1902年〜 大阪の卸商が巡洋戦艦の名を掲げ、洋品屋の店頭を組織するまで
- 1902年佐々木八十八が尾上設蔵とともに大阪で繊維雑貨の卸商「佐々木営業部」を創業。会社は2002年2月を創業100周年としている
- 1923年レナウン工業を設立し、商標「レナウン」を決定。1922年に英国皇太子が乗艦して来日した巡洋戦艦レナウン号にちなむ
- 1944年佐々木営業部が商社の江商と合併し、独立した法人ではなくなる
- 1947年尾上清・本間良雄を中心に佐々木営業部が再発足
- 1956年五つの販売会社を置いて全国の販売網を組む
- 1959年安価良品の「暮しの肌着」をスチール製ケースに入れて町の洋品屋に置くレナウン・チェーン・ストア計画を開始し、全国の小売店を組織化
- 1969年傘マークのワンポイントで知られる「アーノルド・パーマー」を発売。老若男女に浸透し、以後30年にわたる収益の柱となる
レナウンの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
商品名として選ばれた巡洋戦艦の名
レナウンの始まりは1902年、佐々木八十八氏が大阪で開いた繊維雑貨の卸商である。屋号を佐々木営業部といい、メリヤスなどを扱った。会社は2002年2月を創業100周年としており、この年を起算点に置いている。社名になる「レナウン」は創業から20年後に決まった。1922年に英国皇太子が巡洋戦艦レナウン号で来日した折、乗組員の帽章にあった金文字の「RENOWN」を見た佐々木氏が、その響きと字面を商品名に採ることを決める。翌1923年から商標として使い始めた。当時の日本の衣料品にカタカナの商品名はほとんどなく、その珍しさ自体が売り場での目印になった。 [1][2][3][4]
- 週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」
- [1]レナウンは1902年に大阪で繊維卸売業者として創業した
- [4]創業当時は珍しかったカタカナ表記で顧客に訴求して販売を拡大した
- 週刊東洋経済 1999年10月2日号「裸一貫10年ぶり黒字へ 資産すべて売り払い名門レナウン裸の再出発」
- [2]2002年2月がレナウンの創業100周年にあたる
- ブリタニカ国際大百科事典「レナウン」
- [3]1922年に来日した英国皇太子が乗艦した巡洋戦艦レナウン号の乗組員の帽章にあった「RENOWN」の文字から商品名を採り、1923年から商標として使い始めた
会社はいちど消えている。1944年に佐々木営業部は商社の江商と合併し、法人としての独立を失った。戦後の1947年、尾上清氏と本間良雄氏を中心に佐々木営業部が再発足する。尾上氏の父・尾上設蔵氏は創業期から佐々木八十八氏とともに事業を興した人物で、二代にわたる関与だった。商号が商品名に追いついたのは、その先である。1955年に株式会社レナウン商事へ、1967年に株式会社レナウンへ改める。1968年にはレナウン工業を吸収合併し、企画から生産、販売までを一つの会社に収めた。卸商から出発した会社が、自ら商品を企画して作る体制に組み替わったのがこの時期にあたる。 [5][6][7]
- 日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」
- [5]昭和19年(1944年)に佐々木営業部は江商と合併し、昭和22年(1947年)に尾上清・本間良雄を中心として再発足した
- [6]佐々木営業部は尾上設蔵(尾上清の父)と佐々木八十八が創業した
- 日本大百科全書(ニッポニカ)「レナウン」
- [7]1955年に商号を株式会社レナウン商事へ変更し、1967年に株式会社レナウンへ変更、1968年にレナウン工業を吸収合併した
- 週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」
- [1]レナウンは1902年に大阪で繊維卸売業者として創業した
- [4]創業当時は珍しかったカタカナ表記で顧客に訴求して販売を拡大した
- 週刊東洋経済 1999年10月2日号「裸一貫10年ぶり黒字へ 資産すべて売り払い名門レナウン裸の再出発」
- [2]2002年2月がレナウンの創業100周年にあたる
- ブリタニカ国際大百科事典「レナウン」
- [3]1922年に来日した英国皇太子が乗艦した巡洋戦艦レナウン号の乗組員の帽章にあった「RENOWN」の文字から商品名を採り、1923年から商標として使い始めた
- 日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」
- [5]昭和19年(1944年)に佐々木営業部は江商と合併し、昭和22年(1947年)に尾上清・本間良雄を中心として再発足した
- [6]佐々木営業部は尾上設蔵(尾上清の父)と佐々木八十八が創業した
- 日本大百科全書(ニッポニカ)「レナウン」
- [7]1955年に商号を株式会社レナウン商事へ変更し、1967年に株式会社レナウンへ変更、1968年にレナウン工業を吸収合併した
五販社と洋品屋——売り場を先に押さえる
レナウンの強みは、商品そのものよりも売り場の押さえ方にあった。1956年に五つの販売会社を置いて全国の販売網を組み、1959年にはレナウン・チェーン・ストア計画を始める。「暮しの肌着」と名づけた安価良品をスチール製のケースに入れ、町の洋品屋の店頭に置く売り方だった。当時の衣料販売の主役は商店街の洋品屋であり、百貨店はまだ普通の消費者にとって商品を見に行く場所に近い。その洋品屋を全国規模で組織化した会社は他になく、レナウンは商品を並べる場所を先に確保した。台頭してきたダイエーなどのチェーン量販店に対しても、商売のやり方を伝授しながら取引に入り込んでいる。 [8][9][10]
- 日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」
- [8]昭和31年(1956年)に五販社で全国販売網を構築した
- 週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」
- [9]1959年に「暮しの肌着」をスチール製ケースに入れて町の洋品屋に置くレナウン・チェーン・ストア計画を始め、全国の小売店を組織化した
- [10]当時は商店街が主要な販売の場で百貨店は消費者にとってショールームに近い役割だった。台頭したダイエーなどチェーン量販店にもレナウンは商売のやり方を伝授して関与した
