コーセーホールディングス の歴史

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創業 1946年
創業者 小林孝三郎
創業地 東京都北区王子
創業
1946年3月、小林孝三郎氏が東京都北区王子に小林合名会社を設立した。資金の裏づけを持たない小林氏は、小売店から先に協約金を受け取ってから商品を配給する協約販売制度を作り、わずかな商品でも運賃を自社で負担して地方の小売店へ1軒ずつ送っている。1948年6月に株式会社小林コーセーへ改組し、1951年11月には販売部門をコーセー商事として分離した。量ではなく質を求めると表明した小林氏は、1963年5月にフランスのロレアルと技術提携を結び、翌1964年に狭山工場と研究所を設けている。1991年8月にコーセー、2026年1月にコーセーホールディングスへ商号を変えた。
決断
同じ商品をすべての売り場へ流すのをやめ、売り場の数だけブランドを用意してきた。1970年に百貨店向けの高級ブランド、コスメデコルテを発売し、1985年には和漢植物エキスを配合した雪肌精を加える。1988年には自社製品を扱うコーセー化粧品販売と、一般品ルートのコーセーコスメポートを別々に設立した。1991年8月にはCI導入にあわせて小林コーセーからコーセーへ商号を変え、百貨店・専門店・量販店・ドラッグチェーンのそれぞれに専用ブランドを開発する方式へ切り替える。2014年3月には米国のタルトの株式93.5%を取得し、工場も研究所も持たないブランドを会社ごと取得して北米の売り場に入った。
現況
売上の8割を占める高価格帯より、量販店向けの低価格帯のほうが利益率は高い。2025年12月期の連結売上高3,301億円は化粧品事業2,623億円とコスメタリー事業644億円に分かれ、営業利益はそれぞれ167億円と62億円で、利益率は6.4%と9.7%と逆転している。地域別では日本2,153億円、北米618億円、アジア441億円で、2024年11月に中国の生産子会社を譲渡し在庫と店舗を整理した。2026年1月には純粋持株会社体制へ移行し、創業家以外から社長を選んでいる。売上高が最高益だった2019年3月期の水準まで回復しても、経常利益は540億円の4割にとどまる。
競合
外国のメーカーを、締め出す相手ではなく技術の入口として迎えてきた。資本の自由化を控えた1963年にロレアルと提携し、2001年8月の合弁解消まで38年続けている。同じ期間、資生堂は1923年に作った販社の網で価格を握り、1997年に化粧品の再販価格維持を撤廃する。ポーラ・オルビスホールディングスは1984年に通信販売専業のオルビスを設けて、売り場を持たない経路を作った。コーセーは1999年12月の店頭登録時点で売上シェア8.4%の3位だったが、2017年3月期には経常利益396億円と資生堂の371億円を初めて上回っている。外から技術を借りた会社は、外から取得したブランドの採算では先行2社に及ばず、タルトの営業利益率は2025年度で7.9%にとどまる。
コーセーホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2025年12月期

創業ストーリー 協約販売制度と量より質を選んだ化粧品事業の創業(1946〜1969) (1946年〜)

小売店から先に資金を集めた協約販売制度

コーセーは、1946年3月に小林孝三郎氏が東京都北区王子に設立した小林合名会社[1]に始まる。敗戦の焦土で国民が生活不安に怯えていた時期に、小林氏は化粧品が人々の心を明るくし、復興の一助を担うと考えて創業した[2]。資金の裏づけを持たなかった小林氏は、小売店から先に協約金を受け取ってから商品を配給する協約販売制度[3]をつくり、全国の小売店に声をかけて回った。わずかな商品でも荷づくりし、運賃を負担して物資のない地方の小売店へ1軒ずつ送った[4]。1948年6月には会社組織を変更し、株式会社小林コーセーを設立した[5]

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1946年3月に小林孝三郎が東京都北区王子に小林合名会社を設立
    • [5]1948年6月に会社組織を変更し株式会社小林コーセーを設立
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [2]小林孝三郎は化粧品が復興の一助を担うと考えて創業した
    • [3]小売店から先に協約金を受け取って商品を配給する協約販売制度をつくった
    • [4]わずかな商品でも荷づくりし運賃を負担して地方の小売店へ1軒ずつ送った

