{
  "title": "レナウンの歴史概略",
  "sections": [
    {
      "start_year": 1902,
      "end_year": 1969,
      "main_title": "大阪の卸商が巡洋戦艦の名を掲げ、洋品屋の店頭を組織するまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "商品名として選ばれた巡洋戦艦の名",
          "text": "レナウンの始まりは1902年、佐々木八十八氏が大阪で開いた繊維雑貨の卸商である。屋号を佐々木営業部といい、メリヤスなどを扱った。会社は2002年2月を創業100周年としており、この年を起算点に置いている。社名になる「レナウン」は創業から20年後に決まった。1922年に英国皇太子が巡洋戦艦レナウン号で来日した折、乗組員の帽章にあった金文字の「RENOWN」を見た佐々木氏が、その響きと字面を商品名に採ることを決める。翌1923年から商標として使い始めた。当時の日本の衣料品にカタカナの商品名はほとんどなく、その珍しさ自体が売り場での目印になった。\n\n会社はいちど消えている。1944年に佐々木営業部は商社の江商と合併し、法人としての独立を失った。戦後の1947年、尾上清氏と本間良雄氏を中心に佐々木営業部が再発足する。尾上氏の父・尾上設蔵氏は創業期から佐々木八十八氏とともに事業を興した人物で、二代にわたる関与だった。商号が商品名に追いついたのは、その先である。1955年に株式会社レナウン商事へ、1967年に株式会社レナウンへ改める。1968年にはレナウン工業を吸収合併し、企画から生産、販売までを一つの会社に収めた。卸商から出発した会社が、自ら商品を企画して作る体制に組み替わったのがこの時期にあたる。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "レナウンは1902年に大阪で繊維卸売業者として創業した",
                "source": "週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」",
                "url": null,
                "genbun": "レナウンの始まりは1902年、佐々木八十八氏が大阪で開いた繊維雑貨の卸商である。"
              },
              {
                "fact": "2002年2月がレナウンの創業100周年にあたる",
                "source": "週刊東洋経済 1999年10月2日号「裸一貫10年ぶり黒字へ 資産すべて売り払い名門レナウン裸の再出発」",
                "url": null,
                "genbun": "会社は2002年2月を創業100周年としており、この年を起算点に置いている。"
              },
              {
                "fact": "1922年に来日した英国皇太子が乗艦した巡洋戦艦レナウン号の乗組員の帽章にあった「RENOWN」の文字から商品名を採り、1923年から商標として使い始めた",
                "source": "ブリタニカ国際大百科事典「レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "1922年に英国皇太子が巡洋戦艦レナウン号で来日した折、乗組員の帽章にあった金文字の「RENOWN」を見た佐々木氏が、その響きと字面を商品名に採ることを決める。"
              },
              {
                "fact": "創業当時は珍しかったカタカナ表記で顧客に訴求して販売を拡大した",
                "source": "週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」",
                "url": null,
                "genbun": "当時の日本の衣料品にカタカナの商品名はほとんどなく、その珍しさ自体が売り場での目印になった。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "昭和19年（1944年）に佐々木営業部は江商と合併し、昭和22年（1947年）に尾上清・本間良雄を中心として再発足した",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "1944年に佐々木営業部は商社の江商と合併し、法人としての独立を失った。"
              },
              {
                "fact": "佐々木営業部は尾上設蔵（尾上清の父）と佐々木八十八が創業した",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "尾上氏の父・尾上設蔵氏は創業期から佐々木八十八氏とともに事業を興した人物で、二代にわたる関与だった。"
              },
              {
                "fact": "1955年に商号を株式会社レナウン商事へ変更し、1967年に株式会社レナウンへ変更、1968年にレナウン工業を吸収合併した",
                "source": "日本大百科全書（ニッポニカ）「レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "1955年に株式会社レナウン商事へ、1967年に株式会社レナウンへ改める。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "五販社と洋品屋——売り場を先に押さえる",
          "text": "レナウンの強みは、商品そのものよりも売り場の押さえ方にあった。1956年に五つの販売会社を置いて全国の販売網を組み、1959年にはレナウン・チェーン・ストア計画を始める。「暮しの肌着」と名づけた安価良品をスチール製のケースに入れ、町の洋品屋の店頭に置く売り方だった。当時の衣料販売の主役は商店街の洋品屋であり、百貨店はまだ普通の消費者にとって商品を見に行く場所に近い。その洋品屋を全国規模で組織化した会社は他になく、レナウンは商品を並べる場所を先に確保した。台頭してきたダイエーなどのチェーン量販店に対しても、商売のやり方を伝授しながら取引に入り込んでいる。\n\n売り方の裏返しとして、この時期のレナウンはデザイナーの育成に力を入れていない。昔を知る元社員は「レナウンは決して、ブランド開発や管理が得意な会社ではなかった。名のあるデザイナーを使いこなす人材は昔も今もいない」と証言する。同じ元社員によれば、「70年代までは、デザイナーは誰でもよく、きちっと販路を作って品質のよい商品を供給することこそ重要だった」。高度成長期の大量消費とこの手法は噛み合っていた。1962年には百貨店向けの婦人服を扱うレナウンルックを設け、1963年に東京・大阪の証券取引所へ株式を上場する。会社の形が整うのと、売り場が広がるのとが同時に進んだ。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "昭和31年（1956年）に五販社で全国販売網を構築した",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "1956年に五つの販売会社を置いて全国の販売網を組み、1959年にはレナウン・チェーン・ストア計画を始める。"
              },
              {
                "fact": "1959年に「暮しの肌着」をスチール製ケースに入れて町の洋品屋に置くレナウン・チェーン・ストア計画を始め、全国の小売店を組織化した",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "「暮しの肌着」と名づけた安価良品をスチール製のケースに入れ、町の洋品屋の店頭に置く売り方だった。"
              },
              {
                "fact": "当時は商店街が主要な販売の場で百貨店は消費者にとってショールームに近い役割だった。台頭したダイエーなどチェーン量販店にもレナウンは商売のやり方を伝授して関与した",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "台頭してきたダイエーなどのチェーン量販店に対しても、商売のやり方を伝授しながら取引に入り込んでいる。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "元レナウン社員は「レナウンは決して、ブランド開発や管理が得意な会社ではなかった。名のあるデザイナーを使いこなす人材は昔も今もいない」と証言している",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "昔を知る元社員は「レナウンは決して、ブランド開発や管理が得意な会社ではなかった。名のあるデザイナーを使いこなす人材は昔も今もいない」と証言する。"
              },
              {
                "fact": "元レナウン社員は「70年代までは、デザイナーは誰でもよく、きちっと販路を作って品質のよい商品を供給することこそ重要だった」と証言している",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "同じ元社員によれば、「70年代までは、デザイナーは誰でもよく、きちっと販路を作って品質のよい商品を供給することこそ重要だった」。"
              },
              {
                "fact": "昭和37年（1962年）にレナウンルックを設立し、昭和38年（1963年）に東京・大阪の証券取引所へ上場した",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "1962年には百貨店向けの婦人服を扱うレナウンルックを設け、1963年に東京・大阪の証券取引所へ株式を上場する。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "イエイエとワンポイント——広告が売り場を動かした2年",
          "text": "1967年に流したカラーCM「イエイエ」は、レナウンの名を衣料品の外へ広げた。この年は広告の世界でCM元年と呼ばれ、以後しばらく「イエイエ以後」が業界の合言葉になっている。2年後の1969年に発売した「アーノルド・パーマー」では、傘のマークをワンポイントで入れた商品が老若男女に行き渡り、レナウンのブランド力を決定づけた。百貨店でも量販店でも売り、最盛期にはどちらの売り場にも同じ傘マークが並ぶ。1970年にはアパレル業界で初めて商品企画室を設けており、当時は「企画のレナウン」と呼ばれていた。テレビ広告の使い方の早さと、押さえた販路の広さが、この一つのブランドで重なった。\n\nもっとも、この売り方は後年の常識とは食い違う。高級感で差別化する百貨店と、価格で競う量販店に同じブランドを供給することは、今日のアパレルでは避けられる。ブランドごとに扱える適正な量があるという発想も、当時はまだ一般的ではなかった。オンワード樫山の廣内武社長は後年、「ブランドには個々に持つコンセプトやターゲットによって適正なボリュームがあり、むやみに拡大だけを追うのはよくない」と語った。拡大だけを追った結果、消費者はやがて傘マークに飽きた。もっとも、売れている間は売り場を増やすことが最も確実な答えに見えており、この売り方を止める理由は社内になかった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1967年放映のカラーCM「イエイエ」により同年は広告界でCM元年と呼ばれた",
