アパレル不況下の全権委任(1998年・レナウンの決断)

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論点再建を外部出身の会長に一任するか
外様の会長への全権委任と、役員全員による辞職届の提出

何をなぜ決めたか:外様の会長への全権委任と、役員全員による辞職届の提出

概要

1998年2月1日付で、レナウンがグループ会社レリアンの会長だった水野史郎氏を顧問に迎えた経営判断。水野史郎氏が役員たちを前に『私は破産管財人のつもりでこの会社に来た』と切り出すと、豊田圭二社長をはじめ役員の全員が辞職届を書き、水野氏に預けた。この春に水野史郎氏はレナウンの会長へ就任し、経営の実権は事実上、水野氏の手に移った。

水野史郎氏は1954年に前身の佐々木営業部へ入社し、1972年からダーバンに出向、1986年にレリアンの社長に就任しており、レナウン本体では外様にあたる。

背景

1991年12月期以降、経常赤字は8期連続に及んだ。前社長の松坂萬丈氏のもとでは英アクアスキュータム社の買収に200億円を投じ、業績の悪化に拍車をかけていた。1997年12月下旬には社債償還をめぐる資金繰り難の噂から、株価が初めて額面を割って一時35円まで下がり、百貨店や取引銀行、商社の幹部が水野史郎氏に経営参加を強く求めた。

1998年1月期の売上高は前年度から4.5%減少して1833億円となり、同年2月期に1846億円を売ったオンワード樫山の後塵を拝して、アパレル業界の首位から初めて転落した。

内容

人員面では、3月23日に始めた3日間の募集で、正社員約3100人に希望退職を求めた。応募した500人強は5月31日付で退社する。役員は20人から14人へ絞り、社長は副社長待遇に下げ、役員全員の報酬もカットした。

ブランドも整理の対象にした。婦人服・紳士服のナショナルブランドは60から40前後へ減らし、量販店向けのプライベートブランドや肌着・靴下のブランド(約200)も順次間引いていく。

含意

経営責任を問う手続きと再建の実務を、社外に近い一人に集めた判断である。1998年12月にはメーンバンクの住友銀行出身の小野寺満芳氏を迎え、1999年4月に副社長となった小野寺満芳氏が本社と保有銀行株の売却、人員削減を進めた。

1999年7月中間期には保有する銀行株をすべて売って約53億円の売却益を計上し、中間期の経常損益は8億円の黒字に転じた。有利子負債は7月末に773億円まで減少し、2000年1月期は43億円の経常黒字を見込んで、10期ぶりの経常黒字化となった模様と伝えられた。

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考察:外様だからこそ断てた情実
考察

考察:外様だからこそ断てた情実

役員全員が辞職届を出した事実は、当時の社内に自ら決着をつける力が残っていなかったことを示している。1995年に松坂萬丈氏が社長を退かず副社長へ降格したとき、責任の取り方をめぐって批判が出た。生え抜きの序列では進退を決められない状態が続き、外様の顧問に預けるところまで来たのだろう。水野史郎会長が本体に長くいなかったからこそ、役員の削減も社長の降格も情実なしに並べられたと思われる。

もっとも、この体制が直したのは勘定と人員であって、売る力ではない。負債を減らしたのは本社や保有株の売却で、10期ぶりの黒字化も本業の回復を待たずに得たものとみられる。資産を売って時間を買う再建は、失った商品力を取り戻す作業までは含まない。その作業は、次の経営陣へ持ち越されることになった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
概況
参考文献

参考文献

参考
  • 日経ビジネス 1998年4月20日号
  • 日経ビジネス 1998年11月9日号
  • ビジネス・インテリジェンス 1998年2月号「レナウン、七期連続赤字の惨状 問われる歴代トップの責任」
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
  • 日経ビジネス 2000年3月13日号
  • 産業と経済 1999年12月号
  • 日経ビジネス 1995年2月13日号

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