{"title":"コーセーホールディングスの歴史概略","sections":[{"start_year":1946,"end_year":1969,"main_title":"協約販売制度と量より質を選んだ化粧品事業の出発（1946〜1969）","subsections":[{"title":"小売店から先に資金を集めた協約販売制度","text":"コーセーの出発は、1946年3月に小林孝三郎氏が東京都北区王子に設立した小林合名会社である。敗戦の焦土で国民が生活不安に怯えていた時期に、小林氏は化粧品が人々の心を明るくし、復興の一助を担うと考えて創業した。資金の裏づけを持たなかった小林氏は、小売店から先に協約金を受け取ってから商品を配給する協約販売制度をつくり、全国の小売店に声をかけて回った。わずかな商品でも荷づくりし、運賃を負担して物資のない地方の小売店へ1軒ずつ送った。1948年6月には会社組織を変更し、株式会社小林コーセーを設立した。\n\n1951年11月には販売部門を分離してコーセー商事を設立し、製造と販売を別の会社に置いた。同じ年に発売した「パーライトスキン」は、結晶ができない機能を備え、長く売れる商品になった。当時は品物さえあれば売れた時代で、粗悪品も出回っていた。小林氏は品質に見合わない価格で売られる状況を憂い、原料と香料はできる限り高品質のものを選んだ。大量に生産して規模を広げるべきだという声も社内にはあったが、小林氏は量ではなく質を求めると表明し、優秀な商品の開発と組織・人材の育成に力を傾け、小さくても優れた内容で戦える企業を目指すと述べた。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 2000年1月号「コーセー」（小林保清社長講演、1999年12月24日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"ラボンヌの成功と日本人の肌に合わせた製品開発","text":"1957年に発売した高級化粧品「ラボンヌ」は大きく売れ、会社を躍進させた。コーセーが目指したのは高価であることではなく、効果があることだった。1962年には日本人の肌に合わせて美容効果を高めた「オーリック」を出している。創業から10年余りのあいだに、同社は価格帯の高い商品で存在感を得る形をつくった。1999年の講演で小林保清社長は、創業当時から商品開発について業界内で定評があったと述べ、画期的な新製品を多数開発してきたことを同社の強みの筆頭に挙げている。\n\n1956年3月には高級化粧品の製造会社として株式会社アルビオンを設立した。同じ企業グループのなかに別の会社を置き、別の商品群を持たせる形は、のちに販路ごとにブランドを分ける方式へつながる。1999年時点でアルビオンは連結子会社として高付加価値の化粧品を担い、コーセー本体の売上に対する連結の倍率を1.8倍に押し上げる一因となった。小林保清社長は同年の講演で、親会社と関係会社が役割を分担する形をコーセーの特徴の一つに数えている。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 2000年1月号「コーセー」（小林保清社長講演、1999年12月24日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"ロレアルとの技術提携と生産設備の整備","text":"1963年5月、コーセーはフランスのロレアル社と技術提携を結んだ。この関係は2001年8月に合弁契約を解消するまで38年続く。翌1964年6月には埼玉県に狭山工場を設け、同年8月には東京都北区に研究所を開いた。1965年3月には本社を東京都中央区日本橋へ移している。提携で技術を導入しながら、自社の生産設備と研究組織を同時に整えた時期にあたる。1968年9月には香港に香港高絲私人有限公司を設立し、海外での販売に足を踏み入れた。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 2000年1月号「コーセー」（小林保清社長講演、1999年12月24日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1970,"end_year":1990,"main_title":"コスメデコルテと雪肌精、販路の裾野を広げた二重展開（1970〜1990）","subsections":[{"title":"外資系ブランドの躍進に対置した高級品コスメデコルテ","text":"1970年、コーセーは高級ブランド「コスメデコルテ」を発売した。百貨店で外資系ブランドが売り場を広げるなかで、小林孝三郎氏が長く思い描いてきた高級品の構想を商品にしたものだった。1976年には業界に先駆けてパウダーファンデーション「フィットオン」を出している。後年、小林保清名誉会長は戦後の資本自由化で化粧品業界の門戸が開かれ、外資メーカーが相次いで参入したと振り返り、売り場を取られないために百貨店だけでなく化粧品専門店にも売り場を確保し、美容部員を専門店へ派遣し始めたと述べた。それが生き延びる策になったという評価である。\n\n生産の側でも成果が出た。