2005年10月、三菱化学と三菱ウェルファーマは株式移転で三菱ケミカルホールディングスを設立し、東証・大証に上場[1]した。発足時の売上高は2兆1894億円[2]。化学と医薬という性格の異なる2社を持株会社の下に並べる構造は、当時の日本の総合化学では珍しい選択だった。石化・機能材料を主軸とした三菱化学と、旧三菱東京製薬・三菱ウェルファーマの系譜をもつ医薬事業を、同一の資本のもとに置きつつ事業運営は分けたまま残す設計である。シクリカル性の強い汎用化学と研究開発型の医薬を同じ資本の下で束ねるという構えが、発足当初から組織の骨格とリスク分散の考え方を決めていた。
ねらいは事業会社の自律性を保ったままグループ全体の戦略を一元化することにあったが、この『持株会社+多事業会社』という構造は、以後10年以上にわたってグループの統合度合いを低く保つ要因にもなった。後継指名の経緯も持株会社の狙いを映していた。
シクリカル性の強い汎用化学と研究開発型の医薬を同じ資本の下で束ねる構えは、この相互補完の実績を踏まえたものだった。グループの骨格となる3本柱の姿はここから描かれ始め、第1期の総合化学化をその後10年で複数の再編を重ねながら、総合化学最大手への道筋が作られた。
2007年10月、三菱ケミカルホールディングスは三菱樹脂[3]を株式交換で完全子会社とした。三菱化学が公開買付けで買い増した三菱樹脂株を現物配当で受け取り、そのうえで株式交換に踏み切る3段の手続きである。同月には三菱ウェルファーマと田辺製薬が合併して田辺三菱製薬が発足し[4]、医薬事業は国内大手規模に拡大した。翌2008年4月には三菱化学の機能材料事業とフィルム関連3[5]社を三菱樹脂へ集約し、基礎化学品・機能商品・医薬の3事業会社を持株会社が横並びに束ねる構えが整った。総合化学最大手の輪郭は、この一連の再編でおおよそ描かれた。
2010年3月に三菱レイヨンを公開買付で連結子会社化し[6]、同年10月に完全子会社化した。炭素繊維・アクリル樹脂・MMAを取り込み、世界[7]MMA首位級のポジションを得る。リーマンショック直後に純損失671億円を計上[8]した直後の決断であり、業績悪化期に攻めの再編を仕掛けた経営判断であった。MMAは以後アジア市況の振れに翻弄される事業となり、2020年代の構造改革の主要論点にまで持ち越された。一度取り込んだ事業を10年単位でどう扱い直すかという問いも、この三菱レイヨンの取り込みから始まった。
2014年11月、大陽日酸を公開買付で連結子会社化[9]した。産業ガス国内最大手の取り込みによって[10]、グループは化学・医薬・産業ガスという3つの収益柱を持つ構造になった。同年4月にはヘルスケアソリューション事業を統合して生命科学インスティテュートを発足させ[11]、医薬の周辺領域も束ねている。おおよそ4年に1件のペースで買収を重ねた第1期の拡大路線は、この大陽日酸の取り込みで一区切りを迎えた。グループ売上は3兆円台に乗り、国内総合化学のなかでも突出した規模となる。次の経営課題は統合側に重く残され、以降の10年にわたって統合の進捗が経営の中心テーマとなった。
大陽日酸の取り込みは、汎用石化の景気感応度を産業ガスの安定収益で補完する狙いの再編だった。のちにこの大陽日酸は2020年10月に持株会社化して日本酸素[12]ホールディングスとなり、上場を維持したまま自律性を高める。グループ有利子負債の4-5割を同社関連が占める構造もここで形作られ、2020年代には『日本酸素を売却すべきか』という論点を繰り返し呼び寄せる種となった。安定収益源として取り込んだはずの産業ガスが、のちに資本効率の制約としても語られる。取り込みはゴールではなく、10年後には経営課題の側へ位置づけが転じた。拡大路線の果実と副作用が、ひとつの取引のなかに最初から共存していた構図でもある。
2015年6月、3代目社長として越智仁が就任[13]した。越智は中期経営計画『APTSIS20』を推進し[14]、リージョナルヘッドクォーターを4極に置いて地域ごとに自律的に動かす体制を整えた。拡大期に積み上げた事業群をいかに連携させるかが越智体制の中心課題であり、地域主体の運営と業種横断の連携という2つの軸が並行して掲げられた。第2期の運営モデルの輪郭はここで形づくられ、以後のワンカンパニー化論議の土台となる。