                "source": "日本大百科全書（ニッポニカ）「レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "1967年に流したカラーCM「イエイエ」は、レナウンの名を衣料品の外へ広げた。"
              },
              {
                "fact": "1969年に発売した「アーノルド・パーマー」が老若男女に大流行し、ワンポイントブームを起こしてレナウンのブランド力を不動のものとした",
                "source": "週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」",
                "url": null,
                "genbun": "2年後の1969年に発売した「アーノルド・パーマー」では、傘のマークをワンポイントで入れた商品が老若男女に行き渡り、レナウンのブランド力を決定づけた。"
              },
              {
                "fact": "「以前は『企画のレナウン』と言われ、70年にはアパレル業界で初めて商品企画室を設けるなど強い企画力を持っていた」",
                "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
                "url": null,
                "genbun": "1970年にはアパレル業界で初めて商品企画室を設けており、当時は「企画のレナウン」と呼ばれていた。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "最盛期のアーノルド・パーマーは百貨店でも量販店でも売りまくった結果、消費者から飽きられた。高級感で差別化する百貨店に量販店と同じブランドを供給することは現在の商売では禁じ事とされる",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "高級感で差別化する百貨店と、価格で競う量販店に同じブランドを供給することは、今日のアパレルでは避けられる。"
              },
              {
                "fact": "オンワード樫山の廣内武社長は「ブランドには個々に持つコンセプトやターゲットによって適正なボリュームがあり、むやみに拡大だけを追うのはよくない」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "オンワード樫山の廣内武社長は後年、「ブランドには個々に持つコンセプトやターゲットによって適正なボリュームがあり、むやみに拡大だけを追うのはよくない」と語った。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1970,
      "end_year": 1989,
      "main_title": "「楽しさの経営」で伸びた1970年代と、財テクで利益を作った1980年代",
      "subsections": [
        {
          "title": "5年で3.4倍、10年で5.7倍",
          "text": "1970年代のレナウンは売上を伸ばし続けた。売上高は1971年度の467億円から1976年度には1610億円へ、5年で3.4倍になっている。1977年度は売上高1516億円、経常利益79億円で、経常利益は前期比33％増だった。売上が前期を下回って見えるのは子会社ダーバンの売上を分離したためで、同一の基準で比べれば11％増にあたる。1980年度には売上高2058億円、経常利益116億円に届いた。10年前と比べて売上は5.7倍、経常利益は12倍である。自己資本比率も1974年12月期の19％から1980年度末の39％へ上げている。\n\n拡大を支えたのは、全国に張った販売子会社だった。中京や北海道といった地域ごとに販社を置き、百貨店と全国展開の量販店を除く地場の量販店・専門店・洋品屋を担当させる。元幹部は「レナウンが一番儲かっていた時期、つまり量販店や専門店が日本の衣料販売を引っ張ったころは、販社が収益の牽引車だった」と証言した。商品を企画する力よりも、商品を置く売り場を広く押さえる力で稼ぐ会社であり、1970年代の日本では衣料品を売る売り場そのものが最も速く広がっていた。ブランドの設計も具体的で、1970年設立のダーバンは「35歳、大学卒、東京のサラリーマン」と客層を定め、レリアンは商品をドレス・スーツ・コートに絞った。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "売上高を1971年度の467億円から1976年度の1610億円へ5年間で拡大した",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "売上高は1971年度の467億円から1976年度には1610億円へ、5年で3.4倍になっている。"
              },
              {
                "fact": "昭和52年度は売上高1516億円、経常利益79億円（前期比33%増）、当期利益35億円（同35%増）。売上減は子会社ダーバンの売上分離によるもので同一基準では11%増",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "1977年度は売上高1516億円、経常利益79億円で、経常利益は前期比33％増だった。"
              },
              {
                "fact": "昭和55年12月期は売上高2058億円（10年前比5.7倍）、経常利益116億円（同12倍）。自己資本比率は昭和49年度末19%から55年度末39%へ改善した",
                "source": "日経ビジネス 1981年6月1日号「編集長インタビュー 稲川博通氏（レナウン社長）」",
                "url": null,
                "genbun": "1980年度には売上高2058億円、経常利益116億円に届いた。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "元レナウン幹部は「レナウンが一番儲かっていた時期、つまり量販店や専門店が日本の衣料販売を引っ張ったころは、販社が収益の牽引車だった」と証言している",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "元幹部は「レナウンが一番儲かっていた時期、つまり量販店や専門店が日本の衣料販売を引っ張ったころは、販社が収益の牽引車だった」と証言した。"
              },
              {
                "fact": "ダーバンは「35歳、大学卒、東京のサラリーマン」と明確なターゲットを設定し、レリアンは日本で最初に商品をドレス・スーツ・コートだけに絞ったドレスショップだった。ダーバンの前身レナウンニシキは昭和45年（1970年）設立",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "ブランドの設計も具体的で、1970年設立のダーバンは「35歳、大学卒、東京のサラリーマン」と客層を定め、レリアンは商品をドレス・スーツ・コートに絞った。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "「楽しさとは、つまるところペイの問題」——賞与に載せた経営思想",
          "text": "当時のレナウンは「非日本的楽しさの経営」と呼ばれた。本間良雄会長はその中身を「企業や仕事は個人が楽しい生活をするための手段に過ぎない」と説明する。理想論ではなかった。尾上清理事長は「楽しさとは働く者にとって、つまるところペイの問題」と言い切っている。実装は報酬制度だった。夏冬の通常賞与に加え、期末に部門別の損益を対象とした特別賞与を出す。同じ課長クラスでも支給額は100万円から10万円、5万円まで開いた。1976年度の労働生産性690万円・労働分配率64.8％は、全上場企業平均の639万円・52.2％を上回っている。\n\n尾上清氏は1975年、一切の権限と責任を持たない理事長という職を自ら設けて経営の第一線から退いた。大株主でもない。それでもこの人物が会社の性格を決めたと言われるのは、危機のたびに前へ出たからである。ダーバンの前身は設立当初に実質11億円の赤字を抱え、争議で赤旗が立った。尾上氏は組合幹部と直接向き合い、賃上げの凍結を条件に再建を引き受けている。1988年に亡くなるまで、この会社の規律はこの人物の名で語られた。稲川博通社長が1979年に掲げた「常議経営」も、部や課、肩書きに関係なく議論するという同じ流儀の延長にある。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "尾上清",
              "role": "ダーバン再建にあたった当時の会長",
              "date": "1971",
              "text": "これからは俺のいうことだけ聞け。会社が立ち直るまでは賃金も上げない。この条件がいやなら俺は会長をやらない。\n（「どのぐらい我慢すればいいのですか」との問いに）3年間だ。（「3年でダメだったら」との問いに）たいした額じゃないが、不動産や株も持っている。それを処分して君たちに全部やる。",
              "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "本間良雄会長は「企業や仕事は個人が楽しい生活をするための手段に過ぎない」「われわれはこれを\"楽しさの経営\"といってますがね」と述べた",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "本間良雄会長はその中身を「企業や仕事は個人が楽しい生活をするための手段に過ぎない」と説明する。"
              },
              {
                "fact": "尾上清理事長は「楽しさとは働く者にとって、つまるところペイの問題」と述べた",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "尾上清理事長は「楽しさとは働く者にとって、つまるところペイの問題」と言い切っている。"
              },
              {
