デンカ の歴史

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創業 1915年
創業者 藤山常一
創業地 北海道苫小牧市
創業
1915年5月、牧田環氏ら三井系21人が資本金500万円で電気化学工業株式会社を設立した。母体は藤山常一氏が北海道苫小牧で個人として興した北海カーバイド工場で、石灰石と電源が揃うこの拠点に、第1次大戦で欧州からの石灰窒素の輸入が途絶えた時勢が重なった。社名はカーバイドの製造が電気による化学反応に基づくことに由来する。1916年10月に大牟田工場、1921年12月に青海工場でカーバイドと石灰窒素の製造を始め、1942年には大牟田でアセチレンブラックへ品目を広げた。1949年5月に株式を上場し、2015年10月に商号をデンカ株式会社へ改めている。
決断
事業を選ぶ基準を、107年目に初めて数値で置いた。1962年6月、青海工場田海地区で国産技術によるクロロプレンゴムの企業化に成功し、米デュポン・独バイエルに次ぐ世界3社目の量産化へ到達する。同じ年の11月にはデンカ石油化学工業を設立し、カーバイドと石油の二系統から品目を足す形をとった。1965年に肥料、1966年に機能・加工製品、1979年には東芝から東芝化学工業(のちのデンカ生研)を譲り受けて医薬・診断へ広げている。2022年10月にセメントの販売事業を太平洋セメントへ譲渡し、石灰石の自社採掘まで含めて祖業に連なる事業から退いた。翌11月の中期経営計画Mission2030は3つ星事業以外を撤退・売却の対象と定め、WACC6%を最低ラインに製品ごとのROICを算出している。
現況
売上の1割の医薬・診断が、利益の4分の1を出している。2026年3月期の連結売上高3,842億円のうちライフイノベーションは405億円にすぎないが、セグメント利益62億円は4事業の合計238億円の4分の1にあたり、利益率15.4%は全社の6.8%を大きく上回る。最大の利益源は電子・先端プロダクツで売上1,044億円・利益138億円、ポリマーソリューションは売上1,241億円に対し利益35億円にとどまる。エラストマー・インフラソリューションは前期に79億円の損失を出し、連結を123億円の純損失へ沈めた。1979年に東芝から譲り受けた診断薬の会社を2020年4月に本体へ統合し、新型コロナ検査キットを量産したことが、最も利益率の高い事業へ変えた。
競合
世界で数社しか作らない品目を、1拠点だけで作っていた。1962年の企業化当時にクロロプレンゴムを生産していたのは米デュポンと独バイエルの2社のみで、デンカは世界3社目として青海工場に生産を集めた。主要な需要家が集まる北米へ第2の拠点を置くため、2014年12月に三井物産との共同出資でDuPontのクロロプレンゴム事業を譲り受けた。ところが取得時に想定しなかったクロロプレンモノマーの排出削減設備の導入と運用の費用が膨らみ、需要も減って、2025年5月に米国DPEの製造設備を暫定停止した。供給の集中を解くために取得した拠点が、10年で環境規制の費用を抱える側へ変わった。
デンカ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー カーバイド肥料創業と三井資本の引き受け (1915年〜)

三井資本が引き受けた一人の科学者の技術

日本のカーバイド工業は、藤山常一という一人の科学者から始まった。藤山は1902年、仙台市郊外の三居沢に三居沢カーバイド製造所を起こし、日本で最初[1]のカーバイドの製造を始めた。その藤山が1912年、北海道苫小牧に北海カーバイド工場[2]を起こしたのが、電気化学工業の母体になった工場である。三居沢で始まったカーバイド製造が、苫小牧の北海カーバイド工場を経て、三井資本の引き受けによる会社設立へとつながった。一個人の発明として始まったこの前史が、デンカが祖業として抱えるカーバイド化学の出発点である。

  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社 編、1968年)「電気化学工業(現デンカ)」の項
    • [1]藤山常一は1902年(明治35年)に仙台市郊外の三居沢に三居沢カーバイド製造所を起こし、日本で最初のカーバイドの製造を始めた
    • [2]藤山常一は1912年(明治45年)に北海道苫小牧に北海カーバイド工場を起こし、これが電気化学工業の母体になった

電気化学工業の起点は、北海道苫小牧で藤山常一という科学者が個人で立ち上げた北海カーバイド工場にある。藤山は1913年にカーバイド、翌1914年に石灰窒素の製造に成功した。この事業に資金を出したのが、牧田環・藤原銀次郎・團琢磨ら三井系21人である[3]。個人の発明を三井本流の重役たちが直接引き受ける形で、日本における電気化学工業の最初の事業化が動き出した。当時の日本は欧州からの化学肥料輸入に依存しており、国内生産の立ち上げは国策的にも急務である。苫小牧に石灰石と電源が揃っていたという地理的条件と、第1次大戦の輸入途絶という時勢と、三井合名が化学工業への進出先を探していたタイミングが重なった瞬間に、この会社は生まれている。