1951年11月には販売部門を分離してコーセー商事を設立し[6]、製造と販売を別の会社に置いた。同じ年に発売した『パーライトスキン』は、結晶ができない機能を備え、長く売れる商品になった[7]。当時は品物さえあれば売れた時代で、粗悪品も出回っていた[8]。小林氏は品質に見合わない価格で売られる状況を憂い、原料と香料はできる限り高品質のものを選んだ[9]。大量に生産して規模を広げるべきだという声も社内にはあったが、小林氏は量ではなく質を求めると表明し、優秀な商品の開発と組織・人材の育成に力を傾け、小さくても優れた内容で戦える企業を目指すと述べた[10]

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [6]1951年11月に販売部門を分離しコーセー商事を設立
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [7]1951年に発売したパーライトスキンは結晶ができない機能を備えたロングセラーになった
    • [8]創業期の1950年代は品物さえあれば売れた時代で粗悪品も横行していた
    • [9]小林孝三郎は原料と香料をできる限り高品質のものにする方針を取った
    • [10]小林孝三郎は量より質を求めると表明し小さくても優れた内容で闘える企業を目指すと述べた
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1946年3月に小林孝三郎が東京都北区王子に小林合名会社を設立
    • [5]1948年6月に会社組織を変更し株式会社小林コーセーを設立
    • [6]1951年11月に販売部門を分離しコーセー商事を設立
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [2]小林孝三郎は化粧品が復興の一助を担うと考えて創業した
    • [3]小売店から先に協約金を受け取って商品を配給する協約販売制度をつくった
    • [4]わずかな商品でも荷づくりし運賃を負担して地方の小売店へ1軒ずつ送った
    • [7]1951年に発売したパーライトスキンは結晶ができない機能を備えたロングセラーになった
    • [8]創業期の1950年代は品物さえあれば売れた時代で粗悪品も横行していた
    • [9]小林孝三郎は原料と香料をできる限り高品質のものにする方針を取った
    • [10]小林孝三郎は量より質を求めると表明し小さくても優れた内容で闘える企業を目指すと述べた

ラボンヌの成功とロレアルからの技術導入

1957年に発売した高級化粧品『ラボンヌ』は大きく売れ、会社を躍進させた[11]。コーセーは高価であることではなく、効果があること[12]を目指した。1962年には日本人の肌に合わせて美容効果を高めた『オーリック』を発売した[13]。1951年のパーライトスキン、1957年のラボンヌ、1962年のオーリックと、創業から15年ほどのあいだに主力商品を重ねた[14]。1999年の講演で小林保清社長は、創業当時から商品開発について業界内で定評があったと述べ、画期的な新製品を多数開発してきたことを同社の強みの筆頭に挙げた[15]

  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [11]1957年発売の高級化粧品ラボンヌが大ヒットしコーセーは大きく躍進した
    • [12]コーセーが目指したのは高価=高級品ではなく効果=高級品だった
    • [13]1962年に日本人の肌に合わせて美容効果を高めたオーリックを発売
    • [14]1951年パーライトスキン・1957年ラボンヌ・1962年オーリックと主力商品を重ねた
    • [15]小林保清社長は1999年の講演で創業当時から商品開発に業界内で定評があったと述べた

1956年3月には高級化粧品の製造会社として株式会社アルビオンを設立[16]した。アルビオンは高級化粧品の製造を担う会社として置かれ[17]、コーセー本体とは別の商品群を扱った。1956年の設立は、ロレアルとの技術提携より7年早い[18]。1999年時点でアルビオンは連結子会社として高付加価値の化粧品を担い、コーセー本体の売上に対する連結の倍率を1.8倍に押し上げる一因となった[19]小林保清社長は同年の講演で、親会社と関係会社が役割を分担する形をコーセーの特徴の一つに数えた[20]。1999年9月中間期の連結決算でも、アルビオンの高付加価値化粧品が好調に推移した[21]