                "fact": "夏冬の通常賞与に加え期末に部門別損益を対象とした特別賞与を支給し、同じ課長クラスでも支給額は100万円から10万、5万まで千差万別だった。昭和51年度の労働生産性690万円・労働分配率64.8%は全上場平均639万円・52.2%を上回った",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "同じ課長クラスでも支給額は100万円から10万円、5万円まで開いた。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "尾上清は昭和50年（1975年）1月に「一切の権限と責任を持たない理事長」ポストを自ら設けて経営第一線から退いた。創業社長にありがちの大株主でもなく、記事は同氏を「同社の実質的創業者」と規定している",
                "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
                "url": null,
                "genbun": "尾上清氏は1975年、一切の権限と責任を持たない理事長という職を自ら設けて経営の第一線から退いた。"
              },
              {
                "fact": "戦後のレナウンの急成長を牽引した尾上清は1988年に他界した",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "1988年に亡くなるまで、この会社の規律はこの人物の名で語られた。"
              },
              {
                "fact": "稲川博通は1979年3月に伊藤安衛前社長の後任として社長に就任し、「部、課、肩書きに関係なく、常にアイデアを交流する。これが常議経営です」と述べた",
                "source": "日経ビジネス 1981年6月1日号「編集長インタビュー 稲川博通氏（レナウン社長）」",
                "url": null,
                "genbun": "稲川博通社長が1979年に掲げた「常議経営」も、部や課、肩書きに関係なく議論するという同じ流儀の延長にある。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "1981年の107億円が、更新されない記録になった理由",
          "text": "営業利益の頂点は1981年度の107億円で、この数字はその後一度も更新されていない。1989年度の営業利益は25億円まで落ちた。同じ年、オンワード樫山は174億円、三陽商会は103億円である。差がついた原因を金田康男社長は「82年度以降は売り上げの伸びが鈍化、販売費や管理費の伸びを下回る傾向が続いたことが響いた」と説明した。1980年代の日本のファッション市場ではDCブランドと海外の著名ブランドが台頭し、デザイナーの感性を前面に出した商品が主役に変わる。オンワード樫山は海外デザイナーとの関係を築き、それが1990年代の「23区」や「ICB」に実を結んだ。\n\nレナウンが手を打たなかったわけではない。1982年6月には販売政策を転換し、量販店での全店画一的な企画・販売をやめて店舗別・企業別の個別企画に切り替えている。出店規制の強化で量販店の新規出店が難しくなり、既存店の売上も伸び悩んでいたためで、放置すれば売上高が前年を割りかねない状況だった。1985年には稲川博通社長の号令で28もの新ブランドを一挙に投入する。1988年に婦人服事業本部を置き、翌1989年1月には全社を事業本部制へ移した。事業本部長に企画・生産・営業の権限をまとめ、東京と大阪に分かれていた営業も統合して決裁を速める狙いだった。\n\nそれでも経常利益は100億円前後を保っていた。営業利益の減少分を財テクで埋めていたからである。営業外収益は1985年12月期から毎年100億円前後に達し、1990年12月期には148億円を計上した。稼ぐ場所が売り場から金融収支へ移っても、決算の見え方は変わらない。後年、社内はこれを誤りと総括している。「なまじ財テクで利益をひねり出せたことが、傷を深くした原因になっている」。売れている数字が手元にある限り、売り方を変える理由は社内で共有されにくい。1988年に尾上清氏が世を去ったことも、方針を変える契機になったと当時は見られていた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "営業利益は昭和56年度（12月期）107億円をピークに低下し、89年度は25億円。89年度の営業利益はオンワード樫山174億円（22%増）・三陽商会103億円（6%増）に対しレナウンは44%減の25億円だった",
                "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
                "url": null,
                "genbun": "営業利益の頂点は1981年度の107億円で、この数字はその後一度も更新されていない。"
              },
              {
                "fact": "金田康男社長は「82年度以降は売り上げの伸びが鈍化、販売費や管理費の伸びを下回る傾向が続いたことが響いた」と述べた",
                "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
                "url": null,
                "genbun": "差がついた原因を金田康男社長は「82年度以降は売り上げの伸びが鈍化、販売費や管理費の伸びを下回る傾向が続いたことが響いた」と説明した。"
              },
              {
                "fact": "1980年代にDCブランドや海外著名ブランドが台頭し、オンワード樫山は海外デザイナーとの交流を深めて「23区」「ICB」に結実させた",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "オンワード樫山は海外デザイナーとの関係を築き、それが1990年代の「23区」や「ICB」に実を結んだ。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1982年6月に量販店での全店画一的な企画・販売を取りやめ、店舗別・企業別の個別企画に注力する販売政策の転換を行った。背景は出店規制強化と既存店売上の伸び悩みで「放置していたら売上高が前年を割る可能性さえある」状況だった",
                "source": "日経ビジネス 1982年6月14日号「ニューズレター・マーケティング」",
                "url": null,
                "genbun": "1982年6月には販売政策を転換し、量販店での全店画一的な企画・販売をやめて店舗別・企業別の個別企画に切り替えている。"
              },
              {
                "fact": "1985年に稲川博通前社長（当時）の「売り上げを伸ばせ」の号令で28もの新ブランドを一挙投入したが成果は出なかった",
                "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
                "url": null,
                "genbun": "1985年には稲川博通社長の号令で28もの新ブランドを一挙に投入する。"
              },
              {
                "fact": "1988年にまず婦人服事業本部を設置し、1年後の89年1月に全社移行。事業本部長に企画・生産・営業すべての権限を委譲し、東京・大阪に分かれていた営業も統合した。狙いは決裁時間の短縮",
                "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
                "url": null,
                "genbun": "1988年に婦人服事業本部を置き、翌1989年1月には全社を事業本部制へ移した。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "営業利益の減少分を財テク（金融収支）で穴埋めして経常100億円前後を確保してきた。営業外収益は85年12月期から毎年100億円前後で、90年12月期は148億円",
                "source": "日経ビジネス 1995年2月13日号「ケーススタディー レナウン、営業力低下で苦境」",
                "url": null,
                "genbun": "営業外収益は1985年12月期から毎年100億円前後に達し、1990年12月期には148億円を計上した。"
              },
              {
                "fact": "レナウン社内には「なまじ財テクで利益をひねり出せたことが、傷を深くした原因になっている」という反省があった",
                "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
                "url": null,
                "genbun": "「なまじ財テクで利益をひねり出せたことが、傷を深くした原因になっている」。"
              },
              {
                "fact": "「グループに君臨した実質的創業者の尾上清氏が88年に亡くなったことも方針転換の契機」と報じられた",
                "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
                "url": null,
                "genbun": "1988年に尾上清氏が世を去ったことも、方針を変える契機になったと当時は見られていた。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1990,
      "end_year": 2003,
      "main_title": "買った格と、破産管財人のつもりで来た会長——1990年代の失速と再建",
      "subsections": [
        {
          "title": "4日間で決めた英国ブランドの買収と、翌年の営業赤字",
