1956年、富士通信機製造の技術担当常務であった尾見半左右氏は、通信機にコンピュータと制御を加える『3C構想』を掲げ、制御分野の責任者に機械技術者の稲葉清右衛門氏を指名した[1]。稲葉氏は1925年に茨城県で生まれ、1946年に東京帝国大学第二工学部精密工学科を卒業[2]した。年初の自動制御研究会で米国MITによるNC工作機械の技術報告を聞いた[3]稲葉氏は、開発テーマをNCに絞った。研究は富士通川崎工場の一角の小さな実験室[4]で、電気と機械の数名の技術者によって始まった。1959年には電気・油圧パルスモータを開発[5]し、自社独自のNC技術を確立した。
事業としてのNCは参入から約10年にわたって赤字が続き、富士通の通信機事業の収益がその損失を吸収した[6]。稲葉氏は当時の社長であった岡田完二郎氏から『利益なくして企業は成り立たない』[引用元]と叩き込まれ[7]、技術より先に利益から発想する経営観をこの時期に得た。借入に頼らず自己資金でまかなえる企業体質[8]をつくるという方針も、赤字の続いた期間に固まった。1965年にNC部門は初の黒字へ転じ[9]、汎用NC装置の需要が広がるとともに富士通のなかでも高収益の部門に育った。NC装置の出荷は1969年に累計2275台[10]へ達した。稲葉氏はこの十年を、技術者として最も厳しく鍛えられた期間[11]と記した。
1972年4月14日、富士通の取締役会がNC部門の分離独立を決め[12]、翌5月に資本金20億円の富士通ファナック株式会社が発足[13]した。発足時の本社は川崎市に置かれ、人員は約630名[14]だった。新会社の専務には富士通計算制御部長の稲葉清右衛門氏が就き[15]、事実上の責任者となった。稲葉氏は損益分岐点比率を30%以下に抑えるよう[16]社内へ指示し、これを企業体質センサーと呼んだ。1976年5月にはドイツへ現地法人FANUC SERVICE GmbHを設け[17]、同年11月に東京証券取引所市場第二部へ上場[18]した。
1973年秋の第一次オイルショックののち[19]、大出力に大型の油圧源を要する電気・油圧パルスモータへのユーザーの評価が一変した。稲葉氏は米ゲティス社と提携し[20]、主力を油圧式から油を使わないDCサーボモータへ切り替えた。1974年7月、ゲティス社とのライセンス契約によりDCサーボモータの製造販売を始めた[21]。1975年5月には稲葉氏が社長に就任し[22]、主力のNC装置は国内シェア約75%、世界シェア約50%[23]を占めた。同年6月にはドイツのシーメンス社と営業・技術にわたる相互援助契約[24]を結び、欧州での協力の足場とした。
NC装置は工作機械に組み込まれて売られる部品[25]で、その主な買い手は工作機械メーカーだった。同じ工作機械を自ら手がければ顧客と正面から競合するため、稲葉社長は事業をNC・サーボ・機械を束ねた商品に限る『憲法』[26]を掲げ、その枠内で顧客と競わない最終製品を探した。製造部門でも作業員の単純作業をロボットへ置き換える構想[27]を持っていた。1974年に産業用ロボットの自社開発へ着手し、NCを制御装置、サーボモータを関節の動力に転用して1977年に最終製品市場へ参入[28]した。1977年10月には日野地区へ商品開発研究所を新設[29]し、同年11月に米国へ現地法人FANUC AMERICA CORPORATIONを設立[30]した。
1978年5月には韓国の貨泉機工社との共同出資で合弁会社KOREA FANUC CORPORATION[31]を設立した。1980年12月、ファナックは本社地区を山梨県忍野村に定め、ロボットおよびNC工作機械の製造工場を建設[32]して移転した。1981年12月に米ゼネラルモーターズからロボットの開発・製造・販売を担う合弁の申し込み[33]を受け、1982年6月にGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立[34]した。1982年7月には富士通ファナック株式会社をファナック株式会社へ社名変更[35]し、1983年9月に東京証券取引所市場第一部へ上場[36]した。1984年10月には東京都日野市から山梨県忍野村へ本店を移した[37]。
商品開発では、まず市場調査で競争相手に勝てる価格を決め、利益率35%を前提に製造原価を割り出した[38]。高いシェアと高い利益の同時実現は研究者への至上命令とされ、稲葉社長は『利益率35%の旗は降ろさない』[引用元]と公言[39]した。『自主技術という発想は古い』[引用元]として自力開発への固執を退け、『買える技術は外から買ってこい』[40]とも説いた。付加価値に対する人件費比率は30%以下に抑えるよう[41]社内へ指示していた。規模を広げるときも人と設備を安易に増やさず、省力化と自動化を先に検討する方針[42]を貫いた。
工作機械不況で減収減益となった1983年3月期でも、単体売上高827億円に対して経常利益297億円[43]を確保した。同期の売上高経常利益率は36%弱で、NCの国内シェアは約75%[44]、世界シェアは約50%だった。稲葉社長は企業規模の拡大とともに利益率が薄まるという経験則に数値目標で挑み、10年後の1993年3月期に売上高2000億円・経常利益700億円[45]と利益率35%の維持を掲げた。1984年には賃上げ余力の企業ランキングで2年連続の1位[46]となり、その余力は313.0%と算定された。1984年3月期の予想経常利益385億円に対し従業員は1,019人[47]だった。
1985年3月期の単体売上高は1417億円、経常利益は519億円に達し、売上高経常利益率は36.6%となった。NC装置の国内シェアは約70%、世界シェアは約50%[48]で、全上場企業のなかでも最高水準の収益力を示した。ロボットの生産台数は松下電器産業に並ぶ規模へ達し[49]、GMとの合弁も軌道に乗った。単体の売上高は1977年3月期の146億円から1982年3月期の923億円[50]へ伸び、ロボットはNCに次ぐ第二の柱に育った。1984年11月には電動射出成形機を開発[51]し、のちにロボマシンと呼ぶ小型機の系列に加えた。