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [16]1956年3月に高級化粧品の製造会社として株式会社アルビオンを設立
    • [17]アルビオンは高級化粧品の製造会社として設立され化粧品製造・卸売を担う
    • [18]アルビオン設立(1956年3月)はロレアルとの技術提携(1963年5月)より7年早い
    • [19]1999年時点で売上高の連単倍率は1.8倍だった
    • [20]小林保清社長は親会社と関係会社が役割分担する形を特徴の一つに挙げた
    • [21]1999年9月中間期の連結でアルビオンの高付加価値化粧品が好調だった

1963年5月、コーセーはフランスのロレアル社と技術提携を結んだ[22]。この関係は2001年8月に合弁契約を解消するまで38年続いた[23]。翌1964年6月には埼玉県に狭山工場を設け、同年8月には東京都北区に研究所を開き[24]、1965年3月には本社を東京都中央区日本橋へ移した[25]。研究所は現在のコーセー製品開発研究所にあたり[26]、狭山工場とあわせて提携の翌年に設けられた。1968年9月には香港に香港高絲私人有限公司を設立し[27]、海外での販売を始めた。同社は現在の高絲香港有限公司にあたる[28]。1965年に移った日本橋の地には、2026年時点でも本店を置いている[29]

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [22]1963年5月にフランスのロレアル社と技術提携し2001年8月に合弁契約を解消
    • [23]ロレアルとの提携は1963年5月から2001年8月の合弁契約解消まで38年続いた
    • [24]1964年6月に埼玉県に狭山工場を設置、同年8月に東京都北区に研究所を開設
    • [25]1965年3月に本社を東京都中央区日本橋へ移転
    • [26]1964年8月開設の研究所は現在のコーセー製品開発研究所
    • [27]1968年9月に香港に香港高絲私人有限公司を設立
    • [28]香港高絲私人有限公司は現在の高絲香港有限公司
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)表紙
    • [29]2026年時点の本店所在地は東京都中央区日本橋三丁目6番2号
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [11]1957年発売の高級化粧品ラボンヌが大ヒットしコーセーは大きく躍進した
    • [12]コーセーが目指したのは高価=高級品ではなく効果=高級品だった
    • [13]1962年に日本人の肌に合わせて美容効果を高めたオーリックを発売
    • [14]1951年パーライトスキン・1957年ラボンヌ・1962年オーリックと主力商品を重ねた
    • [15]小林保清社長は1999年の講演で創業当時から商品開発に業界内で定評があったと述べた
    • [19]1999年時点で売上高の連単倍率は1.8倍だった
    • [20]小林保清社長は親会社と関係会社が役割分担する形を特徴の一つに挙げた
    • [21]1999年9月中間期の連結でアルビオンの高付加価値化粧品が好調だった
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [16]1956年3月に高級化粧品の製造会社として株式会社アルビオンを設立
    • [17]アルビオンは高級化粧品の製造会社として設立され化粧品製造・卸売を担う
    • [18]アルビオン設立(1956年3月)はロレアルとの技術提携(1963年5月)より7年早い
    • [22]1963年5月にフランスのロレアル社と技術提携し2001年8月に合弁契約を解消
    • [23]ロレアルとの提携は1963年5月から2001年8月の合弁契約解消まで38年続いた
    • [24]1964年6月に埼玉県に狭山工場を設置、同年8月に東京都北区に研究所を開設
    • [25]1965年3月に本社を東京都中央区日本橋へ移転
    • [26]1964年8月開設の研究所は現在のコーセー製品開発研究所
    • [27]1968年9月に香港に香港高絲私人有限公司を設立
    • [28]香港高絲私人有限公司は現在の高絲香港有限公司
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)表紙
    • [29]2026年時点の本店所在地は東京都中央区日本橋三丁目6番2号

外資系ブランドの躍進に高級品コスメデコルテで対抗する

1970年、コーセーは高級ブランド『コスメデコルテ』を発売した[30]。百貨店で外資系ブランドが売り場を広げるなかで[31]、小林孝三郎氏が長く思い描いてきた高級品の構想を商品にした。1976年には業界に先駆けてパウダーファンデーション『フィットオン』を売り出した[32]