          "text": "立ち遅れに、レナウンは買収で答えた。1990年4月、英国の高級紳士服ブランド「アクアスキュータム」を展開するアクアスキュータム社の買収を発表する。仕掛けたのは後に社長となる松坂萬丈氏で、単身ロンドンに入り、金曜に同意を取り付けて週明け月曜に株式公開買い付けを成立させた。話が持ち込まれたのは発表のわずか1か月前である。買収額は報道によって180億円から230億円まで開きがある。デザイナーを育ててこなかった会社が外から格のあるブランドを買うのは、当時の選択肢として理に適ってもいた。ただし日本での生産・販売ライセンス権は1994年まで三菱商事が持っており、国内でライセンス生産していた20社は反発した。\n\n売上のピークは1990年12月期の2318億円だった。翌1991年12月期、レナウンは85億円の営業赤字を計上して初めて本業の赤字に転落する。同じ期末の純資産1884億円が、この会社の資産のピークになった。同じ1991年、千葉県習志野市に約420億円を投じて物流センターを建てている。ところが稼ぎ時の土日祝日は、強い労働組合を背景に稼働しなかった。資産を持つ経営から抜けられないまま、その資産が利益を生まない構図が、この一件に表れている。以後、経常赤字は1998年まで8期続いた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1990年4月に英アクアスキュータム社の買収を発表した。日本での生産・販売ライセンス権は1994年まで三菱商事が保有し、ライセンス生産する国内20社が反発した。買収話が持ち込まれたのは発表のわずか1カ月前だった",
                "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
                "url": null,
                "genbun": "1990年4月、英国の高級紳士服ブランド「アクアスキュータム」を展開するアクアスキュータム社の買収を発表する。"
              },
              {
                "fact": "松坂萬丈は仕掛け人として単身ロンドンに乗り込み、金曜に同意、週明け月曜にTOBで成立させ、180億円の買収を4日間で完了した",
                "source": "日経ビジネス 1991年6月17日号「新社長登場 松坂萬丈氏［レナウン］」",
                "url": null,
                "genbun": "仕掛けたのは後に社長となる松坂萬丈氏で、単身ロンドンに入り、金曜に同意を取り付けて週明け月曜に株式公開買い付けを成立させた。"
              },
              {
                "fact": "買収額は1991年の報道が180億円、1998年の報道が230億円、2008年の報道が約200億円と食い違う",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "買収額は報道によって180億円から230億円まで開きがある。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "売上高は1990年12月期の2318億円をピークに減少した",
                "source": "日経ビジネス 1995年2月13日号「ケーススタディー レナウン、営業力低下で苦境」",
                "url": null,
                "genbun": "売上のピークは1990年12月期の2318億円だった。"
              },
              {
                "fact": "1991年度に85億円の営業赤字を計上し、同期末の純資産1884億円が資産のピークとなった",
                "source": "週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」",
                "url": null,
                "genbun": "翌1991年12月期、レナウンは85億円の営業赤字を計上して初めて本業の赤字に転落する。"
              },
              {
                "fact": "1991年に千葉県習志野市へ約420億円を投じて物流センターを建設したが、稼ぎ時の土日祝は「強い労組」を背景に休みだった",
                "source": "日経ビジネス 1995年2月13日号「ケーススタディー レナウン、営業力低下で苦境」",
                "url": null,
                "genbun": "同じ1991年、千葉県習志野市に約420億円を投じて物流センターを建てている。"
              },
              {
                "fact": "1991年12月期以降8期連続の経常赤字となった",
                "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
                "url": null,
                "genbun": "以後、経常赤字は1998年まで8期続いた。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "営業力の低下——押し込みと、初めての希望退職",
          "text": "1995年時点の同時代分析は、不振の原因を営業力の低下に置いていた。豊田圭二社長自身が「確かに営業力の低下以外に考えられない」と認めている。高島屋のバイヤーは「レナウンの営業マンには覇気がない」と評し、伊勢丹では日曜に応援を頼んでも「休日出勤すると労組がうるさいから」と断られた。ある役員は「レナウンの経営陣は営業力の意味を『売り場獲得』と履き違えていたのではないか」と述べている。商品在庫は約190億円に膨らみ、商品回転日数は1985年12月期の15.59日から1994年1月期には32.14日へ倍増した。\n\n在庫が積み上がる仕組みは取引慣行の側にあった。営業員の実績が出荷量で決まるため、期末には売り場へ商品を押し込む。納品伝票と同時に返品伝票を書く例もあった。消費者が買わなければ商品は返品として戻り、それでも小売店は売り場を埋めるため次の企画と注文を出す。当時の豊田圭二社長は「レナウンの営業マンは店頭への責任感や好かれたいという気持ちから、注文や企画があればボンボン商品供給してきた」と悔やんだ。1994年11月、レナウンは創業以来初めて希望退職を募る。400人の枠に601人が応じ、締切の1週間以上前に定員が埋まった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "豊田圭二社長は「確かに営業力の低下以外に考えられない」と述べた。高島屋バイヤーは「レナウンの営業マンには覇気がない」と評し、伊勢丹では日曜の応援要請に「休日出勤すると労組がうるさいから」と返された",
                "source": "日経ビジネス 1995年2月13日号「ケーススタディー レナウン、営業力低下で苦境」",
                "url": null,
                "genbun": "豊田圭二社長自身が「確かに営業力の低下以外に考えられない」と認めている。"
              },
              {
                "fact": "ある役員は「レナウンの経営陣は営業力の意味を『売り場獲得』と履き違えていたのではないか」と述べた",
                "source": "日経ビジネス 1995年2月13日号「ケーススタディー レナウン、営業力低下で苦境」",
                "url": null,
                "genbun": "ある役員は「レナウンの経営陣は営業力の意味を『売り場獲得』と履き違えていたのではないか」と述べている。"
              },
              {
                "fact": "商品在庫約190億円、商品回転日数は85年12月期15.59日から94年1月期32.14日と2倍以上に伸びた",
                "source": "日経ビジネス 1995年2月13日号「ケーススタディー レナウン、営業力低下で苦境」",
                "url": null,
                "genbun": "商品在庫は約190億円に膨らみ、商品回転日数は1985年12月期の15.59日から1994年1月期には32.14日へ倍増した。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "営業員の実績が出荷量で決まるため期末に「押し込み」が行われ、納品伝票と同時に返品伝票を書く例もあった",
                "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
                "url": null,
                "genbun": "営業員の実績が出荷量で決まるため、期末には売り場へ商品を押し込む。"
              },
              {
                "fact": "豊田圭二社長は「レナウンの営業マンは店頭への責任感や好かれたいという気持ちから、注文や企画があればボンボン商品供給してきた」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「企業危機のレナウン リーダー不在の病転げ落ち、再生に苦しむ「イエイエ娘」」",
                "url": null,
                "genbun": "当時の豊田圭二社長は「レナウンの営業マンは店頭への責任感や好かれたいという気持ちから、注文や企画があればボンボン商品供給してきた」と悔やんだ。"
              },
              {
                "fact": "1994年11月から12月にかけて創業以来初の希望退職を募集し、400人予定に対し601人（出向者含む）が応募、締切の1週間以上前に定員が充足した",
                "source": "日経ビジネス 1995年2月13日号「ケーススタディー レナウン、営業力低下で苦境」",
                "url": null,
                "genbun": "400人の枠に601人が応じ、締切の1週間以上前に定員が埋まった。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "「私は破産管財人のつもりでこの会社に来た」",
