TSIHDの歴史
転換期
2010年〜東京スタイルとサンエー・インターナショナルの株式移転による統合
- 東京スタイルとサンエー・インターナショナルが経営統合で合意[4]
- 両社の臨時株主総会で共同株式移転による経営統合を承認[5]
- 株式移転によりTSIホールディングスを設立[6]
- 東京証券取引所に上場[7]
- アルページュを子会社化[8]
- 東京スタイルが営業本部と商品本部を統合して事業本部を新設[9]
- サンエー・インターナショナルがアウトレット専業のラストコールを吸収合併[10]
- ケイト・スペード ジャパン株式51%の譲渡を決議[11]
売上高経常利益率
- 売上高
- 経常利益率
TSIホールディングス2013年2月期売上高1,855億円売上高経常利益率0.5%
筆者所見
TSIホールディングスの発足後の2年間は、統合効果の刈り取りより、東京スタイル側の損失の確定が先に立った。2012年2月期は孫会社ののれん償却などで271億円の当期純損失を計上し、三宅正彦氏が東京スタイルの社長を兼務した[1][2]。互いの企業文化を尊重するとした統合時の方針は、1年余りで単一の指揮系統へ置き換わった。2013年5月には東京スタイルの構造改革本部を廃止した[3]。権限の一本化が、早期黒字化の速度を決めた。
- [1]TSIホールディングス「通期業績予想と実績の差異並びに営業外費用及び特別損失の計上に関するお知らせ」(2012年4月13日)
- [2]TSIホールディングス 適時開示「当社及び子会社(株)東京スタイルの代表取締役の異動」(2012年2月23日)
- [3]TSIホールディングス「組織変更ならびに人事異動について」(2013年4月12日)
転換期
2014年〜事業子会社5社の新設分割による持株会社体制の整備
- 新設分割により事業子会社5社を設立[7]
- 本店を東京都港区南青山に移転[7]
- 東京スタイル資産管理とサンエー・インターナショナル資産管理を吸収合併[7]
- ジャックがスタージョイナスを子会社化[12]
- アングローバルがDice&Diceとl’isolaの両事業を譲受[12]
- Laline JAPANを子会社化[12]
- 職業紹介・派遣事業のフォーラルを完全子会社化[12]
- フォーラルをエス・グルーヴに商号変更して販売子会社に再編[12]
- HUF Holdingsを子会社化[12]
- 上野商会を子会社化[12]
- アングローバルがアンドワンダーを子会社化[12]
- 3ミニッツのETRÉ TOKYOに関する事業を譲受[12]
- HYBESを設立[12]
売上高経常利益率
- 売上高
- 売上原価
- 販管費
- 営業利益
- 経常利益率
TSIホールディングス2020年2月期売上高1,701億円売上高経常利益率1.1%
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 2018年 | 上田谷真一 | 代表取締役社長 |
筆者所見
事業子会社5社への分割は、旧2社の看板を外す再編であると同時に、ブランドを取得する受け入れ先の整備でもあった。2014年3月に新設分割で5社を設立し、2017年11月にはHUF Holdingsを子会社化した[7][12]。2019年1月にはアングローバルがアンドワンダーを傘下に収めた[12]。持株会社は個々のブランドの運営から離れ、資本の配分に専念する体制を得た。半面、子会社ごとに並ぶ間接部門の重複も広がり、2021年の統合がその清算に当たる。
- [7]有価証券報告書
- [12]TSIホールディングス 公式サイト「沿革」(2026年10月)
転換期
2021年〜事業子会社を統合したTSIの発足とデイトナ・インターナショナル買収
- 事業子会社を統合したTSIが発足[7]
- TSIが上野商会を吸収合併[12]
- プライム市場に移行[12]
- パーパス「ファッションエンターテインメントの力で…」を策定[12]
- 本店を東京都港区赤坂に移転[12]
- 温室効果ガス排出量削減目標のSBTイニシアチブ認定を取得[12]
- ジャックがスタージョイナスを吸収合併[12]
- READY TO FASHIONを子会社化[12]
- 港区の賃貸ビルの信託受益権を譲渡[13]
- デイトナ・インターナショナルを子会社化[13]
- ウォーターフロントを子会社化[12]
- 東洋エンタープライズとレイラニトレーディングを子会社化[12]
- ワールドとの共同株式移転を決定[13]
- ワールドとの経営統合
筆者所見
2021年以降のTSIホールディングスは、社内の統合を終えた直後に、社外との統合へ方針を転換した。2021年3月に事業子会社を統合してTSIを発足させ、2026年10月にはワールドとの共同株式移転を決議した[7][13]。分社で増やしたブランドを一社に集約した工程は、次の統合に向けて事業の輪郭を整える準備にもなった。2011年に用いた株式移転の手法を、15年後は新しい持株会社の傘下に入る側として使う。単独経営に自ら上限を見た決断と言える。
- [7]有価証券報告書
- [13]臨時報告書