クレハの歴史
沿革
1944年に設立された呉羽化学工業が起源。
1960年発売の家庭用ラップ「クレラップ」を日本の台所に広め、1991年には慢性腎不全用剤「クレメジン」を出した。家庭用品からフッ化ビニリデン樹脂やPGA樹脂などの機能樹脂、医薬、農薬まで手がける化学メーカー。
1944年〜呉羽化学工業の設立と「クレハロン」の生産開始
- 呉羽化学工業として設立[1]
- 東京証券取引所に株式上場[1]
- 塩化ビニリデン樹脂「クレハロン」の生産開始[2]
- 売上高
筆者所見
呉羽化学工業の創業期の価値は、上場の早さより、塩化ビニリデン樹脂という用途の狭い素材を手にした点にある。1944年6月に設立した同社は、1949年5月に東京証券取引所へ株式を上場した[1]。1953年9月には塩化ビニリデン樹脂「クレハロン」の生産を開始した[2]。汎用の化学品では大手と価格で競うほかないが、特殊な樹脂は自社で市場を育てる余地を残す。クレハロンの事業化が、家庭用ラップへ至る素材の系譜の起点になった。
- [1]有価証券報告書
- [2]公式サイト沿革
1960年〜「クレラップ」と炭素繊維・「クレスチン」による多角化
- 家庭用ラップ「クレラップ」販売開始[1]
- 錦工場研究所設置[1]
- 「クレハBTA」(MBS系耐衝撃強化剤)製造開始[1]
- 世界初の原油熱分解技術の開発に成功[3]
- 炭素繊維の製造開始[1]
- フッ化ビニリデン樹脂の製造開始[1]
- クレハロン・インダストリーB.V.を合弁設立[1]
- 抗悪性腫瘍剤「クレスチン」販売開始[1]
- 売上高
筆者所見
1960年代以降の多角化は、消費財・炭素材料・医薬という性格の異なる市場へ、同じ研究基盤から同時に出た点で際立つ。1960年7月に家庭用ラップ「クレラップ」を発売し、1969年12月に炭素繊維の製造を始めた[1]。1977年5月には抗悪性腫瘍剤「クレスチン」を発売した[1]。中堅の化学会社が、単一市場の景気に左右されない体制を事業の数で確保したと言える。小粒の事業が並ぶ構造は、のちに選別の判断を経営陣に課した。
- [1]有価証券報告書
1987年〜「フォートロンKPS」と電池用負極材による高機能材料への展開
- 「フォートロンKPS」(PPS樹脂)製造開始[1]
- 「NEWクレラップ」販売開始[3]
- 慢性腎不全用剤「クレメジン」販売開始[1]
- 家庭用品ブランド「キチントさん」導入[1]
- フォートロン・インダストリーズを合弁設立[1]
- 電池用負極材「カーボトロンP」販売開始[3]
- 電極用バインダー「KFポリマー」販売開始[3]
- 農業・園芸用殺菌剤「メトコナゾール」販売開始[1]
- 農業・園芸用殺菌剤「イプコナゾール」販売開始[1]
- 「クレメジン」細粒剤の販売開始[3]
- 売上高
筆者所見
合弁による投資の分担と高機能樹脂への注力が、1987年以降の進路を定めた。1987年4月にPPS樹脂「フォートロンKPS」の製造を開始し、1992年5月にフォートロン・インダストリーズを合弁で設立した[1]。1993年には電池用負極材「カーボトロンP」と電極用バインダー「KFポリマー」の販売に着手した[3]。炭素材料とフッ素樹脂の技術が、電池部材という新たな需要先を得た。電池部材の比重が、2003年に汎用樹脂から撤退する判断の前提を用意した。
- [1]有価証券報告書
- [3]クレハ 公式サイト「沿革」(2026年10月)
2003年〜塩化ビニル樹脂事業の譲渡とクレハへの商号変更
- 塩化ビニル樹脂事業とMBS系強化剤事業を譲渡[1]
- 炭素繊維製断熱材の製造で中国に合弁会社設立[1]
- クレハに商号変更[1]
- クレハプラスチックスを吸収合併[5]
- PGA樹脂の米国プラントが商業運転開始[3]
- ポリフッ化ビニリデンの中国プラントが商業運転開始[3]
- 「クレスチン」の販売終了[1]
- 全社で「カーボンニュートラルプロジェクト」を新設[6]
- 東京証券取引所プライム市場へ移行[1]
- 東京研究所設置[1]
- 名武克泰氏が代表取締役社長に就任[4]
- PVDFとクレメジンの製造設備で減損損失を計上[4]
筆者所見
2003年以降の再編は、汎用の塩化ビニル樹脂から撤退し、規模より用途で稼ぐ会社へ名実をそろえる過程だった。2003年1月に塩化ビニル樹脂事業とMBS系強化剤事業を譲渡し、2005年10月に商号をクレハへ変更した[1]。社名から「化学工業」を外したのは、素材の供給者から機能の提供者へ移る宣言である。2026年4月にはPVDFとクレメジンの製造設備で減損損失を計上した[4]。品目の集中は利幅を厚くする反面、特定需要の変調を全社の損益へ直に響かせる。
- [1]有価証券報告書
- [4]臨時報告書