コーセーは、1946年3月に小林孝三郎氏が東京都北区王子に設立した小林合名会社[1]に始まる。敗戦の焦土で国民が生活不安に怯えていた時期に、小林氏は化粧品が人々の心を明るくし、復興の一助を担うと考えて創業した[2]。資金の裏づけを持たなかった小林氏は、小売店から先に協約金を受け取ってから商品を配給する協約販売制度[3]をつくり、全国の小売店に声をかけて回った。わずかな商品でも荷づくりし、運賃を負担して物資のない地方の小売店へ1軒ずつ送った[4]。1948年6月には会社組織を変更し、株式会社小林コーセーを設立した[5]。
1951年11月には販売部門を分離してコーセー商事を設立し[6]、製造と販売を別の会社に置いた。同じ年に発売した『パーライトスキン』は、結晶ができない機能を備え、長く売れる商品になった[7]。当時は品物さえあれば売れた時代で、粗悪品も出回っていた[8]。小林氏は品質に見合わない価格で売られる状況を憂い、原料と香料はできる限り高品質のものを選んだ[9]。大量に生産して規模を広げるべきだという声も社内にはあったが、小林氏は量ではなく質を求めると表明し、優秀な商品の開発と組織・人材の育成に力を傾け、小さくても優れた内容で戦える企業を目指すと述べた[10]。
1957年に発売した高級化粧品『ラボンヌ』は大きく売れ、会社を躍進させた[11]。コーセーは高価であることではなく、効果があること[12]を目指した。1962年には日本人の肌に合わせて美容効果を高めた『オーリック』を発売した[13]。1951年のパーライトスキン、1957年のラボンヌ、1962年のオーリックと、創業から15年ほどのあいだに主力商品を重ねた[14]。1999年の講演で小林保清社長は、創業当時から商品開発について業界内で定評があったと述べ、画期的な新製品を多数開発してきたことを同社の強みの筆頭に挙げた[15]。
1956年3月には高級化粧品の製造会社として株式会社アルビオンを設立[16]した。アルビオンは高級化粧品の製造を担う会社として置かれ[17]、コーセー本体とは別の商品群を扱った。1956年の設立は、ロレアルとの技術提携より7年早い[18]。1999年時点でアルビオンは連結子会社として高付加価値の化粧品を担い、コーセー本体の売上に対する連結の倍率を1.8倍に押し上げる一因となった[19]。小林保清社長は同年の講演で、親会社と関係会社が役割を分担する形をコーセーの特徴の一つに数えた[20]。1999年9月中間期の連結決算でも、アルビオンの高付加価値化粧品が好調に推移した[21]。
1963年5月、コーセーはフランスのロレアル社と技術提携を結んだ[22]。この関係は2001年8月に合弁契約を解消するまで38年続いた[23]。翌1964年6月には埼玉県に狭山工場を設け、同年8月には東京都北区に研究所を開き[24]、1965年3月には本社を東京都中央区日本橋へ移した[25]。研究所は現在のコーセー製品開発研究所にあたり[26]、狭山工場とあわせて提携の翌年に設けられた。1968年9月には香港に香港高絲私人有限公司を設立し[27]、海外での販売を始めた。同社は現在の高絲香港有限公司にあたる[28]。1965年に移った日本橋の地には、2026年時点でも本店を置いている[29]。
1970年、コーセーは高級ブランド『コスメデコルテ』を発売した[30]。百貨店で外資系ブランドが売り場を広げるなかで[31]、小林孝三郎氏が長く思い描いてきた高級品の構想を商品にした。1976年には業界に先駆けてパウダーファンデーション『フィットオン』を売り出した[32]。
生産の側でも成果が出た。1980年、コーセーは日本の化粧品メーカーとして初めてデミング賞事業所表彰を受けた[33]。品質管理の活動が外部から認められた形で、後年には海外メーカーからのOEM生産を引き受け、全工場でISO9002の認証を取得した[34]。1979年6月には群馬県に群馬工場を設けた[35]。1981年3月には小林孝三郎氏の子である小林禮次郎氏が代表取締役社長に就き[36]、経営を引き継いだ。1985年には和漢植物エキスを配合した化粧水『雪肌精』を発売した[37]。雪肌精はその後も売られ続け、2025年時点では海外でも展開する主力ブランドの一つになっている[38]。