  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [30]1970年に高級ブランド コスメデコルテを発売
    • [31]百貨店で外資系ブランドが躍進するなかでコスメデコルテを投入した
    • [32]1976年に業界に先駆けたパウダーファンデーション フィットオンを発売

生産の側でも成果が出た。1980年、コーセーは日本の化粧品メーカーとして初めてデミング賞事業所表彰を受けた[33]。品質管理の活動が外部から認められた形で、後年には海外メーカーからのOEM生産を引き受け、全工場でISO9002の認証を取得した[34]。1979年6月には群馬県に群馬工場を設けた[35]。1981年3月には小林孝三郎氏の子である小林禮次郎氏が代表取締役社長に就き[36]、経営を引き継いだ。1985年には和漢植物エキスを配合した化粧水『雪肌精』を発売した[37]。雪肌精はその後も売られ続け、2025年時点では海外でも展開する主力ブランドの一つになっている[38]

    • [33]1980年に日本の化粧品メーカーとして初めてデミング賞事業所表彰を受賞
    • [34]海外メーカーのOEM生産を受け全工場でISO9002の認証を取得した
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [35]1979年6月に群馬県に群馬工場を設置
  • コーセー 有価証券報告書 第64期(2006年3月期)【役員の状況】
    • [36]1981年3月に創業者の長男 小林禮次郎が代表取締役社長に就任
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [37]1985年に和漢植物エキス配合の化粧水 雪肌精を発売
  • コーセー 2024年12月期 決算説明会 質疑応答(2025年2月12日)
    • [38]雪肌精は2025年時点でグローバル展開する主力ブランドの一つ
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [30]1970年に高級ブランド コスメデコルテを発売
    • [31]百貨店で外資系ブランドが躍進するなかでコスメデコルテを投入した
    • [32]1976年に業界に先駆けたパウダーファンデーション フィットオンを発売
    • [37]1985年に和漢植物エキス配合の化粧水 雪肌精を発売
    • [33]1980年に日本の化粧品メーカーとして初めてデミング賞事業所表彰を受賞
    • [34]海外メーカーのOEM生産を受け全工場でISO9002の認証を取得した
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [35]1979年6月に群馬県に群馬工場を設置
  • コーセー 有価証券報告書 第64期(2006年3月期)【役員の状況】
    • [36]1981年3月に創業者の長男 小林禮次郎が代表取締役社長に就任
  • コーセー 2024年12月期 決算説明会 質疑応答(2025年2月12日)
    • [38]雪肌精は2025年時点でグローバル展開する主力ブランドの一つ

アジアへの現地法人設置と一般品ルートへの進出

1971年8月のシンガポール、1972年11月のマレーシア、1984年9月のタイと台湾、1988年1月の中国[39]と、コーセーはアジアに現地の会社を順に置き、台湾には製造機能を持たせて、のちに新竹工場を加えた[40]。国内では1985年10月にサロンルートの化粧品を扱う株式会社クリエを設立し[41]、美容室という別の販路に商品を供給した。1971年のシンガポールの会社は現在のKOSÉ SINGAPORE PTE.LTD.[42]、1972年のマレーシアの会社は現在のKOSÉ (MALAYSIA) SDN. BHD.にあたる。サロンルートを担うクリエは、のちにコーセープロフェッショナルへ社名を変えた[43]

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [39]1971年8月シンガポール、1972年11月マレーシア、1984年9月タイと台湾、1988年1月中国に現地法人を設立
    • [40]台湾高絲は製造機能を持ち後年に新竹工場を設置した
    • [41]1985年10月にサロンルート化粧品販売の株式会社クリエを設立
    • [42]シンガポール・マレーシアの現地法人は現在のKOSÉ SINGAPORE/KOSÉ (MALAYSIA)
    • [43]クリエは現在のコーセープロフェッショナル

