ダイフクDaifuku U.S.A.設立による北米市場への初進出
技術を借りた市場へ、四半世紀を経てなぜ自ら売り手として出たか
- 概要
- 1983年2月、大福機工は米国シカゴに初の海外現地法人Daifuku U.S.A.(現Daifuku Automotive America)を設立し、北米市場へ初めて進出した。自動車工場向けの無人搬送車やコンベヤシステムの需要に応える拠点で、1957年にジャービス・ビー・ウェブ社から技術を導入した市場へ、四半世紀を経て売り手として出た。
- 背景
- 第一次石油危機の反動で単体売上高は1973年3月期の350億円から1975年3月期177億円へ落ち込み、設備投資型の搬送機械事業は国内需要の変動に揺さぶられた。一方で日本初の無人搬送車「プロントウ」や高層自動倉庫「ラックビルシステム」など、自社の製品系列は国内で育っていた。
- 内容
- 業績が回復した1983年3月期(単体売上490億円)に米国シカゴへ現地法人を設立した。翌1984年5月には商号を株式会社ダイフクへ改めて海外表記と一体化させ、1985年5月にカナダのDaifuku Canadaを設けて北米の拠点を二つに増やした。
- 含意
- 北米を足がかりにシンガポール・タイ・台湾・マレーシア・韓国・インドネシアへと現地法人が続き、専業メーカーの海外展開が10年あまりでアジアへ広がった。北米はその後2007年のジャービス・ビー・ウェブ社買収を経て、グループ最大の事業基盤となる地域統括体制の足場になった。
技術を借りた市場へ戻るまで
この進出を、日本メーカーの海外展開の一例として並べるだけでは、時期の選び方が見えにくい。出て行った先は、1957年に自動車搬送の技術を借りたジャービス・ビー・ウェブ社の本拠であった。手にしていたのは、日本初の無人搬送車「プロントウ」や高層自動倉庫「ラックビルシステム」のように、国内で自ら育てた製品系列である。借りた技術を自前の商品に変え終えたという手応えが、進出の時期を決めたとみられる。
もっとも、1983年の現地法人がただちに北米の柱になったわけではない。自動車工場向けの一拠点にとどまり、空港やEC物流を含む北米基盤が整うのは、2007年のジャービス・ビー・ウェブ社買収から2013年のWynright買収にかけてであった。設立から実に四半世紀である。海外市場は、拠点を置いた年ではなく、そこで何を売れるようになった年に開くといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
石油危機が示した国内需要の振れ幅
高度成長の終わりは、設備投資型の搬送機械事業を直撃した。第一次石油危機後の反動で、単体売上高は1973年3月期の350億円から1974年3月期214億円、1975年3月期177億円へ落ち込み、経常利益も73億円から3億円へ縮んだ。需要が細るなかで大福機工は生産体制の立て直しを進め、1975年4月に電子機器子会社コンテックを設立するとともに日野工場(現在の滋賀事業所)を新設し、東阪の中間に主力生産拠点を整えた[1][2]。
国内で守りを固める一方、製品は自前で育っていた。1965年に日本初の無人搬送車「プロントウ」を製造・販売し、翌1966年には日本初の高層自動倉庫「ラックビルシステム」を小牧工場内に完成させた。1971年にはトヨタ自動車販売の春日工場へ世界最大級のラックビルシステムを納入している。ウェブ社から導入した自動車搬送の技術を土台に、自動倉庫と無人搬送車という自社の製品系列を持つに至っていた[3][4]。
決断
米国シカゴへの現地法人設立
1983年2月、大福機工は米国シカゴに初の現地法人Daifuku U.S.A.(現Daifuku Automotive America)を設立し、北米市場へ初めて進出した。自動車工場向けの無人搬送車やコンベヤシステムの北米需要に応える拠点で、提携で学んだ自動車搬送の技術を、今度は自前の現地法人で売る試みであった。単体売上高が1983年3月期に489億円、経常利益が38億円へ戻った時期の投資であった[5][6][7]。
翌1984年5月、商号を株式会社ダイフクへ改めた。「兼松機工」「大福機工」と続いた社名を、海外表記のDaifukuと一体化させる改称で、北米進出の翌年に踏み切っている。1957年にウェブ社の技術を導入してから四半世紀、国内で固めた搬送機械の力を海外へ広げる体制づくりが、現地法人と社名の両面から進んだ。1985年5月にはカナダのDaifuku Canadaを設け、北米の拠点を二つに増やした[8][9]。
結果
北米から広がった海外網
北米を足がかりに、拠点は続けて増えた。1986年1月にシンガポールのDaifuku Mechatronicsを設けたのに続き、1991年にタイ、1993年に台湾、1994年にマレーシア、1995年に韓国とインドネシアへと現地法人を相次いで設立し、自動車・電子・物流の各産業が育つアジアに搬送機械の供給網を敷いた。商社・兼松の海外網を背景に、専業メーカーの海外展開が10年あまりで東アジア・東南アジアへ広がった[10]。
北米の位置づけはその後さらに重くなった。2007年12月、ダイフクは技術提携の相手であったジャービス・ビー・ウェブ社を買収し、自動車と空港手荷物搬送の北米基盤を一度に得た。2011年1月には米Daifuku Webb Holding(現Daifuku North America)を設けて北米子会社群を束ね、2013年10月のWynright買収でEC物流自動化を加えた。1983年の一拠点から、北米統括体制が育った[11]。
- ダイフク 有価証券報告書【沿革】
- ダイフク 公式サイト「沿革」(https://www.daifuku.com/jp/company/history/)
- 会社年鑑(1976年版・1986年版・単体業績)
- 大福機工 運搬機械の前衛(ダイヤモンド社, 1967)