1980年、コーセーは日本の化粧品メーカーとして初めてデミング賞事業所表彰を受けた。品質管理の活動が外部から認められた形で、後年には海外メーカーからのOEM生産を引き受け、全工場でISO9002の認証を取得した。1979年6月には群馬県に群馬工場を設け、生産能力と品質管理を1970年代のうちに固めた。1981年3月には創業者の長男である小林禮次郎氏が代表取締役社長に就き、小林孝三郎氏から経営を引き継いだ。1985年には和漢植物エキスを配合した化粧水「雪肌精」を発売した。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 2000年1月号「コーセー」（小林保清社長講演、1999年12月24日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年12月29日号「平成の教訓 小売りが大きく変化した30年」（小林保清名誉会長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"アジアへの現地法人設置と一般品ルートへの進出","text":"1971年8月のシンガポール、1972年11月のマレーシア、1984年9月のタイと台湾、1988年1月の中国と、コーセーはアジアに現地の会社を順に置いた。台湾には製造機能を持たせ、のちに新竹工場を加えている。国内では1985年10月にサロンルートの化粧品を扱う株式会社クリエを設立し、美容室という別の販路を押さえた。販路ごとに会社と商品を用意する形が、この時期に輪郭を持ち始めた。\n\n1988年、コーセーは国内の販売体制を二つに割った。4月に自社製品の販売会社コーセー化粧品販売を設立し、7月には一般品ルートの化粧品販売会社コーセーコスメポートを設立している。後者は、顧客層を広げるために手頃な価格の商品を届ける役割を負った。百貨店や化粧品専門店で対面販売する高価格帯と、量販店で選んで買う低価格帯とを、別の会社が別の商品で担う形である。1990年代以降にコーセーが取る販路別のブランド戦略は、この二重の販売体制を土台としている。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 2000年1月号「コーセー」（小林保清社長講演、1999年12月24日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年12月29日号「平成の教訓 小売りが大きく変化した30年」（小林保清名誉会長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1991,"end_year":2006,"main_title":"CI導入と販路別ブランド、株式公開までの再構築（1991〜2006）","subsections":[{"title":"販路ごとに最適なブランドを開発する選択的流通システム","text":"1991年8月、小林コーセーは株式会社コーセーに商号を変更した。外資系ブランドの台頭で国産ブランドが厳しい環境に置かれるなか、企業の存在意義を明確に発信するためのCI導入にあわせた改称である。トータルマーケティング戦略とビジュアルアイデンティティを定め、企業理念の体系も刷新した。1992年9月には障がい者雇用の特例子会社として株式会社アドバンスを設立している。化粧品業界では初、全業種でも25番目の特例子会社として認可を受けた。\n\nCI導入にあたって各種の調査を行った結果、コーセーはブランドマーケティングの採用に踏み切った。社内では選択的流通システムとも呼ばれ、百貨店・専門店・量販店・ドラッグチェーンという販路それぞれに最適なブランドを開発する方式である。従来の日本の商売では各販路に同じ商品を充てるのが一般的で、コーセーはいち早く流通チャネルごとにブランドを分けた。小林保清名誉会長は後年、この形は提携先だったロレアルが取っており、そこから刺激を受けた部分もあると述べている。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 2000年1月号「コーセー」（小林保清社長講演、1999年12月24日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年12月29日号「平成の教訓 小売りが大きく変化した30年」（小林保清名誉会長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"再販制度の撤廃とドラッグストア台頭への対応の遅れ","text":"1997年3月、小林保清氏が小林禮次郎氏に代わって代表取締役社長に就いた。その年、化粧品の再販売価格維持制度が撤廃された。欧米では高級化粧品が乱売されることはなかったが、当時の日本では乱売が起きた。もっとも粗利の高い化粧品は売り手にとっても利益を出しやすい商品であり、小売の側も激しい乱売が起きないように変わっていった。小林保清名誉会長は、販路に沿ってブランドを分け始めたのもこの頃だったと振り返り、どの業態でも同じ品ぞろえにするのではなく、百貨店とドラッグストアで売る化粧品を差別化したと述べている。\n\n再販制度が崩れた後に伸びたのはドラッグストアだった。