1950年〜 メリヤス工場からスポーツウエア専業への転換
ゴールドウインの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
- 1951年 津沢メリヤス製造所設立(、富山県西砺波郡津沢町清沢1062番地)
- 1952年 一般メリヤス雑貨の生産をやめ野球ストッキング中心のスポーツウエアへ全面転換 誰でも編める肌着を続けるか、選手にしか要らないユニフォームを引き受けるか——創業半年の津沢メリヤス製造所が決めた品目
- 1956年 大阪営業所開設
- 1958年 東京営業所開設
- 1963年 本社を移転
- 1963年 ゴールドウインに商号変更
- 1977年 株式額面金額変更のためゴールドウインと合併
富山のメリヤス工場が野球ストッキングに賭けた創業期
1951年12月、富山県西砺波郡津沢町清沢で創業者の西田東作氏が株式会社津沢メリヤス製造所を設立した。資本金は50万円、設備は手回し編機が中心の小規模な家内工業に近い体制で、戦後の混乱期のなかで肌着・靴下を編む業者として出発した。富山県は明治期からメリヤス工業が地場産業として根づいていた地域で、農閑期の余剰労働力と水資源を活かした繊維加工が広く営まれていた。津沢の町でも複数のメリヤス工場が操業しており、津沢メリヤス製造所も当初はその一つに過ぎなかった。社名はメリヤス製造所の名のとおり、製品は袖口・襟口・肌着といった日常衣料が中心で、商圏も富山県内と隣接県にとどまっていた。 [1][2][3]
- ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
- [1]1951年12月 株式会社津沢メリヤス製造所を設立(資本金50万円・富山県西砺波郡津沢町清沢)
- [2]創業者は西田東作
- [3]設立時の資本金は50万円
ところが創業の翌1952年7月、西田東作氏は野球ストッキングを中心とするスポーツウエアの全面生産に踏み切った。戦後の野球熱と高校・大学スポーツの拡張で、ユニフォームやストッキング需要が立ち上がる兆しが見えていた。肌着メリヤスの市場は競合が密集して値崩れが続く一方、スポーツ用ニットは編み方も配色も多様で、機能性と意匠性に技術投資する余地が残されていた。学校制服の納入実績を地場で積み上げてきたメリヤス職人の縫製技術が、競技用ユニフォームの精度要求にもそのまま転用できる利点もあった。創業からわずか半年でメリヤス事業を捨ててスポーツ専業に振り切る判断が、その後70年の事業領域を規定する分岐点となった。 [4]
- ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
- [4]1952年7月 野球ストッキングを中心にスポーツウエアの全面生産に転換
1956年4月に大阪営業所、1958年2月に東京営業所を順次開設し、生産地・富山と需要地・都市部を結ぶ販売網を整備した。生産はメリヤス編機の延長線上にあるニット主体だったが、野球からスキー・ラグビーへと取扱種目を広げていくにつれて、編み・縫製・染色を組み合わせた複合生地のスポーツウエアへと製造の幅も拡張した。1963年6月、本社を小矢部市清沢に移転すると同時に、社名をブランド名にあわせて株式会社ゴールドウインに改称した。地方のメリヤス工場という出自から、全国流通を前提とするスポーツアパレル企業へと自己定義が変わった節目だった。 [5][6][7][8]
- ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
- [5]1956年4月 大阪営業所を開設
- [6]1958年2月 東京営業所を開設
- [7]1963年6月 本社を小矢部市清沢に移転し同時に株式会社ゴールドウインに改称
- [8]改称後の社名は株式会社ゴールドウイン
- ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
- [1]1951年12月 株式会社津沢メリヤス製造所を設立(資本金50万円・富山県西砺波郡津沢町清沢)
- [2]創業者は西田東作
- [3]設立時の資本金は50万円
- [4]1952年7月 野球ストッキングを中心にスポーツウエアの全面生産に転換
- [5]1956年4月 大阪営業所を開設
- [6]1958年2月 東京営業所を開設
- [7]1963年6月 本社を小矢部市清沢に移転し同時に株式会社ゴールドウインに改称
- [8]改称後の社名は株式会社ゴールドウイン
スキーウエアの自社開発と五輪採用
1970年代、ゴールドウインはスキーウエアを主力事業として確立した。1970年にはフランスの老舗スキーウエアメーカー、フザルプ社と技術提携を結び、立体裁断やバックリングパンツといった当時最先端の設計手法を習得した。フザルプはアルペンスキー競技用ウエアで欧州市場をリードしていた会社で、その縫製と型紙の技術を富山の自社工場に移植することで、国産スキーウエアの品質を欧州水準に引き上げる狙いがあった。1972年札幌冬季五輪、1976年インスブルック冬季五輪では日本代表チームのウエアに採用され、ゴールドウインの名は競技スキー界に広く浸透した。
スキーウエア市場は1970年代後半から80年代にかけて、国内のスキー人口拡大に伴って成長した時期にあたる。野沢温泉・志賀高原・苗場といったゲレンデ規模1,000ヘクタール級のスキー場開発と、企業の社員旅行・大学のサークル活動を通じたスキーの大衆化が需要を押し上げ、ゴールドウインの売上は競技用と一般用の二本柱で拡大基調に乗った。1970年9月の札幌、1971年12月の福岡、1972年6月の名古屋と地方営業所を相次いで開設し、全国の小売店・スポーツ用品店へのきめ細かな卸販売体制を整えた。スキー競技の世界では選手の体型と着用感の差異が記録に影響する性格があり、ゴールドウインは富山の自社工場で試作と修正を繰り返せる地理的近接性を競争力の源泉とし、欧州のフザルプから学んだ立体裁断を国産パターンに翻訳した。 [9][10][11]
- ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
- [9]1970年9月 札幌営業所を開設
- [10]1971年12月 福岡営業所を開設
- [11]1972年6月 名古屋営業所を開設
1977年6月には株式額面金額変更のため旧日東物産株式会社と合併し、商法上の株式会社ゴールドウインとして再編した。額面変更を目的とする形式的な合併だったが、これにより上場準備に向けた株式制度の整備が進んだ。スキー用品店や百貨店スポーツ売場で「Goldwin」ロゴのスキーウエアが定番化し、ゴールドウインは富山の地場メーカーから全国ブランドへと位置づけを移した。創業から四半世紀でスポーツ専業メーカーとしての足場を固めた段階で、次の課題は海外ブランドの取り込みと自社事業の多角化に移った。 [12][13]
- ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
- [12]1977年6月 株式額面金額変更のため旧日東物産株式会社と合併
- [13]合併相手は旧日東物産株式会社
- ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】
- [9]1970年9月 札幌営業所を開設
- [10]1971年12月 福岡営業所を開設
- [11]1972年6月 名古屋営業所を開設
- [12]1977年6月 株式額面金額変更のため旧日東物産株式会社と合併
- [13]合併相手は旧日東物産株式会社