豪ジュリークの買収による初の本格海外M&A

持株会社の機動力で買った海外の柱は、なぜ減損で畳まれていったか

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時期 2011年11月
意思決定者 鈴木郷史 ポーラ・オルビスホールディングス 社長
論点 海外展開とブランドポートフォリオ
概要
2011年11月、ポーラ・オルビスホールディングスが豪州のオーガニック化粧品ジュリークを約228億円で買収し、翌2012年2月に全株式を取得した経営判断。2006年の持株会社化と2010年の上場で得た機動力を初の本格的な海外M&Aへ振り向け、海外プレミアム自然派をグループの柱に育てようとした、鈴木郷史社長のもとでの決断。
背景
国内化粧品市場の成熟と、海外売上高比率が約3%にとどまる手薄さ。持株会社化と上場で資本と機動力を得たグループは、自前で海外の柱を育てる時間を買う手立てとして、確立したブランドの買収を選んだ。
内容
主要株主から全株式を取得して完全子会社化し、買収額は約228億円(3億豪ドル)にのぼった。ジュリークは20カ国・地域に販売網を持ち、中国の販売店を約3倍の300店強へ増やす構想を掲げ、海外売上高比率を2020年までに20%へ引き上げる長期目標の中核に据えられた。
含意
買収後、中国・豪州で計画に届かず、2017年・2018年と減損が続いた。2018年12月期にはジュリーク中国からの撤退を決め、約113億円の減損を計上。売上・営業利益が最高水準にありながら、純利益は特別損失で84億円へ沈み、持株会社の器で買った柱が減損で畳まれる、多ブランド経営の授業料となった。
筆者の見解

多ブランドの器と、減損の反復

この買収の底にあったのは、持株会社という器がもたらした機動力であった。上場で得た資本を元手に、自前では時間のかかる海外の柱を、確立したブランドごと一度に抱える——器の論理からすれば、ジュリークの買収は理にかなった選択であったとみることができる。ただ、中国のインバウンド需要に多くを頼った売り上げと、現地で事業を根づかせることの難しさが、買った柱の価値を年を追って削っていった。売上と営業利益が最高でも純利益が沈むという決算に、海外M&Aの代償が凝縮されているとみられる。

ジュリークの減損は、単発の失敗では終わらなかった。その後もAmplitudeやITRIMの撤退、買収したFUJIMIののれん減損と、持株会社の器で抱えた事業が減損で畳まれる場面は繰り返された。多くのブランドを機動的に出し入れできる強みは、抱えた数だけ減損の芽を抱えることと、表と裏の関係にある。買って育てる構想が、買って畳む決算へと折り返していく——ポーラ・オルビスが初の海外M&Aで得たものは、海外の柱そのものよりも、多ブランド経営の授業料であったのかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

持株会社が得た機動力と、手薄な海外

ポーラ・オルビスホールディングスは、2006年に純粋持株会社へ移行し、2010年12月に東京証券取引所第一部へ上場して、資本と経営の機動力を得ていた。傘下には訪問販売のポーラと通信販売のオルビスという国内の二本柱を抱えていたが、稼ぎのほとんどは国内にとどまり、海外売上高比率は約3%にすぎなかった。国内の化粧品市場が成熟へ向かうなかで、次の成長を海外に求める必要は高まっていた。自前でブランドを育てて海外へ広げるには時間がかかる。持株会社の器を得たグループは、その時間を買う手立てとして、確立したブランドの買収へ目を向けていた[1][2]

2010年代の前半、グループは持株会社の機動力を生かしてブランドの数を増やしていた。社内ベンチャーの発想で「THREE」「ITRIM」「Amplitude」を相次いで立ち上げ、抱えるブランドは2010年代半ばに十を超えた。多くのブランドを並べ、資本配分と育成を持株会社が束ねる——その体制のなかで、海外のプレミアム市場に手が届く既存ブランドを取り込む選択が浮かんだ。ナチュラルオーガニックという、ポーラにもオルビスにもない領域を、買収によって一度に抱える構想であった[3]

豪ジュリークという標的

標的となったジュリークは、オーストラリアのオーガニック化粧品会社であった。自社農園で育てた植物を原料とするナチュラルオーガニックの草分けとして知られ、豪州や中国など世界20カ国・地域に販売網を広げていた。とりわけ中国・香港では高い成長が見込まれ、成分の自然志向というブランドの色は、機能や高級感を軸にしてきたポーラ・オルビスの品ぞろえには薄かった。国内では育てにくいこの領域を、確立したブランドごと取り込めば、海外の柱を短い時間で立てられるとみていた[4]

決断

228億円の初の本格海外M&A

2011年11月30日、ポーラ・オルビスホールディングスはジュリークの買収を発表した。買収額は約228億円(3億豪ドル、1豪ドル76円換算)にのぼり、主要株主やジュリークの役員らから全株式を取得して、翌2012年2月に完全子会社化を完了した。グループにとって初の本格的な海外M&Aであった。国内で稼いだ資金と上場で得た資本を、初めてまとめて海外の一社へ振り向けた買収であり、持株会社という器を作って5年、その器を海外へ向けて動かした最初の踏み込みであった[5]

買収の狙いは、海外展開を一気に速めることに置かれた。ジュリークは20カ国・地域の販売網を持ち、なかでも中国の販売店を当時の約3倍にあたる300店強へ増やす構想を掲げていた。ポーラ・オルビスも中国事業を伸ばしており、両者を組み合わせれば販売面での相乗が見込めると判断した。グループは2020年までに、当時約3%にとどまっていた海外売上高比率を20%(500億円)以上へ引き上げる中長期の目標を掲げており、ジュリークはその達成を担う海外の柱として期待された[6]

多ブランド戦略の海外版として

この買収は、単独の賭けというより、多くのブランドを機動的に出し入れするというグループの型に沿った一手であった。同じ時期に社内で育てていた新ブランド群と並べ、育成に時間のかかる領域は買収で補い、資本配分を持株会社が束ねる。ジュリークはその海外版で、自前で育てる時間を資金で買う選択であった。異質なチャネルとブランドを一つの器に抱え、必要に応じて足し引きするという構えが、初の海外M&Aという踏み込みを後押ししていた[7]

結果

伸び悩みと、減損の連鎖

買収後のジュリークは、描いた成長曲線に届かなかった。中国と豪州での売り上げが計画を下回り、買って取り込んだブランドの価値は、時間とともに帳簿の上で目減りしていった。2017年2月、グループは中期経営計画でブランドを育成と主力に選別し、あわせてジュリークの無形固定資産について9,386百万円の減損損失を計上した。同じ整理のなかで、医薬品デュアックの販売権にも4,425百万円の減損を計上しており、拡大期に抱えた非化粧品と海外ブランドの双方が、収益の実力を問われはじめていた[8]

整理は翌年に一段と深まった。2018年12月期、グループはジュリークの中国からの撤退を決め、ジュリークの減損損失11,331百万円と、医薬品事業の譲渡損失10,056百万円をあわせて計上した。特別損失は22,919百万円にのぼった。売上高2,486億円・営業利益395億円といずれも当時の最高水準にありながら、純利益は前期の271億円から84億円へ沈んだ。本業の稼ぐ力が伸びるなかで、買った柱の後始末が200億円規模で利益を削り取っていた[9][10]

出典・参考