個人経営が大半の化粧品専門店とは商売の仕方が異なり、本部が集権的に仕入れを決めるため、全店に美容部員を送ることもできない。小林保清名誉会長は、こうした変化に対応する教育を営業部員に施すのが遅かったと認めている。専門店に美容部員を派遣する形で外資の攻勢を凌いだ経験が、次の販路の変化にはそのまま通じなかった。1999年時点の流通チャネル別売上構成では化粧品専門店が28.8%を占め、ドラッグストアは20.5%だった。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 2000年1月号「コーセー」（小林保清社長講演、1999年12月24日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年12月29日号「平成の教訓 小売りが大きく変化した30年」（小林保清名誉会長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"店頭公開で示した業界3位という位置","text":"1999年12月16日、コーセーは日本証券業協会に株式を店頭登録した。同年3月期の連結売上高は1,378億円、経常利益は97億円、当期純利益は32億円で、業界の売上シェアは8.4%だった。資生堂、カネボウに次ぐ国内第3位の化粧品メーカーという位置である。事業構成は高付加価値の化粧品事業が全体の76%を占め、セルフ販売のコスメタリー事業が20%、OEM生産などその他が4%だった。海外比率は5.9%と低く、進出先は中国と東南アジアが主だった。\n\n2000年12月には東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した。2001年8月にはロレアルとの合弁契約を解消し、1963年から38年続いた提携関係に区切りをつけている。2002年4月にドクターコスメを扱う株式会社フィルインターナショナルの全株式を取得し、同月にOEM製品・業務用製品の販売会社コーセーコスメピアを設立した。2003年に「スティーブンノル」、2005年に「JILL STUART beauty」と、独自の世界観を持つブランドを続けて投入している。2005年6月には中国に販売会社の高絲化粧品銷售（中国）有限公司を置いた。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 2000年1月号「コーセー」（小林保清社長講演、1999年12月24日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年12月29日号「平成の教訓 小売りが大きく変化した30年」（小林保清名誉会長）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":2007,"end_year":2026,"main_title":"守りの改革から攻めの改革へ、タルト買収と持株会社移行（2007〜2026）","subsections":[{"title":"守りの改革から攻めの改革への転換","text":"2007年6月、小林禮次郎氏の長男で創業者の孫にあたる小林一俊氏が代表取締役社長に就いた。1962年生まれで、慶応義塾大学を卒業後の1986年にコーセーへ入社し、マーケティング本部長などを経ての昇格である。小林孝三郎氏、禮次郎氏、保清氏に続く4人目の社長で、いずれも創業家から出ている。就任と同時に経営効率化を狙う守りの改革が始まった。もっとも当時の業績は伸びていない。連結売上高は2006年3月期の1,778億円から2012年3月期の1,665億円まで6期にわたって減り続け、経常利益も同期間に206億円から118億円へ落ちた。\n\n2011年、コーセーは守りの改革を攻めの改革に切り替えた。同年3月の東日本大震災では被災地に義援金と支援物資を送っている。清浄用品よりもアイブロウが欲しいという被災者の声に接し、化粧品会社として社会に提供しているものの大きさを捉え直したという。同年8月には化粧品通信販売の株式会社プロビジョンを設立して通販に踏み込み、2013年10月にインド、2014年1月にインドネシアと、新興国にも現地の会社を置いた。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書（連結財務諸表）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2017年6月17日号「躍進するポーラ、コーセー」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年7月21日号「トップに直撃 コーセー 社長 小林一俊」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"コーセー 決算説明会 質疑応答（2021年4月30日・2023年2月13日・2025年2月12日・2026年2月12日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"タルト買収が支えた米国事業と過去最高益","text":"2014年4月、コーセーは米国のタルト社の株式を取得して子会社化した。