1988年、コーセーは国内の販売体制を二つに割った[44]。4月に自社製品の販売会社コーセー化粧品販売を設立し[45]、7月には一般品ルートの化粧品販売会社コーセーコスメポートを設立した[46]。後者は、顧客層を広げるために手頃な価格の商品を届ける役割を負った[47]。百貨店や化粧品専門店で対面販売する高価格帯と、量販店で選んで買う低価格帯[48]とを、別の会社が別の商品で担った。コーセーコスメポートが扱う一般品ルートは、セルフ販売と呼ばれる形態にあたる[49]。二つの区分は1999年時点でも化粧品事業とコスメタリー事業として残り、それぞれ売上の76%と20%を占めた[50]

  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [44]1988年に販売会社を2社設立し国内販売体制を二分した
    • [45]1988年4月に自社製品の販売会社コーセー化粧品販売を設立
    • [46]1988年7月に一般品ルートの化粧品販売会社コーセーコスメポートを設立
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [47]コーセーコスメポートは顧客層拡大のため手頃な価格の商品を提供する役割で設立された
    • [48]カウンセリング販売は百貨店・専門店、セルフ販売はドラッグストア・量販店が担った
    • [49]一般品ルートはセルフ販売=コスメタリー事業にあたる
    • [50]1999年時点で化粧品事業76%・コスメタリー事業20%
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
    • [39]1971年8月シンガポール、1972年11月マレーシア、1984年9月タイと台湾、1988年1月中国に現地法人を設立
    • [40]台湾高絲は製造機能を持ち後年に新竹工場を設置した
    • [41]1985年10月にサロンルート化粧品販売の株式会社クリエを設立
    • [42]シンガポール・マレーシアの現地法人は現在のKOSÉ SINGAPORE/KOSÉ (MALAYSIA)
    • [43]クリエは現在のコーセープロフェッショナル
    • [44]1988年に販売会社を2社設立し国内販売体制を二分した
    • [45]1988年4月に自社製品の販売会社コーセー化粧品販売を設立
    • [46]1988年7月に一般品ルートの化粧品販売会社コーセーコスメポートを設立
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」
    • [47]コーセーコスメポートは顧客層拡大のため手頃な価格の商品を提供する役割で設立された
    • [48]カウンセリング販売は百貨店・専門店、セルフ販売はドラッグストア・量販店が担った
    • [49]一般品ルートはセルフ販売=コスメタリー事業にあたる
    • [50]1999年時点で化粧品事業76%・コスメタリー事業20%

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コーセーホールディングスの沿革1946〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1946〜1969年協約販売制度と量より質を選んだ化粧品事業の創業(1946〜1969)化粧品の製造販売を目的に東京都北区で小林合名会社を設立★★★
会社組織を変更し小林コーセーを設立★★
販売部門を分離しコーセー商事を設立★★
高級化粧品の製造会社アルビオンを設立★★
フランス・ロレアル社との技術提携と、外資との合弁の受け入れ

1963年5月、株式会社小林コーセー(現コーセーホールディングス)がフランスのロレアル社と技術提携を結んだ経営判断。提携は技術の導入にとどまらず合弁の形を伴い、2001年8月に合弁契約を解消するまで38年続いた。ロレアルの側から見れば、この年が日本に上陸した年にあたる。

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★★★
埼玉県に狭山工場を設置
東京都北区に研究所を開設
東京都中央区日本橋に本社を移転
香港に香港高絲私人有限公司を設立
1970〜1990年コスメデコルテと雪肌精、価格帯で分けた二重展開(1970〜1990)シンガポールに新加坡高絲私人有限公司を設立
マレーシアに高絲化粧品(馬)有限公司を設立
群馬県に群馬工場を設置
小林禮次郎タイにKOSÉ (THAILAND) CO., LTD.を設立
小林禮次郎台湾に台湾高絲股份有限公司を設立
小林禮次郎サロンルート化粧品販売のクリエを設立
小林禮次郎中国に春絲麗有限公司を設立★★
小林禮次郎自社製品の販売会社コーセー化粧品販売を設立★★
小林禮次郎一般品ルートの販売会社コーセーコスメポートを設立★★
1991〜2006年CI導入と販路別ブランド、株式公開までの再構築(1991〜2006)小林禮次郎CI導入による販路別ブランド開発への転換と、小林コーセーからコーセーへの商号変更