          "text": "1997年12月、レナウンが社債の償還で資金繰りに窮しているという噂が流れ、株価は初めて額面を割って一時35円まで下げた。百貨店・取引銀行・商社の幹部が経営参加を求めた相手が、水野史郎氏である。1954年に前身の佐々木営業部へ入社し、1972年からダーバンへ出向、1986年にレリアン社長を務めた人物で、レナウン本体では外様にあたる。1998年2月に顧問、4月に会長へ就いた水野会長の第一声は「私は破産管財人のつもりでこの会社に来た。経営再建に向けて、全面的に協力してほしい」だった。豊田圭二社長以下の役員全員が辞職届を預け、水野会長が事実上の全権を握る。\n\n1998年1月期の売上高は前年度比4.5％減の1833億円で、同年2月期に1846億円を計上したオンワード樫山に抜かれた。アパレル首位の座を明け渡したのは、このときが初めてである。水野会長は役員を20人から14人に減らし、社長を副社長待遇へ降格させ、役員全員の報酬を削った。3月には約3100人の正社員を対象に3日間で希望退職を募り、500人強が5月末で去る。1994年に続く2度目だった。ブランドは60から40前後へ、量販店向けの自主企画品と肌着・靴下の約200ブランドも順次減らし、量販店向け売上は170億円から約90億円まで落とす計画だった。\n\n資産の側を売り切ったのは、住友銀行から乗り込んだ小野寺満芳副社長である。メインバンクの住友銀行や東京三菱の株を含め、保有する銀行株をすべて売却した。百貨店など取引先との持ち合いも解消し、本社ビルは95億円で住宅・都市整備公団に売る。約1000億円あった有利子負債は1期で半減させる方針だった。この一連を小野寺副社長は持たざる経営と呼んでいる。1999年7月中間期は売上高が23％減ったものの、有価証券売却益57億円で経常利益8億円を確保した。通期の2000年1月期は経常利益43億円を見込み、経常黒字は1990年12月期以来10期ぶりになる見通しとなる。営業利益が浮上したのは2002年度で、最初の営業赤字から12年が経っていた。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "水野史郎",
              "role": "1998年に会長として再建にあたった当事者",
              "date": "1998",
              "text": "あと1年放っておいたらダメだっただろう。「レナウンのビッグバン」というくらいのつもりで徹底的にやる。今までのやり方は、いかにも雑すぎたし、無駄が多すぎた。\n（レナウンの実質的な創業者ともいえる）尾上清は「やみくもに売上高を伸ばそうとするのではなく、利益がきちんと取れる企業にならなければならない」と繰り返し言っていた。その教えは脈々と伝えられてきたはずなのに、トップが代わるごとにいつの間にか忘れられていった。利益をほったらかしにして財テクに走ったりしたために、今日の危機を招いた。",
              "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
              "paragraph": 1
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1997年12月に社債償還で資金繰りに困っているとの噂が流れ、株価が初めて額面を割り一時35円まで下落した。百貨店・取引銀行・商社の幹部が水野史郎に経営参加を強く要請した",
                "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
                "url": null,
                "genbun": "1997年12月、レナウンが社債の償還で資金繰りに窮しているという噂が流れ、株価は初めて額面を割って一時35円まで下げた。"
              },
              {
                "fact": "水野史郎は1954年に前身の佐々木営業部に入社、72年からダーバンへ取締役大阪支店長として出向、86年にレリアン社長。98年2月1日付でレナウン顧問、4月28日に会長就任。当時68歳でレナウン本体では「いわば外様」だった",
                "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
                "url": null,
                "genbun": "1954年に前身の佐々木営業部へ入社し、1972年からダーバンへ出向、1986年にレリアン社長を務めた人物で、レナウン本体では外様にあたる。"
              },
              {
                "fact": "水野史郎は「私は破産管財人のつもりでこの会社に来た。経営再建に向けて、全面的に協力してほしい」と宣言し、豊田圭二社長以下役員全員が辞職届を書いて預け、水野が事実上経営の全権を掌握した",
                "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
                "url": null,
                "genbun": "1998年2月に顧問、4月に会長へ就いた水野会長の第一声は「私は破産管財人のつもりでこの会社に来た。経営再建に向けて、全面的に協力してほしい」だった。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "98年1月期売上高は前年度比4.5%減の1833億円で、同年2月期1846億円のオンワード樫山に抜かれアパレル首位の座を初めて明け渡した",
                "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
                "url": null,
                "genbun": "1998年1月期の売上高は前年度比4.5％減の1833億円で、同年2月期に1846億円を計上したオンワード樫山に抜かれた。"
              },
              {
                "fact": "役員20人→14人、社長の副社長待遇への降格、役員全員の報酬カットを実施。3月23日から3日間、約3100人の正社員を対象に希望退職を募集し500人強が5月31日付で退職した（94年に続き2回目）",
                "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
                "url": null,
                "genbun": "3月には約3100人の正社員を対象に3日間で希望退職を募り、500人強が5月末で去る。"
              },
              {
                "fact": "NBブランドを60から40前後へ、量販店向けPB・肌着靴下ブランド約200も随時削減し、量販店向け売上170億円を約90億円にする方針だった",
                "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
                "url": null,
                "genbun": "ブランドは60から40前後へ、量販店向けの自主企画品と肌着・靴下の約200ブランドも順次減らし、量販店向け売上は170億円から約90億円まで落とす計画だった。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "住友銀行出身の小野寺満芳副社長が「レナウンの樋口廣太郎になる」と宣言して再建に乗り込み、「三年でやる計画を一年でやった」と述べた。保有する銀行株をすべて売却し、本社ビルは95億円で住都公団に売却、約1000億円の有利子負債を今期中に半減する方針を示した",
                "source": "週刊東洋経済 1999年10月2日号「裸一貫10年ぶり黒字へ 資産すべて売り払い名門レナウン裸の再出発」",
                "url": null,
                "genbun": "資産の側を売り切ったのは、住友銀行から乗り込んだ小野寺満芳副社長である。"
              },
              {
                "fact": "1999年7月中間期は売上23%減ながら有価証券売却益57億円で経常利益8億円、2000年1月期は経常利益43億円を予想し、経常黒字は1990年12月期以来となった",
                "source": "週刊東洋経済 1999年10月2日号「裸一貫10年ぶり黒字へ 資産すべて売り払い名門レナウン裸の再出発」",
                "url": null,
                "genbun": "通期の2000年1月期は経常利益43億円を見込み、経常黒字は1990年12月期以来10期ぶりになる見通しとなる。"
              },
              {
                "fact": "2001年度に400人の人員削減と子供・ベビー服など不採算事業からの撤退を断行し、営業利益が浮上したのは12年を経た2002年度だった",
                "source": "週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」",
                "url": null,
                "genbun": "営業利益が浮上したのは2002年度で、最初の営業赤字から12年が経っていた。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 2004,
      "end_year": 2020,
      "main_title": "ダーバンとの統合、外資の傘下、そして118年目の破産",
      "subsections": [
        {
          "title": "経営統合と100億円の増資、3年で尽きた攻めの体力",
          "text": "2003年10月、レナウンと紳士服のダーバンが経営統合の覚書を結ぶ。同年12月の両社臨時株主総会の決議を経て、2004年3月に株式移転でレナウンダーバンホールディングスが発足し、東京証券取引所市場第一部に上場した。統合初年度にあたる2005年2月期の連結売上高は1247億円である。子会社の整理で効率化が進み、2004年度から3期連続の営業黒字を計上した。2社合計で約300億円あった繰越赤字も、準備金の取り崩しで一掃する。2005年11月には投資会社カレイド・ホールディングスが100億円を出資し、2006年3月に両社を吸収合併して商号を株式会社レナウンに戻した。同月には婦人服のレリアンを子会社化している。\n\n3期連続の営業黒字と100億円の増資を得て、レナウンは攻めに転じた。アクアスキュータムには2006年からの3年で約60億円を投じて商品企画を刷新し、一度撤退した米国にも再挑戦する。かつて若い女性に支持された「ノーマカマリ」を復活させ、手薄だったヤングキャリア向けを補強した。百貨店の売り場を確保するための出店も重ねた。連結売上高は2007年2月期に1763億円まで戻り、従業員数も3972名を数えている。もっとも、この攻めを支える体力は足りていなかった。元社長の岡康久氏は後に「そこまで打って出るほどの体力はなかったというのが率直な感想」と述べ、2007年度には21億円の営業赤字に逆戻りした。\n\n2008年、レナウンは資産の現金化に踏み切る。10月に発表したのは、アクアスキュータムの売却、不採算16ブランドの廃止、400名の人員削減、そして東京・五反田の本社ビルと大阪の商品センターの売却だった。中村実社長は「アクアスキュータムは、160年近い歴史を誇るすばらしいブランドで今後の可能性も大いにある。個人的にも非常に愛着があるが、残念ながら売却を決断せざるをえなかった」と語る。同じ年の9月5日、カレイド・ホールディングスは保有株を26億円でネオライングループに転売して撤退した。100億円を出してから2年10か月、リーマン・ブラザーズ破綻の10日前にあたる。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2003年10月に経営統合の覚書を締結し、2004年3月に株式移転でレナウンダーバンホールディングスを設立して東証一部に上場した",
