決断
電解で必ず生じる塩素の行き先を、同じ構内の川下に作り続けてきた。1953年10月に小野田セメントとの提携で南陽の構内にセメント工場を建設し、1966年5月には自社技術のオキシクロリネーション法による塩化ビニルモノマーの製造を開始した。副生する塩素を社外へ出さずに済む設計である。1969年に四日市進出を決めて創業36年目に1社1工場を脱し、1975年4月の鐵興社合併で一挙に7工場、1990年10月の新大協和石油化学合併でエチレンからの一貫体制が完成する。もっとも直後の市況悪化で10事業から撤退し、塩ビに集中して再投資している。2014年10月には日本ポリウレタン工業を合併し、塩素からMDIまでを自社の工程で結んだ。
2017年4月 塩ビ基盤事業の死守戦略
塩ビ基盤事業の死守戦略中国勢の能力拡大と市況低迷で国内他社が縮小・撤退する汎用の塩ビ・電解二酸化マンガンを、コストと技術で磨いて残し、2010年代半ばの市況回復とEV需要で復活させた基盤死守の戦略同じ経営論点に直面した企業 | 経営計画・中期戦略業績の推移2016 2017 2022 売上高(億円) 7,537 7,430 9,185 営業利益率(%) 9.2 15.0 15.7 1991年1月 エチレン増設と事業撤退