売り方の裏返しとして、この時期のレナウンはデザイナーの育成に力を入れていない。昔を知る元社員は「レナウンは決して、ブランド開発や管理が得意な会社ではなかった。名のあるデザイナーを使いこなす人材は昔も今もいない」と証言する。同じ元社員によれば、「70年代までは、デザイナーは誰でもよく、きちっと販路を作って品質のよい商品を供給することこそ重要だった」。高度成長期の大量消費とこの手法は噛み合っていた。1962年には百貨店向けの婦人服を扱うレナウンルックを設け、1963年に東京・大阪の証券取引所へ株式を上場する。会社の形が整うのと、売り場が広がるのとが同時に進んだ。 [11][12][13]
- 週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」
- [11]元レナウン社員は「レナウンは決して、ブランド開発や管理が得意な会社ではなかった。名のあるデザイナーを使いこなす人材は昔も今もいない」と証言している
- [12]元レナウン社員は「70年代までは、デザイナーは誰でもよく、きちっと販路を作って品質のよい商品を供給することこそ重要だった」と証言している
- 日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」
- [13]昭和37年(1962年)にレナウンルックを設立し、昭和38年(1963年)に東京・大阪の証券取引所へ上場した
- 日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」
- [8]昭和31年(1956年)に五販社で全国販売網を構築した
- [13]昭和37年(1962年)にレナウンルックを設立し、昭和38年(1963年)に東京・大阪の証券取引所へ上場した
- 週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」
- [9]1959年に「暮しの肌着」をスチール製ケースに入れて町の洋品屋に置くレナウン・チェーン・ストア計画を始め、全国の小売店を組織化した
- [10]当時は商店街が主要な販売の場で百貨店は消費者にとってショールームに近い役割だった。台頭したダイエーなどチェーン量販店にもレナウンは商売のやり方を伝授して関与した
- [11]元レナウン社員は「レナウンは決して、ブランド開発や管理が得意な会社ではなかった。名のあるデザイナーを使いこなす人材は昔も今もいない」と証言している
- [12]元レナウン社員は「70年代までは、デザイナーは誰でもよく、きちっと販路を作って品質のよい商品を供給することこそ重要だった」と証言している
イエイエとワンポイント——広告が売り場を動かした2年
1967年に流したカラーCM「イエイエ」は、レナウンの名を衣料品の外へ広げた。この年は広告の世界でCM元年と呼ばれ、以後しばらく「イエイエ以後」が業界の合言葉になっている。2年後の1969年に発売した「アーノルド・パーマー」では、傘のマークをワンポイントで入れた商品が老若男女に行き渡り、レナウンのブランド力を決定づけた。百貨店でも量販店でも売り、最盛期にはどちらの売り場にも同じ傘マークが並ぶ。1970年にはアパレル業界で初めて商品企画室を設けており、当時は「企画のレナウン」と呼ばれていた。テレビ広告の使い方の早さと、押さえた販路の広さが、この一つのブランドで重なった。 [14][15][16]
- 日本大百科全書(ニッポニカ)「レナウン」
- [14]1967年放映のカラーCM「イエイエ」により同年は広告界でCM元年と呼ばれた
- 週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」
- [15]1969年に発売した「アーノルド・パーマー」が老若男女に大流行し、ワンポイントブームを起こしてレナウンのブランド力を不動のものとした
- 日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」
- [16]「以前は『企画のレナウン』と言われ、70年にはアパレル業界で初めて商品企画室を設けるなど強い企画力を持っていた」
もっとも、この売り方は後年の常識とは食い違う。高級感で差別化する百貨店と、価格で競う量販店に同じブランドを供給することは、今日のアパレルでは避けられる。ブランドごとに扱える適正な量があるという発想も、当時はまだ一般的ではなかった。オンワード樫山の廣内武社長は後年、「ブランドには個々に持つコンセプトやターゲットによって適正なボリュームがあり、むやみに拡大だけを追うのはよくない」と語った。拡大だけを追った結果、消費者はやがて傘マークに飽きた。もっとも、売れている間は売り場を増やすことが最も確実な答えに見えており、この売り方を止める理由は社内になかった。 [17][18]
- 週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」
- [17]最盛期のアーノルド・パーマーは百貨店でも量販店でも売りまくった結果、消費者から飽きられた。高級感で差別化する百貨店に量販店と同じブランドを供給することは現在の商売では禁じ事とされる
- [18]オンワード樫山の廣内武社長は「ブランドには個々に持つコンセプトやターゲットによって適正なボリュームがあり、むやみに拡大だけを追うのはよくない」と述べた
- 日本大百科全書(ニッポニカ)「レナウン」
- [14]1967年放映のカラーCM「イエイエ」により同年は広告界でCM元年と呼ばれた
- 週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」
- [15]1969年に発売した「アーノルド・パーマー」が老若男女に大流行し、ワンポイントブームを起こしてレナウンのブランド力を不動のものとした
- 日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」
- [16]「以前は『企画のレナウン』と言われ、70年にはアパレル業界で初めて商品企画室を設けるなど強い企画力を持っていた」
- 週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」
- [17]最盛期のアーノルド・パーマーは百貨店でも量販店でも売りまくった結果、消費者から飽きられた。高級感で差別化する百貨店に量販店と同じブランドを供給することは現在の商売では禁じ事とされる
- [18]オンワード樫山の廣内武社長は「ブランドには個々に持つコンセプトやターゲットによって適正なボリュームがあり、むやみに拡大だけを追うのはよくない」と述べた