  • デンカ 有価証券報告書【沿革】/ デンカ110年史
    • [3]電気化学工業の設立は三井系が引き受けた

第1次大戦で欧州からの石灰窒素輸入が途絶し、三井合名内で化学工業進出の機運が高まったところへ、ちょうど苫小牧にこの工場があった。1915年5月、北海カーバイド工場の事業を引き継ぎ[4]、資本金500万円で電気化学工業が設立される[5]。社名はカーバイド製造が電気による[6]化学反応に基づくことから付けられた。一個人の発明が、戦時の輸入途絶と三井資本の投資判断に拾われて会社になったというのが、デンカ110年史の起源である。創業の資本金500万円は当時としては、三井グループが化学工業に本格参入する象徴的な出資だった。以後の同社は、この三井系出資と国策的な肥料増産の要請を背景として、石灰窒素の国産化を担う主要プレーヤーへと育つ。

  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社 編、1968年)「電気化学工業(現デンカ)」の項
    • [4]1915年(大正4年)5月、藤山博士の特許と北海カーバイド工場を譲り受け、三井系資本をバックに資本金500万円で電気化学工業が設立された
  • デンカ 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1915年5月に資本金500万円で電気化学工業が設立された
    • [6]社名「電気化学工業」はカーバイド製造が電気化学反応に基づくことに由来する
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社 編、1968年)「電気化学工業(現デンカ)」の項
    • [1]藤山常一は1902年(明治35年)に仙台市郊外の三居沢に三居沢カーバイド製造所を起こし、日本で最初のカーバイドの製造を始めた
    • [2]藤山常一は1912年(明治45年)に北海道苫小牧に北海カーバイド工場を起こし、これが電気化学工業の母体になった
    • [4]1915年(大正4年)5月、藤山博士の特許と北海カーバイド工場を譲り受け、三井系資本をバックに資本金500万円で電気化学工業が設立された
  • デンカ 有価証券報告書【沿革】/ デンカ110年史
    • [3]電気化学工業の設立は三井系が引き受けた
  • デンカ 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1915年5月に資本金500万円で電気化学工業が設立された
    • [6]社名「電気化学工業」はカーバイド製造が電気化学反応に基づくことに由来する

資源産地に張り付いた創業期の立地戦略

カーバイドの原料は電力・石灰石・炭素材で、いずれも重量物のため、工場は資源の出る場所に置く必要があった。1916年に旧満州・撫順(コークス)と福岡県大牟田[7](コークス)、1921年に新潟県青海(高純度石灰石)を完成させ[8]、青海用に小滝川・大所川・海川第1〜第4の自社水力発電所を1921年から1930年にかけて建設した。電力を自前で押さえ、石灰石・コークスの産地に直結する立地戦略は、電気化学工業の原価構造そのものを決める選択だった。カーバイド1トンを作るために膨大な電力を投じる産業構造を、自家水力発電所と高純度石灰石鉱山の垂直統合で支えるという答えを、創業期の同社は選んだ。この青海拠点が、のちに塩ビ・クロロプレン・セメントの母胎となる。

  • デンカ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1916年に福岡県大牟田の工場を完成させた
    • [8]1921年に新潟県青海の工場を完成させた(高純度石灰石)

撫順は1920年に南満州鉄道へ譲渡されるが、海外では満州電気化学工業・台湾電化・山東電化・印度支那電化工業の設立にも参加し、戦前期の同社は国策的アジア展開の担い手でもあった。敗戦により海外資産はほぼ消失し、戦時中に強制出資させられた大淀川発電所も戦後は返還されないなど、創業期の資産形成の一部は戦争で失われた。満州・台湾・華北・仏印に広げた事業網と自家水力発電所の一部は戻らず、戦後の同社は国内の青海・大牟田を軸に再出発する。戦前に国策企業として築いた海外拠点網を一度はすべて失うという経験は、のちの海外展開の設計にも影を落としている。

  • デンカ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1916年に福岡県大牟田の工場を完成させた
    • [8]1921年に新潟県青海の工場を完成させた(高純度石灰石)

戦後の高率配当が生んだ多角化原資

戦後の食糧難打開のための化学肥料緊急増産対策要領と、1950年の販売統制撤廃で石灰窒素市場は再活性化した。1951年下期と1952年上期に同社は40[9]%という創立以来初の高率配当を実施し、株価は1952年に最高520円・最低438[10]円と当時として破格の値を付けた(日本会社史総覧 1995)。当時の蓄積が、次の事業の幅を広げる原資になる。石灰窒素だけを生産していた創業期の会社が、配当40%を連続して出せるほどの収益力を回復したことで、次の投資に動き出す体力が整った。戦後復興期の食糧増産政策という国策の追い風を受け、祖業の石灰窒素事業が一時的に稼ぎ、それが次の時代の多角化投資を支える原資となる構図である。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [9]1951年下期と1952年上期に40%の高率配当を実施した
    • [10]株価は1952年に最高520円・最低438円を付けた

