、株式会社decencia(現株式会社DECENCIA)を設立し、敏感肌向けスキンケアブランドを立ち上げた。[34]同月、子会社のポーラ販売株式会社を合併し[35]、7月には株式会社ポーラに社名変更した[36]。ポーラ本体は事業会社として再編され、訪問販売と店舗販売の両軸を担う体制となった。2008年3月には臺灣保麗股份有限公司を設立して台湾進出[37]、2008年9月にはオルビスも奥蜜思商貿(北京)有限公司を設立[38]して中国進出を果たした。グループ全体で台湾・中国・タイ・香港のアジア4拠点体制が整った。
2010年12月、ポーラ・オルビスHD[39]は東京証券取引所市場第一部に株式を上場した。設立から約4年での直接上場であり[40]、当時としては異例の早さだった。上場時の連結売上高は2009年12月期で1,623億円、経常利益103億円という規模で、ポーラ・オルビス両ブランドが連結業績の中核を担う構造だった。上場により調達した資金は、海外展開とブランド多角化に振り向けられた。同年には鈴木常司元社長の所有していた美術品コレクション(ポーラ美術館収蔵分)の一部譲渡なども進められ、上場企業としてのグループ資本構成が整えられた。
2011年から2017年にかけて、ポーラ・オルビスHDは持株会社の機動性を生かしてブランドポートフォリオを拡大した。2011年7月には宝麗(中国)美容有限公司を設立して中国本土でのポーラ販売を本格化した[41]。2012年にはオーストラリアのオーガニック化粧品会社『Jurlique International Pty. Ltd.』を買収し、海外プレミアム自然派ブランドをグループに取り込んだ。Jurlique買収はグループ初の本格的な海外M&Aで、グローバル展開の柱として位置付けられた。2010年代前半には新ブランド『THREE』『ITRIM』『Amplitude』も社内ベンチャー的に立ち上げ、グループとしてのブランド数は2010年代半ばに10超まで増加した。
2015年12月期の連結売上高は2,147億円、営業利益225億円、純利益140億円と、上場後5年でほぼ安定した成長を実現した。同年からビューティケア事業と不動産事業の2セグメント体制に整理し[42]、化粧品関連を一括してビューティケア事業に集約した。2016年12月期には連結売上高2,184億円、営業利益268億円、2017年12月期には2,443億円・営業利益388億円と、ポーラ『リンクルショット』(2017年1月発売)のヒットにより業績は最高益圏まで上昇した。『リンクルショット メディカル セラム』は厚生労働省承認の薬用シワ[43]改善医薬部外品の第一号として発売され、ポーラブランドの百貨店・直営店での売上を押し上げた。
2017年2月、ポーラ・オルビスHDは『2017〜2020年中期経営計画』を発表した。同計画では、グループのブランドポートフォリオを『育成ブランド』と『主力ブランド』に分け、収益性の低い事業を整理する方針を示した。同時に、pdc・フューチャーラボ事業を譲渡(売上△800百万円)、医薬品デュアック販売権の減損損失4,425百万円、Jurlique無形固定資産減損9,386百万円を計上した。固定資産(不動産・美術品)譲渡益7,221百万円を併せて整理し、グループの事業構造を化粧品中心へ絞り込む財務処理を実施した。2017年12月期の純利益は271億円と過去最高水準に達したが、これは構造改革に伴う特別損益の整理を含んだ結果だった。
中期経営計画の背景には、グループ拡大期に取り込んだ事業のうち、化粧品本流から外れる領域の収益性が伸び悩んだ事情があった。pdc・フューチャーラボはマスマーケット向けスキンケアとして1990年代から運営してきた事業だが、業績寄与は限定的で、譲渡判断は化粧品グループとしてのブランド体系を整える布石となった。医薬品事業(デュアックを中核とするザイア事業)はJurliqueとともに2010年代前半に取得した非化粧品領域だが、買収後の市場環境変化で計画通りの収益が出ず、2019年1月の全株式譲渡まで段階的な縮小が続いた。2017年中計はグループのブランドポートフォリオを次の局面に整える分水嶺だった。
