英ICIから技術導入(1957年・東レの決断)更新:2026/08/04東レ:業績の推移売上高(億円)当期純利益率(%)データ出所ポリエステル繊維技術をめぐる、同業他社と足並みを揃えた共同導入1957年2月、東洋レーヨンが英ICIとポリエステル繊維の技術提携契約に調印した経営判断。同じ技術を求めていた競合の帝国人造絹絲(帝人)と2社同資格でライセンスを受け、ライセンス料もロイヤルティも両社合算とし、商標"テトロン"まで共通にした。会長の田代茂樹氏は交渉に先立ち、他社首脳に『東レは独占の意思は毛頭ない』と伝えていた。何をなぜ決めたか:ポリエステル繊維技術をめぐる、同業他社と足並みを揃えた共同導入概要1957年2月、東洋レーヨンが英ICIとポリエステル繊維の技術提携契約に調印した経営判断。同じ技術を求めていた競合の帝国人造絹絲(帝人)と2社同資格でライセンスを受け、ライセンス料もロイヤルティも両社合算とし、商標"テトロン"まで共通にした。会長の田代茂樹氏は交渉に先立ち、他社首脳に『東レは独占の意思は毛頭ない』と伝えていた。背景1951年のデュポン提携でナイロンを得た東洋レーヨンは、次の収益源を決める必要があった。アクリル系はデュポンがライセンスを売る意向を示さず、残るポリエステル系のICIに向かう。だが交渉は進まず、同じ時期に帝人も同じ扉を叩いていた。内容1955年12月、ICIは両社に、両社同資格のライセンスを供与し、ライセンス料は両社合計、ロイヤルティも両社合算でよいと伝え、2社共同での導入を軸に交渉が進んだ。1957年2月7日、ICIのアレン取締役と袖山喜久雄社長、帝人の大屋晋三社長が契約書に調印した。いつ何が起きたか8件筆者考察考察考察:独占を捨てて素材を販売する『東レは独占の意思は毛頭ない』——田代茂樹氏がパリで競合各社の首脳に自ら告げた一言に、この提携の性格が表れている。1951年のデュポン提携では資本金の1.5倍にあたる前払金を単独で払い、ナイロンの特許を自社に囲った。今度は逆に、ライセンス料もロイヤルティも帝国人造絹絲と合算し、商標"テトロン"まで共通にした。名も知られていない素材は、一社で抱えても売り場が生まれない。二社で綿紡・毛紡との混紡から市場を起こす方が早いという読みが働いていたと思われる。ただし、二社に絞る線引きを最後に決めたのはICI側の意向であり、田代茂樹氏の申し出がどこまで結果を動かしたのかは、本人の回想からは測れない。共同で買った技術にも制約は残り、特許の成立する国へはフィラメントもステープルも出せなかった。東洋レーヨンが二度目に選び直したのは、どこから買うかではなく、誰と買うかという組み方であった。Yutaka Sugiura, 2026年8月参考文献参考文献参考私の履歴書 経済人14 田代茂樹(日本経済新聞社, 1980)東レ90年小史「未来を紡ぐ」(東レ, 2017)証券アナリストジャーナル 1963年第1巻第1号 森廣三郎会社銀行八十年史 2篇 日本会社史(東洋経済新報社, 1955)ダイヤモンド 1962年2月26日号東レ 有価証券報告書【沿革】次に読む決断同じ問い:新技術による祖業の転換1957年上村工業上村工業めっき用化学品の製造開始本社に薬品部を設置しての、自社での薬品づくりへの踏み出し1957年1957年ダイフクダイフクビューラー社と技術提携ジャービス・ビー・ウェブ社との提携も重ねた搬送機械への転換1957年1957年ペンタックスペンタックスアサヒペンタックスの開発距離計連動式を採らない一眼レフカメラへの集中と、専業メーカーへの転換1957年1958年日本光電工業日本光電工業トランジスタへの転換主要部品を真空管から置き換えることによる小型ME機器への移行1958年1956年日亜化学工業日亜化学工業阿南市で蛍光体原料開発塩化カルシウムを主原料とする蛍光灯用蛍光体原料の開発と、日亜化学工業の設立1956年東レの意思決定1951年東レ東レ米デュポンと技術提携ナイロン技術の導入と、自社での生産に踏み出す足がかりの確保1951年1963年東レ東レタイで合弁2社設立現地資本と組んで踏み出した、日本国外での生産という初めての選択1963年×出所