東レがタイに工場を建設した1963年は、日本の電機や自動車が海外生産へ動く前にあたる。輸出先が輸入代替へ向かったから現地で作る——理屈としては素直だが、当時の日本企業の相場観に照らせば相当に早い。しかもその早さは、作るものをレイヨンと決めてかかった読み違いとして最初の2年で露呈した。流行がレイヨンからポリエステルやアクリルへ移り、TTTMは営業2年度で設備の手直しに追い込まれている。早く動くことと正しく動くことは、この件では重ならなかったのだろう。
ただ、この判断の値打ちは、早さより撤退しなかったことにあるだろう。TTTMは1968年度に20%の初配当を出したが、東南アジア全体の収支は長く赤字であった。1974年に出資して経営参加したラッキーテックスはベトナム特需の終わりと石油危機で業績が落ち、1982年度には資本金の3倍近い累積赤字を抱える。それでも東レはこの拠点を売却せず、1987年7月の累積赤字一掃と1989年2月のタイ証券取引所上場まで持ち続けた。輸出市場を失った先で自ら作るという1963年の理屈を、会社が降ろさなかったからだとみられる。