1971年8月のシンガポール、1972年11月のマレーシア、1984年9月のタイと台湾、1988年1月の中国[39]と、コーセーはアジアに現地の会社を順に置き、台湾には製造機能を持たせて、のちに新竹工場を加えた[40]。国内では1985年10月にサロンルートの化粧品を扱う株式会社クリエを設立し[41]、美容室という別の販路に商品を供給した。1971年のシンガポールの会社は現在のKOSÉ SINGAPORE PTE.LTD.[42]、1972年のマレーシアの会社は現在のKOSÉ (MALAYSIA) SDN. BHD.にあたる。サロンルートを担うクリエは、のちにコーセープロフェッショナルへ社名を変えた[43]。
1988年、コーセーは国内の販売体制を二つに割った[44]。4月に自社製品の販売会社コーセー化粧品販売を設立し[45]、7月には一般品ルートの化粧品販売会社コーセーコスメポートを設立した[46]。後者は、顧客層を広げるために手頃な価格の商品を届ける役割を負った[47]。百貨店や化粧品専門店で対面販売する高価格帯と、量販店で選んで買う低価格帯[48]とを、別の会社が別の商品で担った。コーセーコスメポートが扱う一般品ルートは、セルフ販売と呼ばれる形態にあたる[49]。二つの区分は1999年時点でも化粧品事業とコスメタリー事業として残り、それぞれ売上の76%と20%を占めた[50]。
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|---|---|---|---|---|
| 1946〜1969年協約販売制度と量より質を選んだ化粧品事業の創業(1946〜1969) | 化粧品の製造販売を目的に東京都北区で小林合名会社を設立 | ★★★ | ||
| 会社組織を変更し小林コーセーを設立 | ★★ | |||
| 販売部門を分離しコーセー商事を設立 | ★★ | |||
| 高級化粧品の製造会社アルビオンを設立 | ★★ | |||
| フランス・ロレアル社との技術提携と、外資との合弁の受け入れ 1963年5月、株式会社小林コーセー(現コーセーホールディングス)がフランスのロレアル社と技術提携を結んだ経営判断。提携は技術の導入にとどまらず合弁の形を伴い、2001年8月に合弁契約を解消するまで38年続いた。ロレアルの側から見れば、この年が日本に上陸した年にあたる。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 埼玉県に狭山工場を設置 | ★ | |||
| 東京都北区に研究所を開設 | ★ | |||
| 東京都中央区日本橋に本社を移転 | ★ | |||
| 香港に香港高絲私人有限公司を設立 | ★ | |||
| 1970〜1990年コスメデコルテと雪肌精、価格帯で分けた二重展開(1970〜1990) | シンガポールに新加坡高絲私人有限公司を設立 | ★ | ||
| マレーシアに高絲化粧品(馬)有限公司を設立 | ★ | |||
| 群馬県に群馬工場を設置 | ★ | |||
| 小林禮次郎 | タイにKOSÉ (THAILAND) CO., LTD.を設立 | ★ | ||
| 小林禮次郎 | 台湾に台湾高絲股份有限公司を設立 | ★ | ||
| 小林禮次郎 | サロンルート化粧品販売のクリエを設立 | ★ | ||
| 小林禮次郎 | 中国に春絲麗有限公司を設立 | ★★ | ||
| 小林禮次郎 | 自社製品の販売会社コーセー化粧品販売を設立 | ★★ | ||
| 小林禮次郎 | 一般品ルートの販売会社コーセーコスメポートを設立 | ★★ | ||
| 1991〜2006年CI導入と販路別ブランド、株式公開までの再構築(1991〜2006) | 小林禮次郎 | CI導入による販路別ブランド開発への転換と、小林コーセーからコーセーへの商号変更 1991年、小林コーセーがCI(コーポレートアイデンティティ)を導入し、各種の調査を経てブランドマーケティングの本格実施に踏み切った経営判断。社内では『選択的流通システム』とも呼ばれ、百貨店・化粧品専門店・総合量販店・ドラッグストアという販路ごとに専用のブランドを開発する方式へ切り替えた。同年8月、商号を株式会社小林コーセーから株式会社コーセーへ変更している。 詳細を読む | ★★★ | |
| 小林禮次郎 | 障がい者雇用の特例子会社アドバンスを設立 | ★ | ||