1948年策定の有機合成化学工業拡充五カ年計画を受け、同社は塩化ビニール樹脂・酢酸ビニールモノマー企業化を決定し、1951年に渋川工場で塩ビ製造を開始した。1953年に電化セメントを設立して青海工場製造のセメントを北陸地方に供給し、カーバイド一本足からの離脱が始まる。肥料会社から化学会社への転換を、戦後復興期の需要と40%配当の蓄積が押し出した形である。青海で築いたカーバイドチェーンが石灰窒素・塩ビ・セメントへと枝分かれし、多角化の原型が1950年代前半に固まった。カーバイドという一つの中間体から複数の最終製品へ流し込む連産品型の事業構造が、以後のデンカの多角化のロジックを規定する。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [9]1951年下期と1952年上期に40%の高率配当を実施した
    • [10]株価は1952年に最高520円・最低438円を付けた

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デンカの沿革1915〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1915〜1961年カーバイド肥料創業と三井資本の引き受け電気化学工業設立
東京・大阪株式取引所で株式定期売買開始
大牟田工場でカーバイド・石灰窒素の製造開始
青海工場でカーバイド製造開始
近藤銕次大牟田工場でアセチレンブラック製造開始★★
近藤銕次東京・大阪・名古屋証券取引所に株式上場
野村与曾市電化セメント設立★★
野村与曾市東洋化学に資本参加
野村与曾市群馬化学設立
1962〜2014年クロロプレン日本初参入と総合化学への脱皮野村与曾市国産技術によるクロロプレンゴムの企業化と、丸善石油化学コンビナートへの参加

1962年、電気化学工業が青海工場の田海地区でクロロプレンゴムの企業化に日本で初めて成功し、同じ年にデンカ石油化学工業を設立して千葉・五井の丸善石油化学コンビナートへ参加した経営判断。野村與曾市 社長は、カーバイド系と石油化学系という二本の柱を同時に立てた。

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★★★
野村与曾市デンカ石油化学工業設立★★
野村与曾市日之出化学工業の経営権取得
野村与曾市機能・加工製品事業開始
野村与曾市特殊混和材「デンカCSA」販売開始
野村与曾市大牟田工場で溶融シリカ製造開始
野村与曾市デンカエンジニアリング設立
野村与曾市渋川工場で高性能接着剤「ハードロック」製造開始
野村与曾市アクゾと合弁デナック設立
野村与曾市東芝化学工業の株式を東芝より譲受★★
野村与曾市デンカシンガポール設立
野村与曾市渋川工場で電子基板「HITTプレート」製造開始
野村与曾市デナールシラン設立
野村与曾市デンカアドバンテック設立
野村与曾市千葉スチレンモノマー設立
野村与曾市塩化ビニール事業を東ソー・三井東圧化学と事業統合★★
野村与曾市ポリスチレン事業を新日鐵化学・ダイセル化学と事業統合★★
晝間敏男大阪・名古屋・福岡各証券取引所の上場廃止
晝間敏男東洋化学を吸収合併
晝間敏男電化精細材料(蘇州)有限公司を設立
川端世輝デンカ生研を株式交換により完全子会社化★★
川端世輝アジア地域統括持株会社デンカケミカルズHDアジアパシフィック設立
吉髙紳介社長交代(川端世輝→吉髙紳介)
吉髙紳介三井物産との共同出資によるDuPontのクロロプレンゴム事業の譲受と、米国DPEの設立

2014年12月、デンカが三井物産と共同で米国にDenka Performance Elastomer(DPE)を設立し、DPEを通じてDuPontのクロロプレンゴム事業を譲り受ける契約を締結した経営判断。2015年10月31日に手続きが完了し、ルイジアナ州ラプレースのPontchartrain工場が青海工場に次ぐ第2の生産拠点となった。

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★★★
2015〜2024年スペシャリティ集約とMission2030吉髙紳介アイコンジェネティクス株式51%を譲受
吉髙紳介商号を「デンカ」に変更
山本学社長交代(吉髙紳介→山本学)
山本学デンカ生研の本体統合と新型コロナ検査キットの量産化

2020年4月1日、デンカが子会社デンカ生研を吸収合併してライフイノベーション事業を本体へ統合し、山本学社長が新型コロナウイルス検査キットを1年以内に量産すると表明した経営判断。素材総合化学の傍流にあったヘルスケアを、スペシャリティ化の柱として前面に据えた。

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★★★
今井俊夫セメント事業からの撤退と、販売事業の太平洋セメントへの譲渡

2022年10月25日、デンカが取締役会でセメント事業からの完全撤退を決議し、セメント販売事業を新設の100%子会社へ吸収分割したうえで全株式を太平洋セメントへ譲渡する契約を結んだ経営判断。今井俊夫 社長のもとで、石灰石の自社採掘とセメント製造も2025年上期を目途に止めることを決めた。

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★★★
今井俊夫初の純損失計上★★
石田郁雄社長交代(今井俊夫→石田郁雄)
出典・参考
  • デンカ 有価証券報告書【沿革】/ デンカ110年史
  • デンカ 有価証券報告書【沿革】
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社 編、1968年)「電気化学工業(現デンカ)」の項
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)

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