東レ ファーストリテイリングと提携 戦略的パートナーシップの締結とヒートテックの共同開発

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時期 2006年3月
当時の社長 榊原定征
論点 繊維事業の存続とアパレルとの垂直連携
何をなぜ決めたか
概要

2006年、繊維を斜陽産業とみなす風潮のなかで繊維事業への投資を続けた東レが、榊原定征社長のもとでファーストリテイリング(ユニクロ)と戦略的パートナーシップを締結した経営判断。素材の企画・開発から生産・物流までを両社が一貫して結び、その中身をヒートテックの共同開発が象徴した。

背景

2000年前後、合成繊維は成長を望みにくい事業とされ、帝人は医薬品で新たな収益基盤を構築し、クラレは化学品へ主力を移した。そのなかで東レは繊維に人と資本を残した。企画から販売までを自社で担うSPAのユニクロは、素材を市場から調達するのが通例で、素材メーカーと用途を共同で設計する例は少なかった。

内容

1990年代末のフリース向け素材の供給に始まった両社の関わりは、2003年発売のヒートテックの共同開発へ深まり、2006年の第1期戦略的パートナーシップに結実した。素材メーカーが特定のアパレルと5年単位の計画を共有し、川上の繊維から川下の店頭までを一本の流れとして設計する枠組みだった。

含意

ヒートテックは発売10年の2012年に累計販売枚数2億9900万枚、両社の年間取引は1000億円を超え、繊維事業の復活を象徴した。取引累計額は第1期の約2500億円から第2期の約6000億円見込みへ伸び、素材メーカーが川下と直結する協業を一つの型として定着させた。

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筆者の見解
筆者の見解

繊維に残る選択と、垂直連携という設計

この決断の核心は、繊維を斜陽産業とみなす当時の空気に逆らって、東レがその事業に残る選択と、素材メーカーとアパレルを垂直に結ぶ協業の設計とを、同時に果たした点にある。1975年に藤吉次英社長が脱繊維を否定して以来、東レは繊維に人と資本を残してきた。ユニクロとの戦略的パートナーシップは、その残留を、川下の需要と直結させることで利益へ結び付けた仕組みだったと思われる。ただ繊維に留まるだけでは、斜陽という評価をくつがえすには足りなかった。

素材メーカーが特定のアパレルと用途を共同で設計し、川上から川下までを一本に結ぶこの形は、東レが繊維に残ったからこそ選べた道だった。もっとも、ユニクロ一社との結び付きが深まるほど、その需要の増減は東レの繊維事業に直に響く。取引先への依存という重さは、垂直の連携が生む利益と背中合わせにある。斜陽とされた素材産業が川下と直結して生き延びる一つの道を、東レはヒートテックで示した。繊維に投資を続けるというこの会社の選択は、その強さと危うさをあわせ持ったまま今日に続く。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
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ブランドへの投資2006年三菱鉛筆摩擦を半減させた油性ボールペンの発売と、芯を固定した軸展開によるシリーズ化成熟市場での商品開発と展開
2002年カゴメヒット商品を連続して生み出すことをねらった、社内の進め方の再構築商品開発体質の刷新と連続ヒットの創出
2000年明治乳業味を競う商品から体への働きで選ばれる商品へと訴求を移す転換食品の機能訴求と薬事法の境界
1999年日本移動通信DDIセルラーグループとの「au」へのブランド統一と、通信方式の一本化通信方式の選択とブランド戦略
2015年MTGEMS機器を軸に、クリスティアーノ・ロナウド選手を起用した第2ブランドの構築第2ブランドの立ち上げと広告投資
研究開発への注力1963年コーセーホールディングス国内資本にこだわらず、外資との合弁を受け入れる道の選択外資開放への備えと、技術・売り方の導入
2018年FUJI商号の「FUJI」への変更事業構成と社名
1988年太陽誘電That''sブランドによる消費財市場への参入と、追記型光記録メディア材料技術の応用先としての消費財市場への進出
1985年ミノルタオートフォーカス一眼レフへの賭けと、通常の4倍にあたる初回投入成熟市場への技術投入と輸出依存
1982年ヨネックス商号のヨネックスへの変更と新素材クラブの発売ブランドの統一と第3事業の選択
参考文献
出典・参考
  • 東レ 公式サイト「東レ×ユニクロ」
  • 東レ 有価証券報告書(2006年3月期)

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