                "source": "レナウン 有価証券報告書 第2期（2006年2月期）【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "同年12月の両社臨時株主総会の決議を経て、2004年3月に株式移転でレナウンダーバンホールディングスが発足し、東京証券取引所市場第一部に上場した。"
              },
              {
                "fact": "2004年度から3期連続の営業黒字を達成し、2社合計で約300億円の繰越赤字を準備金の取り崩しで一掃した",
                "source": "週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」",
                "url": null,
                "genbun": "2社合計で約300億円あった繰越赤字も、準備金の取り崩しで一掃する。"
              },
              {
                "fact": "2005年11月にカレイド・ホールディングスによる100億円の増資を受け、2006年3月にレナウンおよびダーバンを吸収合併して商号を株式会社レナウンに変更、同月にレリアンを子会社化した",
                "source": "レナウン 有価証券報告書 第2期（2006年2月期）【沿革】",
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                "genbun": "2005年11月には投資会社カレイド・ホールディングスが100億円を出資し、2006年3月に両社を吸収合併して商号を株式会社レナウンに戻した。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "アクアスキュータムのブランド強化に2006年からの3年間で約60億円を投じ、商品企画の刷新と米国展開の再挑戦を行った",
                "source": "週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」",
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                "genbun": "アクアスキュータムには2006年からの3年で約60億円を投じて商品企画を刷新し、一度撤退した米国にも再挑戦する。"
              },
              {
                "fact": "前社長の岡康久は「そこまで打って出るほどの体力はなかったというのが率直な感想」と述べ、2007年度に21億円の営業赤字となった",
                "source": "週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」",
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                "genbun": "元社長の岡康久氏は後に「そこまで打って出るほどの体力はなかったというのが率直な感想」と述べ、2007年度には21億円の営業赤字に逆戻りした。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2008年10月にアクアスキュータムの売却を決め、不採算16ブランドの廃止、400人の人員削減、五反田の本社ビルと大阪の商品センターの売却を発表した",
                "source": "週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」",
                "url": null,
                "genbun": "10月に発表したのは、アクアスキュータムの売却、不採算16ブランドの廃止、400名の人員削減、そして東京・五反田の本社ビルと大阪の商品センターの売却だった。"
              },
              {
                "fact": "中村実社長はアクアスキュータム売却について「160年近い歴史を誇るすばらしいブランド」「個人的にも非常に愛着があるが、残念ながら売却を決断せざるをえなかった」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」",
                "url": null,
                "genbun": "中村実社長は「アクアスキュータムは、160年近い歴史を誇るすばらしいブランドで今後の可能性も大いにある。個人的にも非常に愛着があるが、残念ながら売却を決断せざるをえなかった」と語る。"
              },
              {
                "fact": "カレイドは保有株を26億円でネオライングループに転売し、2008年9月5日にレナウンから撤退した。出資からわずか2年10か月、リーマンショック勃発の10日前だった",
                "source": "週刊東洋経済 2014年5月30日号「M&A裏面史（1）メガネスーパー レナウン 出口なき迷宮にはまったM&A」",
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                "genbun": "100億円を出してから2年10か月、リーマン・ブラザーズ破綻の10日前にあたる。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "ブランドを手放し、中国資本を迎えるまで",
          "text": "新しい筆頭株主は経営に踏み込んだ。2009年の株主総会でネオラインは、総帥の藤澤信義氏ら3人を取締役に送り込むよう求める。レナウン側は中村実社長ら取締役の総退陣と、経営企画部長だった北畑稔氏の社長昇格を代案として示した。47歳での社長就任だったが、消費の低迷で販売不振は続く。9月にはアクアスキュータム株を売却し、翌2010年1月にはレリアン株も手放した。2つのブランドを失った結果、連結売上高は2010年2月期の1291億円から2011年2月期には733億円へ、1期で4割超減る。従業員数も2009年2月期の3851名から翌期には1571名に落ちた。本社ビルも含め、売れるものはほぼ売り尽くしていた。\n\n売れる資産を失ったレナウンに、2010年、中国の繊維大手・山東如意科技集団が出資を持ちかける。7月の第三者割当増資で約40億円を投じ、4割を握る筆頭株主となった。中国企業が東証一部上場企業を買収する初めての事例である。山東如意は毛紡績で中国トップ級、独自開発したウール糸で中国政府の国家科学技術進歩一等賞も受けた企業で、レナウンの販路とブランド、商品化のノウハウを狙っていた。北畑社長は交渉相手に投資ファンドもいたと認めたうえで、原価削減とアパレル製品の海外展開を考えれば戦略的提携が組める事業会社のほうが望ましいと説明した。2013年12月にはグループの済寧如意投資が29億円を追加出資し、持株比率は53％に上がる。\n\nそれでも数字は戻らなかった。中期計画「RMAP」は2014年2月期に連結営業利益率7％を掲げたが、達成されていない。策定年について、報道は2010年と記す一方、北畑社長本人は2009年に発表した新経営方針だと述べている。期初に営業黒字を見込みながら赤字で着地する期が続き、2014年2月期までの3期はいずれも予想を下回った。1992年からの23年間で最終黒字は2期しかなく、いずれも資産売却による特別利益があってのものである。累積すれば1772億円の最終赤字にあたる。売上高も2015年2月期の722億円から2019年2月期の637億円へ縮み続けた。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "北畑稔",
              "role": "レナウン社長",
              "date": "2010-06-19",
              "text": "レナウンという会社は「ダーバン」「ルック」「レリアン」をつくったように、新ブランドや事業モデルなど、斬新なことにチャレンジしていた会社だった。だが、いつしか出来上がったものを守ることが中心になってしまい、顧客の変化についていけなくなったと思う。\n社長に就任して１年で、グループ企業の顔ぶれ、資本の中身もガラリと変えた。会社も自分も追い込んだ。現状維持では５年後はおろか、３年後の立ち位置もない。",
              "source": "週刊東洋経済 2010年6月19日号 緊急インタビュー",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2009年の総会でネオラインが藤澤信義ら3人の取締役就任を要求し、中村実社長ら取締役が総退陣、経営企画部長の北畑稔が47歳で社長に就任した",
                "source": "週刊東洋経済 2010年5月29日号「スクープ 名門レナウンを中国企業が買収へ」",
                "url": null,
                "genbun": "レナウン側は中村実社長ら取締役の総退陣と、経営企画部長だった北畑稔氏の社長昇格を代案として示した。"
              },
              {
                "fact": "2009年9月にAquascutum Group Limitedの株式を、2010年1月にレリアンの株式を売却し、いずれも子会社から外れた",
                "source": "レナウン 有価証券報告書 第16期（2019年12月期）【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "9月にはアクアスキュータム株を売却し、翌2010年1月にはレリアン株も手放した。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2010年7月に山東如意科技集団が約40億円を出資して4割程度を保有する筆頭株主となり、中国企業が東証一部上場企業を買収する初のケースとなった",
                "source": "週刊東洋経済 2010年5月29日号「スクープ 名門レナウンを中国企業が買収へ」",
                "url": null,
                "genbun": "7月の第三者割当増資で約40億円を投じ、4割を握る筆頭株主となった。"
              },
              {
                "fact": "山東如意は毛紡績で中国トップ級で、独自開発した極細ウール糸「如意紡」が中国政府から国家科学技術進歩一等賞を授与された",
                "source": "週刊東洋経済 2010年5月29日号「スクープ 名門レナウンを中国企業が買収へ」",
                "url": null,