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|---|---|---|---|---|
| 1929〜2005年訪問販売の祖業と一族経営による化粧品グループの形成 | 鈴木忍が個人事業として創業 | ★ | ||
| 個人事業を化しポーラ化粧品本舗を設立 | ★ | |||
| ポーラ化成工業に商号変更 | ★ | |||
| 鈴木忍がポーラ商事を設立し販売部門を独立 | ★★ | |||
| ポーラ化粧品本舗に商号変更 | ★ | |||
| 静岡工場を完成 | ★ | |||
| 取引先と商品輸出契約を締結 | ★ | |||
| 横浜工場を完成 | ★ | |||
| 横浜研究所を完成 | ★ | |||
| POLA COSMETICS(THAILAND)CO.,LTD.を設立 | ★ | |||
| 寶麗化粧品有限公司を設立し香港での販売を本格化 | ★ | |||
| 袋井工場を完成 | ★ | |||
| 通信販売専業オルビスの設立と二本柱化 1984年6月、ポーラの2代目社長・鈴木常司氏が、訪問販売の祖業とは別に、通信販売を専業とするオルビス株式会社を設立した。対面に依存しない第二の顧客接点を、別会社・別ブランドとしてグループ内に築いた経営判断であった。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 通信販売事業を首都圏で本格展開 | ★★ | |||
| 通信販売事業を全国へ拡大 | ★ | |||
| オーダーシステム化粧品APEX-iを全国発売 | ★★ | |||
| ポーラブランドで百貨店への出店を開始 | ★★ | |||
| 中央研究所を完成 | ★ | |||
| オルビス・ザ・ネットを稼働しインターネット販売を本格展開 | ★★ | |||
| オルビス・ザ・ショップ1号店を出店し店舗販売を本格展開 | ★ | |||
| 上海宝麗妍貿易有限公司を設立 | ★ | |||
| 全国の20販売会社をポーラ販売として統合 | ★★ | |||
| エステと化粧品店を融合した集客型店舗ポーラ ザ ビューティーの展開開始 | ★★ | |||
| 2006〜2017年純粋持株会社化と東証一部上場 | 鈴木郷史 | 純粋持株会社化と東証一部への直接上場 2006年9月、鈴木郷史氏が率いるポーラグループが純粋持株会社ポーラ・オルビスホールディングスを設立し、訪問販売のポーラと通信販売のオルビスを独立採算の子会社として束ねた。2010年12月には設立から約4年で東京証券取引所市場第一部へ直接上場し、家業から化粧品専業ホールディングスへと経営の骨格を組み替えた。 詳細を読む | ★★★ | |
| 鈴木郷史 | 宝麗美容有限公司を設立 | ★ | ||
| 鈴木郷史 | オルビス中国インターネット通販を開始 | ★ | ||
| 鈴木郷史 | 豪ジュリークの買収による初の本格海外M&A 2011年11月、ポーラ・オルビスホールディングスが豪州のオーガニック化粧品ジュリークを約228億円で買収し、翌2012年2月に全株式を取得した経営判断。2006年の持株会社化と2010年の上場で得た機動力を初の本格的な海外M&Aへ振り向け、海外プレミアム自然派をグループの柱に育てようとした、鈴木郷史社長のもとでの決断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 鈴木郷史 | 静岡工場と袋井工場の統合により静岡工場を閉鎖 | ★ | ||
| 2018〜2025年海外ブランド再編と次世代体制への移行 | 横手喜一 | 創業家3代目から専門経営者への社長交代 2022年12月、ポーラ・オルビスホールディングスは次世代の経営体制への移行を発表し、2023年1月1日付で横手喜一氏が代表取締役社長に就いた。創業家の3代目としてグループを率いてきた鈴木郷史氏は代表権のある会長へ移り、家業として始まった化粧品グループの指揮を、創業家から一族の外の専門経営者へ委ねる承継であった。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(ポーラ・オルビスホールディングス)