| 小林保清 | 日本証券業協会に株式を店頭登録 | ★ | ||
| 小林保清 | 東京証券取引所市場第一部に株式を上場 | ★ | ||
| 小林保清 | 韓国にKOSÉ KOREA CO., LTD.を設立 | ★ | ||
| 小林保清 | ドクターコスメのフィルインターナショナルを子会社化 | ★ | ||
| 小林保清 | OEM・業務用の販売会社コーセーコスメピアを設立 | ★ | ||
| 小林保清 | 秋田県に広域受注機能を持つ受注センターを開設 | ★ | ||
| 小林保清 | 台湾高絲の新竹工場を設置 | ★ | ||
| 小林保清 | 中国に高絲化粧品銷售(中国)有限公司を設立 | ★ | ||
| 小林保清 | ジルスチュアートブランドを日本の化粧品市場に導入 | ★★ | ||
| 2007〜2026年守りの改革から攻めの改革へ、タルト買収と持株会社移行(2007〜2026) | 小林一俊 | 東京都北区にコーセー王子研修センターを開設 | ★ | |
| 小林一俊 | 化粧品通信販売のプロビジョンを設立 | ★ | ||
| 小林一俊 | インドにKOSÉ Corporation India Pvt. Ltd.を設立 | ★ | ||
| 小林一俊 | インドネシアにPT. INDONESIA KOSÉを設立 | ★ | ||
| 小林一俊 | 米国のメークアップブランド「タルト」の株式93.5%の取得と北米市場への参入 2014年3月4日、コーセーが米国のTarte, Inc.(タルト)の株式譲渡契約を締結し、同年4月1日に議決権の93.5%を1億3,500万ドル程度で取得して子会社化した経営判断。小林一俊社長のもとで2011年に始めた『攻めの改革』の一環で、同社にとって初の北米ブランド買収であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小林一俊 | 米国にKOSÉ AMERICA, Inc.を設立 | ★ | ||
| 小林一俊 | 生産子会社コーセーインダストリーズを設立 | ★ | ||
| 小林一俊 | ブラジルに販売子会社を設立 | ★ | ||
| 小林一俊 | 群馬工場の新生産棟が稼動 | ★ | ||
| 小林一俊 | ミルボンとの合弁コーセー ミルボン コスメティクスを設立 | ★★ | ||
| 小林一俊 | フランスのリヨンにコーセー研究所の分室を開設 | ★ | ||
| 小林一俊 | 東京都北区にコーセー先端技術研究所を開設 | ★ | ||
| 小林一俊 | マルホとの合弁コーセー マルホ ファーマを設立 | ★★ | ||
| 小林一俊 | トラベルリテール事業を統合しコーセートラベルリテールに商号変更 | ★ | ||
| 小林一俊 | 東京証券取引所プライム市場へ移行 | ★ | ||
| 小林一俊 | フランスのパリに支店とコーセー研究所の分室を開設 | ★ | ||
| 小林一俊 | 中国生産子会社の持分譲渡と、在庫処分・店舗整理による中国事業の構造改革 2024年11月11日、コーセーが中国事業の構造改革を公表し、在庫の処分と店舗・人員の整理によって特別損失44億円を計上した経営判断。1988年1月の現地法人設立から36年、2017年に決議した生産子会社の持分譲渡に続く整理にあたる。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小林一俊 | タイのPURI CO.,LTD.の株式を取得し子会社化 | ★ | ||
| 小林一俊 | インドのFoxtale Consumer Pvt. Ltd.へ出資し戦略的提携 | ★★ | ||
| 小林一俊 | 純粋持株会社体制への移行と、創業家以外からの社長選出 2024年11月11日、コーセーが取締役会で純粋持株会社体制への移行の検討開始を決議し、会社分割を経て2026年1月1日に移行して株式会社コーセーホールディングスへ商号を変えた経営判断。2026年3月27日の第84回定時株主総会後には、創業家以外からはじめてとなる澁澤宏一氏が代表取締役社長グループCOOに就いた。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(コーセーホールディングス)