                "genbun": "山東如意は毛紡績で中国トップ級、独自開発したウール糸で中国政府の国家科学技術進歩一等賞も受けた企業で、レナウンの販路とブランド、商品化のノウハウを狙っていた。"
              },
              {
                "fact": "北畑稔社長は交渉相手が複数いたと認めたうえで「原価削減やアパレル製品の海外展開を考えた場合、戦略的提携が組める事業会社のほうが、パートナーとして望ましい」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2010年6月19日号「緊急インタビュー レナウン社長 北畑稔 会社も自分も追い込んだ 中国との提携で一変させる」",
                "url": null,
                "genbun": "北畑社長は交渉相手に投資ファンドもいたと認めたうえで、原価削減とアパレル製品の海外展開を考えれば戦略的提携が組める事業会社のほうが望ましいと説明した。"
              },
              {
                "fact": "2013年12月に済寧如意投資有限公司が29億円を追加出資し、山東如意の出資比率は53%に上がった",
                "source": "週刊東洋経済 2014年5月30日号「M&A裏面史（1）メガネスーパー レナウン 出口なき迷宮にはまったM&A」",
                "url": null,
                "genbun": "2013年12月にはグループの済寧如意投資が29億円を追加出資し、持株比率は53％に上がる。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2010年策定の中期計画「RMAP」は2014年2月期に7%の連結営業利益達成を目指したが現実離れしたものになった。直近3期は期初に営業黒字を予想しながら着地は営業赤字だった",
                "source": "週刊東洋経済 2014年5月30日号「M&A裏面史（1）メガネスーパー レナウン 出口なき迷宮にはまったM&A」",
                "url": null,
                "genbun": "期初に営業黒字を見込みながら赤字で着地する期が続き、2014年2月期までの3期はいずれも予想を下回った。"
              },
              {
                "fact": "北畑稔社長は「2009年に発表した新経営方針『RMAP』の中では、資本政策や海外展開、原価削減に着手することを明らかにしていた」と述べている",
                "source": "週刊東洋経済 2010年6月19日号「緊急インタビュー レナウン社長 北畑稔 会社も自分も追い込んだ 中国との提携で一変させる」",
                "url": null,
                "genbun": "策定年について、報道は2010年と記す一方、北畑社長本人は2009年に発表した新経営方針だと述べている。"
              },
              {
                "fact": "1992年7月期以降の23年間で最終黒字は2006年2月期と2013年2月期の2期のみで、累積最終損益は1772億円の赤字だった",
                "source": "週刊東洋経済 2014年5月30日号「M&A裏面史（1）メガネスーパー レナウン 出口なき迷宮にはまったM&A」",
                "url": null,
                "genbun": "1992年からの23年間で最終黒字は2期しかなく、いずれも資産売却による特別利益があってのものである。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "118年目の破産——親会社が保証を実行しなかったとき",
          "text": "最後の一撃は親会社との取引から来た。決算期を2月期から12月期へ変更した2019年12月期の10か月決算で、山東如意の子会社向け売掛金の回収が滞り、53億円の貸倒引当金を計上する。売上高503億円に対し、営業損失は79億99百万円に達した。純資産は153億円まで減り、1991年12月期のピーク1884億円の1割を下回っている。レナウンは連帯債務者だった山東如意に再三の支払いを求めたが、自らも買収に巨費を投じていた山東如意は債務保証を実行しなかった。頼った相手の資金繰りが、そのまま自社の資金繰りになっていた。\n\n経営陣も短期間で入れ替わった。10年にわたり社長を務めた北畑稔氏は2019年5月に取締役会長へ退き、神保佳幸氏が社長を継ぐ。その神保氏も2020年3月26日の定時株主総会で任期満了により退任し、同日、毛利憲司氏が代表取締役社長に就いた。レナウンが破綻を迎えたのは、この就任からわずか7週間後のことである。3月の既存店売上高は新型コロナウイルスの影響で前年同月比42.5％減、4月は81％減まで落ちた。単体売上高の6割弱を占める百貨店から客が消えたためで、新社長には資金繰りを立て直す時間が残されていなかった。\n\n2020年5月15日、レナウンは東京地方裁判所から民事再生手続き開始の決定を受けた。負債総額は約138億円である。6月には上場を廃止した。1963年に始まった上場は、2004年の株式移転で持株会社に引き継がれたのち、57年で終わる。会社全体を引き受けるスポンサーは現れず、「ダーバン」など一部ブランドを切り売りしたうえで、11月に破産手続きへ移行した。創業から118年だった。この終わりを経営者個人の失策として読むのは、事実の一部しか説明しない。レナウンは町の洋品屋と量販店という売り場を組織することで大きくなり、その売り場が衰えるとともに縮んだ。次に頼った百貨店も、衣料品フロアを維持できないところまで来ていた。オンワードホールディングスは2020年度に約700店舗の閉鎖を決め、三陽商会も最大150の不採算売り場から退いている。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2019年12月期（10か月の変則決算）に山東如意の子会社（恒成国際発展有限公司）向け売掛金の回収が滞り53億円の貸倒引当金を計上した",
                "source": "レナウン 有価証券報告書 第16期（2019年12月期）",
                "url": null,
                "genbun": "決算期を2月期から12月期へ変更した2019年12月期の10か月決算で、山東如意の子会社向け売掛金の回収が滞り、53億円の貸倒引当金を計上する。"
              },
              {
                "fact": "恒成国際発展有限公司に対する売掛金について山東如意科技集団有限公司が連帯債務者となっていたが、山東如意自身もM&Aに巨費を投じて資金繰りが苦しく債務保証を実行しなかった",
                "source": "週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」",
                "url": null,
                "genbun": "レナウンは連帯債務者だった山東如意に再三の支払いを求めたが、自らも買収に巨費を投じていた山東如意は債務保証を実行しなかった。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "北畑稔は2019年5月に代表取締役社長執行役員から取締役会長となり、神保佳幸が社長に就任した",
                "source": "レナウン 有価証券報告書 第15期（2019年2月期）",
                "url": null,
                "genbun": "10年にわたり社長を務めた北畑稔氏は2019年5月に取締役会長へ退き、神保佳幸氏が社長を継ぐ。"
              },
              {
                "fact": "神保佳幸は2020年3月26日開催の第16回定時株主総会終結の時をもって任期満了により退任し、毛利憲司が代表取締役社長に就任した",
                "source": "レナウン 有価証券報告書 第16期（2019年12月期）",
                "url": null,
                "genbun": "その神保氏も2020年3月26日の定時株主総会で任期満了により退任し、同日、毛利憲司氏が代表取締役社長に就いた。"
              },
              {
                "fact": "3月の既存店売上高は前年同月比42.5%減、4月は81%減まで落ち込んだ。単体売上高の6割弱は百貨店向けだった",
                "source": "週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」",
                "url": null,
                "genbun": "3月の既存店売上高は新型コロナウイルスの影響で前年同月比42.5％減、4月は81％減まで落ちた。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2020年5月15日に東京地方裁判所から民事再生手続き開始の決定を受け、負債総額は約138億円だった",
                "source": "週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」",
                "url": null,
                "genbun": "2020年5月15日、レナウンは東京地方裁判所から民事再生手続き開始の決定を受けた。"
              },
              {
                "fact": "2020年6月に上場廃止となり、上場は実質57年で幕を閉じた",
                "source": "日本経済新聞（2020年6月15日）「レナウン、上場実質57年の歴史に幕」",
                "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60353020V10C20A6000000/",
                "genbun": "1963年に始まった上場は、2004年の株式移転で持株会社に引き継がれたのち、57年で終わる。"
              },
              {
                "fact": "会社全体を引き受けるスポンサーは見つからず、一部の主力ブランドを切り売りして2020年11月に破産手続きへ移行した",
                "source": "週刊東洋経済 2021年3月13日号「危ない企業のカウントダウン アパレル 「レナウンの次」はどこだ？」",
                "url": null,
