総会屋融資の隠蔽発覚(1997年・第一勧業銀行の決断)

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論点総会屋との関係をどう断ち切るか
第一勧業銀行:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
取締役21人の辞任と相談役の一掃、外部の目を入れた業務監査体制への移行

何をなぜ決めたか:取締役21人の辞任と相談役の一掃、外部の目を入れた業務監査体制への移行

概要

1997年5月20日、総会屋への利益供与事件の捜査が第一勧業銀行に及び、東京・日比谷の本店に家宅捜索が入った。同月23日に総会屋の親族企業への巨額融資を認め、6月には近藤克彦頭取を含む取締役21人が辞任した経営判断。後任の頭取には旧日本勧業銀行出身の杉田力之氏が就任した。小池隆一氏の弟らが経営する小甚ビルディングなどへの融資は、1985年から延べ69回、総額275億円に及んでいた。銀行側の逮捕者は、奥田正司前会長を含めて11人を数えた。

背景

融資の始まりは1985年、大物総会屋だった木島力也氏の紹介だった。木島力也氏は総合雑誌「現代の眼」の発行者で、小池隆一氏の人脈と金脈はこの人物から引き継がれていた。窓口は営業店ではなく総務部が務め、特別扱いが続いた。株式を担保にとる際の掛け目は、大手都銀なら優良株でも7割に抑えるところ、当初から10割に設定し、1990年10月、大蔵省の検査をかわす目的で、ライベックスに融資を引き受けさせた。1992年9月に宮崎邦次会長と奥田正司頭取が木島力也氏と料亭で会食し、翌月から系列ノンバンクの大和信用を通じた迂回融資が始まった。辞任した近藤克彦頭取は『元出版社社長の呪縛が解けなかった』と説明している。

内容

退陣は現役の取締役にとどまらなかった。村本周三氏、藤森鉄雄氏、羽倉信也氏、中村一郎氏、宮崎邦次氏の相談役5人がそろって退任し、顧問に退いた。近藤克彦頭取はその理由を『長年の澱から訣別できなかった歴代経営者の経営責任』と説明し、相談役制度そのものも廃止した。7月30日、大蔵省は個人向けを除く新規融資の獲得を年末まで停止し、国内外の営業拠点の新設を1年間認めない行政処分を発表した。

2000年時点の監査の体制では、執行役員に法律・会計の外部特別委員を加えた行内業務監査委員会が監査の重要事項を評議・決定し、行外から招いた特別顧問が内部管理体制の強化策の実施状況を監視した。行内業務監査室には室内室として社会的責任推進室を置き、銀行の公共性に照らして疑義のある取引を検証し、所管部店に貸出金の回収や取引の中断を指示した。

含意

損失の大半は、事件の発覚より前に処理されていた。融資のうち70億円余りは回収不能として償却済みで、1995年5月に約26億円、1997年3月に約44億円を有税で償却していた。利益供与に問われたのは、そのうち1994年以降の約117億円の迂回融資にかかる部分にとどまる。事件は第一勧業銀行で終わらず、1997年中に総会屋への利益供与で逮捕者を出した企業は、味の素、野村証券から山一証券、日興証券、大和証券、三菱グループの各社まで12社に及んだ。銀行の総務部が一社だけの例外ではなかったことを、この広がりが示している。

いつ何が起きたか7件
考察:本業のなかに置かれた特別扱い
考察

考察:本業のなかに置かれた特別扱い

株式担保の掛け目を10割にするという一点に、この12年の性格が表れている。大手都銀が優良株でも7割にとどめる掛け目を、第一勧業銀行は小池隆一氏側にだけ外していた。裏金であれば経理に痕跡が残り、当局の目にも触れる。しかし融資は本業であり、稟議も担保も形式は整っていたため、総額275億円の特別扱いは膨大な貸出案件のなかに紛れた。窓口が総務部に固定されたことで、行内で異常を指摘する回路が働かなかったのだろう。

もっとも、取締役と相談役を退かせただけでは、外から人事に介入される余地は消えない。旧第一銀行と旧日本勧業銀行のたすき掛けは、互いに遠慮して口を出さない相互不干渉を生み、木島力也氏のような外部の人物がつけ込む隙になっていた。行内業務監査委員会に外部特別委員を入れ、疑義のある取引を検証する部署を置いたのは、行内の均衡に頼らない検証の回路をつくる試みだったとみられる。近藤克彦頭取が語った"呪縛"の中身は、最後まで説明されなかった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

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参考

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