仏ロレアルと技術提携(1963年・コーセーHDの決断)更新:2026/08/04コーセーHD:業績の推移売上高(億円)営業利益率(%)国内資本にこだわらず、外資との合弁を受け入れる道の選択1963年5月、株式会社小林コーセー(現コーセーホールディングス)がフランスのロレアル社と技術提携を締結した経営判断。提携は技術の導入にとどまらず合弁の形を伴い、2001年8月に合弁契約を解消するまで38年続いた。ロレアルの側から見れば、この年が日本に上陸した年にあたる。何をなぜ決めたか:国内資本にこだわらず、外資との合弁を受け入れる道の選択概要1963年5月、株式会社小林コーセー(現コーセーホールディングス)がフランスのロレアル社と技術提携を締結した経営判断。提携は技術の導入にとどまらず合弁の形を伴い、2001年8月に合弁契約を解消するまで38年続いた。ロレアルの側から見れば、この年が日本に上陸した年にあたる。背景化粧品の貿易自由化を経て、資本の自由化が視野に入りつつあった時期である。国内メーカーは外国メーカーの一挙の進出を警戒し、百貨店に加えて化粧品専門店の売り場を押さえ、そこへ美容部員を送り込む守りを固めていた。内容小林コーセーは外資を遠ざけるのではなく、技術提携の相手として迎えた。提携の翌年から拠点を相次いで新しくし、1964年6月に埼玉県へ狭山工場、同年8月に東京都北区へ研究所を新設し、1965年3月には本社を東京都中央区日本橋へ移した。いつ何が起きたか7件筆者考察考察考察:内側に入れて学ぶという選び方外資を締め出すのではなく、内側に入れて学ぶ。1963年5月の小林コーセーの選択は、その一点にある。同じ業界の最大手である資生堂は、米国進出でも現地企業の買収を退け、自社で会社を設立して資生堂ブランドで売る方針をとった。創業17年のコーセーは反対に、のちに世界最大となる化粧品会社と技術提携を締結し、その関係を38年抱えた。1970年のコスメデコルテ、1980年の化粧品メーカー初のデミング賞事業所表彰は、いずれもその38年の途中に置かれた成果である。ただ、この関係は一方通行ではなかった。ロレアルにとっても1963年は日本に上陸した年であり、コーセーは自社の販売チャネルに相手のブランドを並べることで、のちに単独で伸びる競争相手を国内に迎え入れてもいた。学ぶために外資と組むことの対価は、この38年の関係そのものに含まれていたと思われる。Yutaka Sugiura, 2026年8月参考文献参考文献参考証券アナリストジャーナル 1969年3月号(資生堂 伊藤高常務取締役講演)証券アナリストジャーナル 2000年1月号(小林保清社長講演、1999年12月24日)コーセーホールディングス 有価証券報告書 第84期(2025年12月期)【沿革】KOSÉ REPORT 2024(コーセー、2024年)「価値創造の軌跡」次に読む決断同じ問い:研究開発が支えるブランド1957年東レ東レ英ICIから技術導入ポリエステル繊維技術をめぐる、同業他社と足並みを揃えた共同導入1957年1964年セイコーエプソンセイコーエプソン"EPSON"ブランド制定東京オリンピックの計時用プリンターを起点とした印刷機事業の立ち上げ1964年1960年江崎グリコ江崎グリコ総合食品化への転換栄養菓子の一本足からアイス・チョコ・ガム・カレーへ拡充した総合食品化1960年1982年ヨネックスヨネックスゴルフ事業への進出商号のヨネックスへの変更と新素材クラブの発売1982年1985年ミノルタミノルタα-7000の発売オートフォーカス一眼レフへの賭けと、通常の4倍にあたる初回投入1985年コーセーHDの意思決定1991年コーセーHDコーセーHD選択的流通システム導入CI導入による転換と、小林コーセーからコーセーへの商号変更1991年2014年コーセーHDコーセーHD「タルト」の株式取得米メークアップブランドの株式93.5%取得による北米市場への参入2014年×出所