                "genbun": "会社全体を引き受けるスポンサーは現れず、「ダーバン」など一部ブランドを切り売りしたうえで、11月に破産手続きへ移行した。"
              },
              {
                "fact": "オンワードホールディングスは2020年度に約700店舗の閉鎖方針を示し、三陽商会も2020年度中に最大150の不採算売り場から撤退する方針だった",
                "source": "週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」",
                "url": null,
                "genbun": "オンワードホールディングスは2020年度に約700店舗の閉鎖を決め、三陽商会も最大150の不採算売り場から退いている。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    }
  ],
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "qa": [
      {
        "q": "なぜ1902年創業の卸商が、戦後に国内アパレルの首位まで届いたのか",
        "a": "衣料品を作る力ではなく、置く場所を押さえたからである。始まりは佐々木八十八氏が1902年に大阪で開いた繊維雑貨の卸商・佐々木営業部で、社名は1922年に英国皇太子を乗せて来日した巡洋戦艦レナウン号に由来する。1956年に五つの販売会社で全国網を組み、1959年のレナウン・チェーン・ストア計画では「暮しの肌着」をスチール製ケースごと町の洋品屋に置いて、商店街の店頭を組織した。売り場が広がる分だけ売上が伸びる構造をつくったところへ、1969年発売の「アーノルド・パーマー」が乗り、傘マークの商品が老若男女に行き渡った。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "レナウンは1902年に大阪で繊維卸売業者として創業した。2002年2月が創業100周年にあたる",
            "source": "週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」",
            "url": null,
            "genbun": "始まりは佐々木八十八氏が1902年に大阪で開いた繊維雑貨の卸商・佐々木営業部で、社名は1922年に英国皇太子を乗せて来日した巡洋戦艦レナウン号に由来する。"
          },
          {
            "fact": "昭和31年（1956年）に五販社で全国販売網を構築し、1959年に「暮しの肌着」を町の洋品屋に置くレナウン・チェーン・ストア計画を開始した",
            "source": "日経ビジネス 1978年2月27日号「ケーススタディ レナウン」",
            "url": null,
            "genbun": "1956年に五つの販売会社で全国網を組み、1959年のレナウン・チェーン・ストア計画では「暮しの肌着」をスチール製ケースごと町の洋品屋に置いて、商店街の店頭を組織した。"
          },
          {
            "fact": "1969年発売の「アーノルド・パーマー」が老若男女に大流行し、ワンポイントブームを起こしてレナウンのブランド力を不動のものとした",
            "source": "週刊東洋経済 2008年11月1日号「名門レナウンの窮地 繰り返す大リストラ」",
            "url": null,
            "genbun": "売り場が広がる分だけ売上が伸びる構造をつくったところへ、1969年発売の「アーノルド・パーマー」が乗り、傘マークの商品が老若男女に行き渡った。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ1981年の営業利益107億円が、二度と超えられない記録になったのか",
        "a": "売り場を押さえる強みが衰える間、財テクの利益がそれを隠したからである。1980年代にDCブランドと海外ブランドが台頭し、市場はデザイナーの感性で売る側へ移った。レナウンの営業利益は1989年度に25億円まで落ち、同じ年のオンワード樫山174億円、三陽商会103億円から大きく離される。それでも経常利益が100億円前後を保ったのは、営業外収益が毎年100億円規模あったからである。社内は後年、「なまじ財テクで利益をひねり出せたことが、傷を深くした」と総括した。売上高でオンワード樫山に抜かれるのは1998年1月期である。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "営業利益は昭和56年度107億円をピークに低下し89年度は25億円。同年のオンワード樫山174億円・三陽商会103億円に対し44%減だった",
            "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
            "url": null,
            "genbun": "レナウンの営業利益は1989年度に25億円まで落ち、同じ年のオンワード樫山174億円、三陽商会103億円から大きく離される。"
          },
          {
            "fact": "営業利益の減少分を財テクで穴埋めして経常100億円前後を確保しており、営業外収益は85年12月期から毎年100億円前後、90年12月期は148億円だった",
            "source": "日経ビジネス 1995年2月13日号「ケーススタディー レナウン、営業力低下で苦境」",
            "url": null,
            "genbun": "それでも経常利益が100億円前後を保ったのは、営業外収益が毎年100億円規模あったからである。"
          },
          {
            "fact": "レナウン社内には「なまじ財テクで利益をひねり出せたことが、傷を深くした原因になっている」という反省があった",
            "source": "日経ビジネス 1990年9月24日号「リストラ戦略 レナウン 助っ人ブランドで低迷打開、事業本部が指揮」",
            "url": null,
            "genbun": "社内は後年、「なまじ財テクで利益をひねり出せたことが、傷を深くした」と総括した。"
          },
          {
            "fact": "98年1月期売上高1833億円に対しオンワード樫山が同年2月期1846億円を計上し、アパレル首位の座を初めて明け渡した",
            "source": "日経ビジネス 1998年4月20日号「ケーススタディー レナウン、最後の賭け」",
            "url": null,
            "genbun": "売上高でオンワード樫山に抜かれるのは1998年1月期である。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ外部資本を3度迎えながら、2020年に118年の歴史が閉じたのか",
        "a": "外から入る資本が買えるのは時間であって、商品を売る力ではなかった。2005年にカレイド・ホールディングスが投じた100億円は、2年10か月後に26億円でネオライングループへ転売される。2010年には中国の山東如意科技集団が約40億円で筆頭株主となった。それでも1992年からの23年間で最終黒字は2期しかない。2019年12月期には山東如意の子会社向け売掛金が回収できず53億円の貸倒引当金を計上する。連帯債務者だった山東如意は債務保証を実行せず、コロナ禍で客足が絶えた2020年5月に民事再生、11月に破産へ移った。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "カレイド・ホールディングスが2005年11月に拠出した100億円は2年半で溶け、2008年9月5日に26億円でネオライングループへ転売して撤退した",
            "source": "週刊東洋経済 2014年5月30日号「M&A裏面史（1）メガネスーパー レナウン 出口なき迷宮にはまったM&A」",
            "url": null,
            "genbun": "2005年にカレイド・ホールディングスが投じた100億円は、2年10か月後に26億円でネオライングループへ転売される。"
          },
          {
            "fact": "2010年7月に山東如意科技集団が約40億円を出資して4割程度を保有する筆頭株主となり、中国企業が東証一部上場企業を買収する初のケースとなった",
            "source": "週刊東洋経済 2010年5月29日号「スクープ 名門レナウンを中国企業が買収へ」",
            "url": null,
            "genbun": "2010年には中国の山東如意科技集団が約40億円で筆頭株主となった。"
          },
          {
            "fact": "1992年7月期以降の23年間で最終黒字は2006年2月期と2013年2月期の2期のみで、いずれも資産売却による特別利益があってのものだった",
            "source": "週刊東洋経済 2014年5月30日号「M&A裏面史（1）メガネスーパー レナウン 出口なき迷宮にはまったM&A」",
            "url": null,
            "genbun": "それでも1992年からの23年間で最終黒字は2期しかない。"
          },
          {
            "fact": "2019年12月期に山東如意の子会社向け売掛金の回収が滞り53億円の貸倒引当金を計上した。連帯債務者だった山東如意は債務保証を実行しなかった",
            "source": "週刊東洋経済 2020年6月6日号「老舗「レナウン」が経営破綻 アパレル淘汰・再編の序章」",
            "url": null,
            "genbun": "2019年12月期には山東如意の子会社向け売掛金が回収できず53億円の貸倒引当金を計上する。"
          },
          {
            "fact": "2020年5月15日に民事再生手続き開始の決定を受け、会社全体を引き受けるスポンサーが現れず同年11月に破産手続きへ移行した",
            "source": "週刊東洋経済 2021年3月13日号「危ない企業のカウントダウン アパレル 「レナウンの次」はどこだ？」",
            "url": null,
            "genbun": "連帯債務者だった山東如意は債務保証を実行せず、コロナ禍で客足が絶えた2020年5月に民事再生、11月に破産へ移った。"
          }
        ]
      }
    ]
  }
}