ただし当時のリージョナルヘッドクォーターは本社の裁量権が、地域に合った活動をスピード感を持って展開しにくいという課題が残った。のちにギルソン期の振り返りで瀧本EVPが認めたように、コーディネーターの域を超えてビジネスを動かす権限までは地域に渡っていなかった。地域別に動く組織は作ったものの、中身はなお本社中心の製品プッシュ型で、市場から出発する意思決定までは届かなかった。APTSIS20期に芽生えたグローバル運営の構想は、外形を先に作り中身を後から埋めるという三菱ケミカル特有の順序をここでも繰り返し、次期ギルソンの急進改革の前提を作った。
2017年4月、三菱化学・三菱樹脂・三菱レイヨンの3社が合併し[15]、事業会社『三菱ケミカル』が発足した。持株会社の発足から12年を経ての中核事業会社統合[16]である。旧3社に合計56あったビジネスユニットは26に集約され、10の事業部門へ再編されている。越智仁社長はホールディングス社長と新会社社長を兼ね、4年で500億円のシナジーを積み上げて2020年度に営業利益2000億円を達成する目標を掲げた。買収で並べた3社の技術と顧客基盤を一体で動かせるかどうかに、統合の成否がかかっていた。
法人の統合は成っても、業務基盤の一体化は後追いとなった。合併3社はそれぞれが過去の買収を通じて取り込んだ会社の集合体であり、ERPシステムは10以上が併存する[17]。財務諸表はつなげて作成できたものの、米国から日本にある製品を発注することすらできない状態が後年まで残った。のちにギルソン社長が『ビジネスの観点からつながっているとは言えない』[引用元](IR Day 2022年9月)と述べたこの構造は[18]、発足時から抱えていたものであった。法人は1つでも業務は旧三菱化学・旧三菱樹脂・旧三菱レイヨンの3つの島に分かれたままで、グローバル運営への切り替えは次期経営陣の課題として残された。
2020年3月、田辺三菱製薬を公開買付と売渡請求で完全子会社化した[19]。同月、新型コロナ禍と石化市況悪化が直撃し、グループはFY20に純損失75億円を計上した[20]。リーマン以来の赤字であり、汎用化学への依存度の高さが再び露呈する。医薬の完全取り込みで収益を安定化させようとした矢先に、石化のシクリカル性が足元をすくった格好である。第1期で積み上げた総合化学のコングロマリットは、業種の異なる事業を抱え込んでもなおシクリカルリスクを十分には吸収しきれないことが、コロナ禍の数字の形で示された。越智体制の終盤は次期への課題引き継ぎの色合いを強め、組織と資本を一体にする次の一手を不可避とした時期でもあった。
田辺三菱の非公開化は、上場子会社の少数株主とのコンフリクトを解消し、医薬事業をグループ完全統合する意図だった。一方でコロナ禍での赤字転落は、ポートフォリオ転換の必要性を決定的にした。同年10月の大陽日酸の持株会社化(日本酸素ホールディングスへの商号変更)と合わせ、グループは構造改革の入口に立つ。拡大路線を主導した越智体制は2021年3月まで続き[21]、次の舵取り役は日本の総合化学では前例のない外国人社長を社外から連れてくる決断につながった。第2期は拡大の総括期であると同時に、次期の急進改革を呼び込む土壌が整った時期でもある。
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|---|---|---|---|---|
| 三菱化成と三菱油化の合併・三菱化学の発足(1994年成立) 1994年10月1日、三菱化成と三菱油化が合併し、総合化学最大手・三菱化学が発足した案件。合併後最初の通期の連結売上高は1兆円を超え、当時の世界で第9位の規模となった。石炭化学・機能材料の三菱化成と石油化学の三菱油化を一体化したこの新会社は、現在の三菱ケミカルグループ(証券コード4188)の直接の母体である。 詳細を読む | ||||
| 赤字事業の撲滅と四日市エチレン停止による「脱・総合」への転換 1994年10月に旧三菱化成と旧三菱油化の合併で発足した総合化学最大手・三菱化学が、合併後の低収益と株価低迷を受け、1997年末の戦略会議で利益最重視へ転換し、1998〜2002年に赤字事業の撲滅・四日市エチレン停止・汎用石化の他社統合を進めて脱『総合』へ向かった経営判断。三浦昭社長のもとで始まり、正野寛治社長へ引き継がれた。 詳細を読む | ||||
