前田勝之助

東レ・元取締役社長

Maeda Katsunosuke(敬称略)

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社長就任 1987年
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1956年3月に京都大学大学院工業化学科を修了して東洋レーヨンへ入社し、主に生産技術畑を歩いた生え抜きである。1979年に愛媛工場長、1985年に取締役、1986年に常務となり、常務1年で1987年4月に社長へ就任した。社名に「三井」ではなく「東洋」を冠したのは、人絹事業が失敗したときに三井家へ迷惑をかけないためであり、創業期の東レは「今でいうベンチャービジネス」だった——社長就任前の1984年に前田勝之助氏が残した回想である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1987年に社長へ就任した。前年までの東レは、脱繊維をかかげて新規事業へ次々と手を広げた結果、本業の繊維部門が大赤字となり、新卒の採用をゼロにせざるをえない状態にあった。前田勝之助氏はこの急な悪化を「急性肺炎」と呼んだ。就任時の状況は、「もうどうしようもない時期に、私は社長になってしまいました」というものだった。1975年には週刊東洋経済が東レを「落ちた"三井の星"」と特集していた。

在任中の主な施策
施策

不振の原因を石油危機や円高ではなく社内の風土に求め、評論家的な社員の入れ替えに手をつけた。日本のGNPが20年で約20倍に伸びる間に売上高が3倍にとどまった停滞を「大企業病」「糖尿病」と呼んでいる。脱繊維の潮流には与せず、合繊を世界では成長の続く事業と位置づけて本業に残し、新規事業の核には炭素繊維・複合材料、医療・医薬、光ファイバーなどの電子情報機材を据えた。連結売上高は1992年3月期の9767億円から1996年3月期の9413億円で、経常利益は645億円から409億円へ減少した。1997年6月に平井克彦氏へ社長を譲り、会長に就任した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1987〜1997年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件
参考文献
  • 日経ビジネス 1991年9月9日号「革命を起こさなければ」
  • 日経ビジネス 1984年8月6日号「強さの研究・東レ」
  • 日経ビジネス 1997年9月15日号「平井克彦氏[東レ]登場 明るさ忘れず、「繊維トップ」の座守る」

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