モーリーン・ケリー氏が1999年に設立した新興のメークアップブランドで、アサイーやアセロラの抽出物を配合する点に特徴がある。ケリー氏がコーセーの自然派化粧品「アウェイク」の愛用者だったことから関係ができ、買収に至った。タルトは米国2大化粧品流通チェーンのセフォラとウルタに入り込み、取扱店数は2,300に達した。買収から3年で売上高は3.6倍の282億円、営業利益は5.6倍の84億円に伸びている。\n\n国内では高価格帯が伸びた。コスメデコルテとアルビオンが牽引し、2017年3月期の連結経常利益は396億円となって、資生堂が2016年12月期に計上した371億円を初めて上回った。小林一俊社長は当時、社歴の長い幹部や役員が喜んだと述べつつ、自身は経営の速度を上げるほうに関心があると答えている。生産は追いつかなかった。2017年3月に群馬工場の新生産棟が稼働し、60億円を投じたにもかかわらず、各カテゴリーの好調で生産面が追いつかず、新工場の建設も視野に入れると社長は語った。\n\n訪日客の需要も業績を押し上げた。連結売上高は2014年3月期の1,900億円から2019年3月期の3,330億円へ5期で1.75倍になり、経常利益は540億円、当期純利益は370億円と、いずれも過去最高を記録した。小林保清名誉会長は後年、自身が社長だった頃は外国人が店に来てくれなかったとして、訪日需要の盛り上がりに驚いたと述べている。一方で日本製が評価されるにつれ中国製が売れなくなり、コーセーは2017年に中国の現地工場を売却した。1988年に設けた春絲麗有限公司の持分は2018年5月に譲渡している。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書（連結財務諸表）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 2024（コーセー、2024年）「価値創造の軌跡」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2017年6月17日号「躍進するポーラ、コーセー」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2018年7月21日号「トップに直撃 コーセー 社長 小林一俊」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"コーセー 決算説明会 質疑応答（2021年4月30日・2023年2月13日・2025年2月12日・2026年2月12日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"コロナ後の立て直しと持株会社体制への移行","text":"新型コロナウイルスの流行で口紅をはじめとする化粧品の需要は落ちた。連結売上高は2021年3月期に2,794億円まで下がり、経常利益も187億円と、2019年3月期の3分の1近くまで縮んだ。コーセーはマスクを着けていても崩れない商品を出し、2019年発売の「メイク キープ ミスト」が売れている。2021年には決算期を3月から12月へ移し、同年12月期は9か月の変則決算として売上高2,250億円を計上した。2022年4月には東京証券取引所の市場区分見直しにより市場第一部からプライム市場へ移った。\n\n回復の過程で重荷になったのは中国だった。2024年に在庫の処分と店舗・人員の整理を進め、特別損失44億円を計上している。2025年12月期の連結売上高は3,302億円と2019年3月期の水準に戻ったが、経常利益は215億円にとどまり、最高益の540億円には届いていない。買収したタルトも米国の競争激化で営業利益率が7.9%まで下がった。地域の分散は進めており、2024年12月にタイのPURIを子会社化し、2025年1月にはインドのFoxtaleへ出資して戦略的提携を結んだ。\n\n2026年1月1日、コーセーは持株会社体制へ移り、株式会社コーセーホールディングスに商号を変更した。事業会社として新しい株式会社コーセーを置き、その代表取締役社長には田中慎二氏が就いた。小林一俊氏は持株会社の社長を務めながら、事業会社コーセーの取締役会長を兼ねている。同じ時期に投下資本利益率を役員報酬の評価指標へ組み込み、各事業部門にも在庫削減などの目標を設けた。2026年3月には持株会社の社長が交代し、経理部長や社長室長を務めた澁澤宏一氏が代表取締役社長グループCOOに就いている。創業家以外から社長が出たのは初めてで、小林一俊氏は代表取締役会長グループCEOに移った。","references":[{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期（2025年12月期）【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"コーセーホールディングス 有価証券報告書（連結財務諸表）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"KOSÉ REPORT 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