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|---|---|---|---|---|
| 1956〜1985年富士通の制御部門から分社し、汎用NCの寡占と利益率35%を掲げた高収益経営へ | 富士通がNC装置に新規参入。稲葉清右衛門氏が社員として開発に従事 | ★★ | ||
| 参入10年目に初の黒字転換 | ★ | |||
| 高羅芳光 | ファナック創業——富士通「3C構想」の制御部門から分社したNC専業メーカー 1972年5月、富士通株式会社からNC(数値制御装置)部門が分離する形で、資本金20億円の富士通ファナック株式会社が神奈川県川崎市の富士通本社地区で発足した。原点は1956年、富士通信機の技術担当常務・尾見半左右氏が掲げた『3C構想』の制御分野で、機械技術者の稲葉清右衛門氏がNC研究の責任者に指名されたことにある。約10年の赤字を通信機事業の収益が吸収し、1965年の黒字転換を経て高収益部門に育ったNC部門が、独立採算の新会社として切り出された。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 高羅芳光 | ゲティス社とライセンス契約を締結。DCサーボモータに参入 | ★ | ||
| 高羅芳光 | NC装置の部品供給から、産業用ロボットの自社開発による最終製品参入 1970年代半ば、ファナックは工作機械を動かすNC(数値制御)装置を工作機械メーカーへ納める部品メーカーだった。社長・稲葉清右衛門氏は、顧客と競合しない最終製品として産業用ロボットに目をつけ、1974年に自社開発へ着手、1977年に最終製品市場へ参入した。NCを制御装置、サーボモーターを関節の動力に転用した判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 稲葉清右衛門 | シーメンス社と営業・技術に関する相互援助契約を締結 | ★ | ||
| 稲葉清右衛門 | 東京証券取引所第2部に株式上場 | ★ | ||
| 稲葉清右衛門 | 商号をファナックに変更 | ★ | ||
| 稲葉清右衛門 | ゼネラル モーターズ社との共同出資によりGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立 | ★★ | ||
| 稲葉清右衛門 | 電動射出成形機を開発 | ★★ | ||
| 稲葉清右衛門 | NC装置の高シェアと「利益率35%」を掲げた超高収益経営 1980年代半ば、ファナックはNC(数値制御)装置で国内シェア約75%・世界約50%を握り、売上高経常利益率が3割半ばに達する日本トップ級の超高収益企業となっていた。社長・稲葉清右衛門氏が『利益率35%』を経営の基本に据え、高シェアと高利益を同時に追う経営を貫いた結果である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 1986〜2002年海外拠点網の拡大とバブル崩壊後の停滞、パソコンNCの挑戦への応戦 | 稲葉清右衛門 | ゼネラル エレクトリックとの共同出資でGE Fanuc Automation Corporationを設立 | ★★ | |
| 稲葉清右衛門 | 隼人工場を新設 | ★ | ||
| 稲葉清右衛門 | GMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを全額出資子会社化 | ★ | ||
| 稲葉清右衛門 | 合弁会社BEIJING-FANUC Mechatronics CO., LTD.を設立 | ★ | ||
| 野澤量一郎 | 稲葉清右衛門氏が代表取締役会長に就任 | ★ | ||
| 野澤量一郎 | 合弁会社SHANGHAI-FANUC Robotics CO., LTD.を設立 | ★ | ||
| 小山成昭 | 富士通がファナック株式の売却を開始(約40%→約10%) | ★ | ||
| 2003〜2014年創業家二代目による増収計画とiPhone特需、そしてカリスマの退場 | 稲葉善治 | 稲葉善治氏が代表取締役社長に就任 | ★ | |
| 稲葉善治 | 名誉会長を含めた意思決定機関「経営会議」を発足。小山成昭会長が辞任 | ★ | ||
| 稲葉善治 | リーマンショックの影響で大幅減益。高収益はキープ | ★ | ||
| 稲葉善治 | ゼネラル エレクトリックとの合弁を解消 | ★★ | ||
| 稲葉善治 | iPhone特需へのロボドリル増産投資と、需要集中がもたらした業績の振れ 2010年代前半、ファナックは米アップルのiPhoneのアルミ筐体を削る小型工作機械『ロボドリル』の需要急増を受け、筑波工場の生産能力を倍増させた。中国でiPhoneを組み立てる鴻海精密工業など台湾系EMSを主な納入先とする特需に、能力を合わせにいった設備投資である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 稲葉善治 | 稲葉清右衛門氏が取締役を退任。取締役12名が降格 | ★ | ||
| 稲葉善治 | 配当性向倍増とSR部新設による株主還元・情報開示の方針転換 2015年4月27日、ファナックが連結配当性向を従来の30%から60%へ引き上げ、今後5年間の平均総還元性向(配当と自己株取得の合計)を純利益の80%以内とする株主還元方針を開示した経営判断。先立つ3月には株主対話の窓口となるSR(シェアホルダー・リレーションズ)部の新設を発表し、情報開示に消極的であった従来の方針を転換した。稲葉善治社長が主導した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 山口賢治 | スマホ向けロボドリルの特需が終了。6割減益へ | ★ | ||
| 山口賢治 | 山口賢治氏が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 山口賢治 | 稲葉清右衛門氏が95歳で逝去 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ファナック)