1991年、小林コーセーがCI(コーポレートアイデンティティ)を導入し、各種の調査を経てブランドマーケティングの本格実施に踏み切った経営判断。社内では『選択的流通システム』とも呼ばれ、百貨店・化粧品専門店・総合量販店・ドラッグストアという販路ごとに専用のブランドを開発する方式へ切り替えた。同年8月、商号を株式会社小林コーセーから株式会社コーセーへ変更している。

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★★★
小林禮次郎障がい者雇用の特例子会社アドバンスを設立
小林保清日本証券業協会に株式を店頭登録
小林保清東京証券取引所市場第一部に株式を上場
小林保清韓国にKOSÉ KOREA CO., LTD.を設立
小林保清ドクターコスメのフィルインターナショナルを子会社化
小林保清OEM・業務用の販売会社コーセーコスメピアを設立
小林保清秋田県に広域受注機能を持つ受注センターを開設
小林保清台湾高絲の新竹工場を設置
小林保清中国に高絲化粧品銷售(中国)有限公司を設立
小林保清ジルスチュアートブランドを日本の化粧品市場に導入★★
2007〜2026年守りの改革から攻めの改革へ、タルト買収と持株会社移行(2007〜2026)小林一俊東京都北区にコーセー王子研修センターを開設
小林一俊化粧品通信販売のプロビジョンを設立
小林一俊インドにKOSÉ Corporation India Pvt. Ltd.を設立
小林一俊インドネシアにPT. INDONESIA KOSÉを設立
小林一俊米国のメークアップブランド「タルト」の株式93.5%の取得と北米市場への参入

2014年3月4日、コーセーが米国のTarte, Inc.(タルト)の株式譲渡契約を締結し、同年4月1日に議決権の93.5%を1億3,500万ドル程度で取得して子会社化した経営判断。小林一俊社長のもとで2011年に始めた『攻めの改革』の一環で、同社にとって初の北米ブランド買収であった。

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★★★
小林一俊米国にKOSÉ AMERICA, Inc.を設立
小林一俊生産子会社コーセーインダストリーズを設立
小林一俊ブラジルに販売子会社を設立
小林一俊群馬工場の新生産棟が稼動
小林一俊ミルボンとの合弁コーセー ミルボン コスメティクスを設立★★
小林一俊フランスのリヨンにコーセー研究所の分室を開設
小林一俊東京都北区にコーセー先端技術研究所を開設
小林一俊マルホとの合弁コーセー マルホ ファーマを設立★★
小林一俊トラベルリテール事業を統合しコーセートラベルリテールに商号変更
小林一俊東京証券取引所プライム市場へ移行
小林一俊フランスのパリに支店とコーセー研究所の分室を開設
小林一俊中国生産子会社の持分譲渡と、在庫処分・店舗整理による中国事業の構造改革

2024年11月11日、コーセーが中国事業の構造改革を公表し、在庫の処分と店舗・人員の整理によって特別損失44億円を計上した経営判断。1988年1月の現地法人設立から36年、2017年に決議した生産子会社の持分譲渡に続く整理にあたる。

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★★★
小林一俊タイのPURI CO.,LTD.の株式を取得し子会社化
小林一俊インドのFoxtale Consumer Pvt. Ltd.へ出資し戦略的提携★★
小林一俊純粋持株会社体制への移行と、創業家以外からの社長選出

2024年11月11日、コーセーが取締役会で純粋持株会社体制への移行の検討開始を決議し、会社分割を経て2026年1月1日に移行して株式会社コーセーホールディングスへ商号を変えた経営判断。2026年3月27日の第84回定時株主総会後には、創業家以外からはじめてとなる澁澤宏一氏が代表取締役社長グループCOOに就いた。

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出典・参考
  • コーセー 有価証券報告書 第64期(2006年3月期)【役員の状況】
  • コーセー 2024年12月期 決算説明会 質疑応答(2025年2月12日)
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】
  • コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)表紙
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)
  • KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」

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