決断
補償を払い続けるために、事業のほうを分離した。1973年3月20日の熊本地裁判決はチッソの責任を確定し、1959年12月の見舞金契約を公序良俗違反とする。同年7月の患者補償協定の後、支払いは資産の処分で賄われ、1973年9月に堺工場を24億円、1974年2月にチッソ電子化学を三菱金属へ34億円で譲渡した。1975年3月期末の累積欠損は155億3,000万円と資本金78億1,400万円のほぼ倍に達する。支払った補償金は漁業補償を含め210億円弱、処分した資産は122億円で、差額は自力では埋まらなかった。