サウジ・アラムコとの折半合弁による石油精製・石油化学統合コンプレックス「ラービグ」への進出
原料立地に賭けた海外石化は、なぜ20年後に戦後最大の赤字の主因となったか
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- 概要
- 2004年5月、住友化学の米倉弘昌社長は、世界最大の産油国サウジアラビアの国営石油会社サウジ・アラムコと折半出資で合弁を設け、紅海岸ラービグに石油精製・石油化学の一貫コンプレックスを建設する覚書に調印した。総投資額43億ドル(約4,700億円)規模の海外石化進出で、三井化学との統合が破談した直後の単独路線を象徴する判断であった。
- 背景
- 二度の石油危機以降、住友化学はシンガポールやアサハンなど政府間協定を背負った海外案件を引き受け続けていた。2003年に三井化学との経営統合が破談し、単独で世界に伍する競争力をどう得るかが課題となる。原油高が続くなか、原料コストを制する海外立地への転身が最大の関心事となっていた。
- 内容
- サウジではアラムコが供給する天然ガスのエタンが公定価格で固定され、ナフサを使う日本の石化に比べ原料コストが圧倒的に安い。アラムコが川下の石化に初参入するにあたり、シンガポール工場の実績を評価して住友化学を選んだ。合弁会社ペトロ・ラービグは2009年4月に基幹エタンクラッカーの操業を始めた。
- 含意
- 操業後は出資比率の低下・建設費の倍増・操業トラブルが重なり、最初の10年のうち8年で利益が出なかった。2012年の第2期増設は裏目に出て、シェール革命が原料の優位性を削いだ。2024年3月期には債権放棄損1,098億円を含む戦後最大の赤字を招き、海外石化戦略は事実上の終止符を打った。
正しそうな戦略という陥穽
ラービグの判断は、要素だけを取り出せばどれも理にかなっていた。原料高が続くなかで、産油国に立地し公定価格のエタンを握れば、ナフサ依存の日本勢に対して圧倒的なコスト差が生まれる。相手は世界最強とうたわれた国営石油会社で、選ばれたのはシンガポールで実績を積んだ住友化学であった。三井化学との統合が破談した焦りのなかで、単独で世界に伍する道筋がこの一手に凝縮されていたことも確かである。当時これを「大逆転」と持ち上げた同時代の評価は、決して的外れではなかったとみることができる。
それでも結果は、正しそうに見える戦略ほど落とし穴が深いことを示している。出資比率の低下、建設費の膨張、操業の難航、そしてシェール革命という計算外の技術変化が、優位の前提を一つずつ崩した。産油国との合弁が国家プロジェクトの色合いを帯びるほど、一企業の采配で軌道修正することは難しくなる。原料立地という論理の正しさと、20年かけて積み上がった損失の重さ。この二つをどう両立させるかという問いは、資源を持たない国の化学会社が海外に活路を求めるとき、なお繰り返し立ち現れる問いといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
国を背負った海外石化の系譜
住友化学の海外石化は、収益判断というより国の経済外交の受け皿として積み上がってきた。二度の石油危機で電力多消費のアルミ製錬が立ち行かなくなった時期、同社は国内で事業を縮小する一方、海外ではナショナルプロジェクトを引き受け続けた。1982年に日本・インドネシアの経済協力事業としてアサハン・アルミニウムが操業し、1984年3月には日本・シンガポール経済協力事業として年産30万トンのシンガポール石油化学コンビナートが稼働した。国内は縮小、海外は新設という非対称な意思決定は、政府案件の履行義務に近いものであった[1]。
このシンガポール工場(PCS)が、後にサウジ進出の伏線になった。1984年の創業後に増強を重ねて年産100万トンへ育ち、国際的なベンチマーク調査で競争力の高さが評価された。当初から中国市場を相手にしてきたため、販売網も築かれていた。2003年に三井化学との経営統合が破談すると、住友化学は単独で世界に伍する競争力をどう獲得するかという問いに直面する。原油高が続くなか、原料コストを制する立地への転身がその答えとして浮かび上がった[2]。
原料コストという一点
進出の動機は、一にも二にも原料コストにあった。日本の石化はナフサを原料に使うが、当時は原油高でナフサが1バレル40ドル前後まで高騰していた。これに対しサウジでは、アラムコが供給するエタンの公定価格が100万BTU当たり0.75バレルで固定されており、ナフサが半値に暴落してもなお5分の1の安さであった。産油国に近いほど原料高を回避できるという原理を、産油国そのものへ立地することで突き詰めた選択であったといえる[3]。
相手のアラムコにも事情があった。失業問題を抱えるサウジ政府は、天然ガスを使った石化産業を育てて雇用を吸収する構想を描いており、原料供給者のアラムコ自身が川下の石化に初めて乗り出した。最終段階まで残ったパートナー候補にはダウ・ケミカルやサウジ基礎産業公社の名も挙がっていたが、アラムコはシンガポール工場の実績を評価して住友化学を選んだ。同時代の誌面はこれを「相思相愛」の婚約と評し、業界に衝撃が走ったと伝えている[4]。