| 2005〜2014年大連結期と子会社群の統合拡大と事業基盤の拡充 | 冨澤龍一 | 三菱化学と三菱ウェルファーマの共同株式移転・三菱ケミカルホールディングス設立(2005年成立) 2005年10月3日、三菱化学と三菱ウェルファーマが共同株式移転で三菱ケミカルホールディングス(証券コード4188)を設立し、東証・大証に上場した。化学と医薬という性格の異なる2事業を持株会社の下に束ねる、国内首位の総合化学グループが発足した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 小林喜光 | 小林喜光氏が社長に就任 | ★ | ||
| 小林喜光 | 三菱樹脂の株式交換による完全子会社化と機能商品の持株会社直下への集約 2007年3月の公開買付け、9月の株式の現物配当、10月の株式交換という3段の手続きで、三菱ケミカルホールディングスは三菱化学の子会社であった上場企業・三菱樹脂を完全子会社とした。三菱樹脂は上場を退き、持株会社の直下に並ぶ事業会社となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小林喜光 | 三菱ウェルファーマと田辺製薬が合併し田辺三菱製薬発足 | ★★ | ||
| 小林喜光 | リーマンショックで純損失計上 | ★ | ||
| 小林喜光 | 三菱レイヨンの公開買付けによる子会社化(総額約2100億円) 2009年11月19日、三菱ケミカルホールディングスと三菱レイヨンが経営統合の基本合意を公表し、三菱ケミカルが公開買付け(TOB)で三菱レイヨンを子会社化する方針を発表した経営判断。TOB価格は1株380円、翌2010年3月30日に議決権ベース約78%を取得して連結子会社化し、同年10月に株式交換で完全子会社とした。取得総額は約2100億円に上った。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小林喜光 | ヘルスケアソリューション事業を統合し生命科学インスティテュートを発足 | ★ | ||
| 小林喜光 | 大陽日酸を公開買付で子会社化 | ★★ | ||
| 2015〜2020年ワンカンパニー化への模索と事業基盤の拡充 | 越智仁 | 越智仁氏が社長就任 | ★ | |
| 越智仁 | 三菱化学・三菱樹脂・三菱レイヨンの統合・三菱ケミカル発足(2017年成立) 2017年4月1日、三菱ケミカルホールディングス傘下の化学系3社(三菱化学・三菱樹脂・三菱レイヨン)が合併し、事業会社『三菱ケミカル』が発足した。売上高3兆円近くの、単一企業として国内断トツの総合化学メーカーが誕生した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 越智仁 | 田辺三菱製薬の完全子会社化(4918億円TOB)と親子上場の解消 2019年11月18日、三菱ケミカルホールディングス(HD)が、出資比率56%の上場子会社・田辺三菱製薬をTOB(株式公開買い付け)で完全子会社化し、上場廃止にすると発表した経営判断。買付価格は発表前株価の5割増しにあたる1株2010円、取得総額は約4918億円で、翌2020年1月に成立して田辺三菱は上場廃止となった。越智仁社長の主導により、医薬・ヘルスケアをグループの戦略重点へ引き上げるねらいがあった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 越智仁 | コロナ禍で純損失転落 | ★ | ||
| 2021〜2024年外国人社長の急進改革と揺り戻しと事業基盤の拡充 | ジョンマーク・ギルソン | ジョンマーク・ギルソンが社長就任 | ★ | |
| ジョンマーク・ギルソン | 新経営方針「Forging the Future」を発表 | ★ | ||
| ジョンマーク・ギルソン | 三菱ケミカルグループに商号変更 | ★ | ||
| ジョンマーク・ギルソン | 筑本学氏が社長就任 | ★ | ||
| 筑本学 | MMA大増産でスプレッド急悪化、構造改革を加速 | ★ |
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事実根拠:出所(三菱ケミカルグループ)