ポーラ・オルビスホールディングス オルビスの設立 通信販売の専業会社を別に立てることによる、販路の二本柱化

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時期 1984年6月
論点 チャネル戦略とブランド構成
何をなぜ決めたか
概要

1984年6月、ポーラの2代目社長・鈴木常司氏が、訪問販売の祖業とは別に、通信販売を専業とするオルビス株式会社を設立した。対面に依存しない第二の顧客接点を、別会社・別ブランドとしてグループ内に築いた経営判断であった。

背景

訪問販売はポーラレディーの対面カウンセリングに強みを持つ一方、主婦の在宅率の低下と都心部の不振、販売員の定着難という構造的な頭打ちに直面していた。働く女性や都市の単身世帯を取りこぼす死角を抱えていた。

内容

訪販ブランドのポーラを温存したまま、別会社のオルビスで通信販売に参入した。サンプルの直送と自宅トライアルという非対面・低関与の接点を設け、1987年に首都圏、1988年に全国へと広げた。

含意

対面と非対面という相容れないモデルを一社で並走させた判断は、通販からEC・店舗への多面化と、2006年の持株会社体制の前提を作った。グループ名にオルビスが刻まれた点にその定着が表れている。

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筆者の見解
筆者の見解

異質を同居させる組織

この判断の核心は、強みを持つ会社が、あえてその強みと相容れないモデルを自らの内側に立てた点にある。訪問販売で成長したポーラにとって、対面を介さない通信販売は祖業の否定にもなりかねない選択であった。それでも鈴木常司氏は、既存の強みを守るために新しい接点を排するのではなく、名と組織を分けることで両者を同居させる道を選んだ。取りこぼしていた顧客を、祖業を傷つけずに迎え入れる——その割り切りが、後年のブランド多角化の原型になったと推察される。

対面と非対面という異質な二つのモデルを一社で抱える構図は、2006年の持株会社化、すなわち複数のブランドを独立採算で統括し、必要に応じて出し入れする体制の前提にもなった。1984年に別会社として切り出された通販ブランドが、40年を経てなおグループ名の一角を占めている姿からは、化粧品という肌に触れる商いが、単一の売り方に縛られない幅を持つことがうかがえる。強みに閉じこもらず、その隣に反対のモデルを置いておく——そうした構えの始まりが、このオルビス設立にあったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
同じ問いに直面した会社

同じ問いに直面した会社

販路の転換1984年ユニー専業会社を立てる形をとったコンビニエンスストア事業への参入大型店規制下での出店手段と第二の収益源
1984年第一勧業銀行都市銀行初となる消費者金融専門会社の設立と、取引先企業との提携ローンの導入個人向け無担保融資への参入
1982年山崎製パン自前のコンビニ網の構築による小売チャネルの内製化販路の自前化と小売業態の保有
1981年伊藤園無糖のウーロン飲料という新市場の開拓と、飲料業界への進出主力事業の季節変動と新規事業
1979年大王製紙ティシューペーパーを起点とした紙おむつ・ナプキンへの品目拡大家庭紙への参入と販路の構築
隣接領域への展開2000年アスクルインターネット受注に特化した法人向け販売モデルの確立EC受注チャネルの確立と物流網の統合
1959年YKK余ったアルミ合金の使い道として選んだ新分野への進出ファスナー専業を続けるか、自社で余るアルミ合金を別の製品に振り向けるか
1953年岩谷産業家庭用LPガスを全国へ届ける流通体制の構築と販売の転換事業領域の転換と流通網構築
2022年ライフネット生命保険業務提携を足がかりとした団体信用生命保険事業への参入販売チャネルの多重化と収益構造
2000年損害保険ジャパン生保営業職員を通じた損害保険販売という新たな販路の獲得自由化下の販売チャネルと生損保の相互乗り入れ
参考文献
出典・参考
  • ポーラ・オルビスホールディングス 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
  • ポーラ・オルビスホールディングス 有価証券報告書(2009年12月期)
  • 日経ビジネス 1979年11月5日号
  • 近代中小企業 1986年1月号
  • 近代中小企業(1984年・グループ売上の推定値)

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