決断
覚書調印と合弁の枠組み
2004年5月9日、米倉弘昌社長はサウジ東部ダハラーンのアラムコ本社を訪れ、同社のジュマー社長と覚書に調印した。合意の骨子は、アラムコと住友化学が折半出資で合弁会社を設立し、43億ドル(約4,700億円)を投じて石油・石油化学製品の一貫生産プラントを建設するというものであった。建設地の紅海岸ラービグには既存の大製油所とパイプライン・電力・港湾のインフラが整い、そこに分解装置と石化プラントを併設して2008年後半の稼働を目指す計画であった[5]。
この投資は既存の海外計画を振り替えたものでもあった。ラービグ計画が持ち上がらなければ、住友化学はシンガポールでシェルと組み生産能力を200万トンへ倍増する約1,000億円の投資を予定していた。その資金をラービグへ向けたのであり、アラムコは「意中の人」を横取りした形になった。米倉社長は、汎用品はアラムコとの合弁で国際競争を戦い、国内は高付加価値品に集中するという将来図を描いた。業界のサバイバル戦略の枠を飛び出した判断であった[6]。
リスクを取らねば権益は得られない
米倉社長は、リスクを取らなければ権益は得られないと考え、それを公言していた。同時代のインタビューでは、石化製品が10年ぶりの好況にあってもいずれ需給は緩むとみて、危機感を持つべき対象を原料に据えた。地政学的な不安がラービグに影を落とす危惧を認めつつも、それを上回るコスト競争力を取りにいった判断であった。日経ビジネスの誌面が「リスクなくして権益なし」と見出しを立てたのは、この時期の同氏の考えを映したものであった[7]。
この賭けは、三井化学との統合破談を背にした単独路線の柱でもあった。統合が実現していれば売上3兆円弱で世界の五指に入るという夢を描いていたが、それが霧散したあと、住友化学は原料立地・情報電子・農業を軸に単独で勝ち残る道を選んだ。ラービグはその筆頭に置かれ、社運を懸けた海外進出であった。決断の重さは、後に振り返るまでもなく、当時から明らかであったとみられる[8]。
結果
誤算の連鎖
2009年4月に基幹エタンクラッカーが操業を始めたものの、誤算は当初から続いた。折半出資で設立した合弁はサウジ側の要請で出資比率を抑えられ、持分法投資利益としてしか取り込めなくなった。建設費は倍以上に膨らみ、現地作業員の習熟に時間がかかって設備トラブルも続いた。2010年2月の中期経営計画では2013年3月期の持分法投資利益を400億円と見込み、その過半をラービグで稼ぐ方針であったが、2012年3月期の実績はわずか5億円強にとどまった[9]。
2012年、住友化学は総投資額70億ドル規模の第2期増設に踏み切った。1期の投資回収の道筋が明確でない段階での決定で、同時代の誌面は「見切り発車の感が否めない」と書いた。追加投資は最終的に91億ドルまで膨らみ、これが裏目に出る。ラービグの精製設備は重油など低付加価値品の比率が高く、後の苦境の一因となった。加えて米国のシェール革命が原油・ガスの供給を増やして価格を抑え、コスト競争力の相対的な優位が計画より低下した[10]。
戦後最大の赤字と処理
ラービグの不振は財務に直接跳ね返った。欧州景気の低迷と重なった2013年3月期には、住友化学は連結純損失510億円を計上する。そして2024年3月期には、ラービグ関連の処理に医薬のラツーダ特許切れと石化市況の低迷が重なり、営業損失4,888億円・純損失3,118億円という戦後最大の赤字に沈んだ。原料立地の優位を武器に描いた海外石化の構想が、20年を経て会社全体の収益基盤を揺るがす損失の主因となった時期であった[11]。
2024年8月、住友化学は合弁会社ペトロ・ラービグの財務改善プランを発表し、債権放棄を含む抜本的な対応に踏み切った。このとき計上した債権放棄損は1,098億円にのぼり、30年来のサウジ石化プロジェクトの巨額損失処理となった。岩田圭一社長は当時の判断を「間違いない経営戦略だった」と振り返りつつ、2012年に精製設備の高度化ではなく石化の能力増強を選んだ点について「後付けだが、1つの岐路だった」と述べている。海外石化戦略は、この処理をもって事実上の終止符を打った[12][13]。
- 週刊東洋経済 2004年7月17日号「ラービグ計画で大逆転 アラブ最強企業に選ばれた住友化学」
- 日経ビジネス 2004年10月18日号「編集長インタビュー 米倉弘昌氏[住友化学社長]リスクなくして権益なし」
- 週刊東洋経済 2005年11月5日号「住友化学『サウジ石化計画』1500億円投資にも余裕綽々」
- 週刊東洋経済 2007年11月24日号「特集 資源炎上 原油高で強さを増す住友化学 サウジ進出の賭け」
- 週刊東洋経済 2012年6月1日号「サウジに傾注する住友化学の危うさ」
- 週刊東洋経済 2024年5月18日号「運命を分ける経営判断・住友化学の教訓」
- 住友化学 有価証券報告書