日本興亜損害保険代理店の違法な生保募集による12日間の業務停止命令と、代理店名の非公表
1年強で4,000件を売った中古車販売代理店と、年6000件の目標をめぐって平行線をたどった言い分
- 概要
- 2003年11月6日、金融庁は日本興亜損害保険と子会社の日本興亜生命保険、ピーシーエー生命の3社に行政処分を科した。中古車販売代理店による生命保険商品の虚偽説明や無登録募集が理由で、日本興亜の2社にはこの種の事案では過去最長となる12日間の生保募集業務停止命令が下った。
- 背景
- 代理店手数料の自由化で乗り合い代理店が扱うブランドを絞り始め、中堅の損保は選ばれる側に回っていた。2001年4月の合併と同時に発足した日本興亜生命は生保として後発で、全国展開する代理店との付き合いを持たなかった。
- 内容
- 代理店の中古車販売専業カーポイント湘南は1年強で掛け捨て定期保険を4,000件販売し、日本興亜生命の2002年度個人保険新規契約件数の5.5%にあたる量を運んだ。年6000件の目標が示されていたとする代理店側と、黙認は断じてないとする日本興亜側の説明は平行線をたどり、行政も3社も代理店名を公表しなかった。
- 含意
- 2005年11月には費用保険金等の支払漏れで業務改善命令をふたたび受け、2006年には損保26社で31万8,000件・187億円の自動車保険金支払い漏れが発覚した。加入時の審査を置かず代理店網で大量に売り、支払いを厳しく査定して抑えるという損保の収益構造そのものが問われた。
借りられるのは売る力だけであった
1年強で4,000件、自社の個人保険新規契約件数の5.5%を1社の代理店から受け取った時点で、この販売は会社が確かめられる範囲を超えていた。全国展開の代理店を持たなかった日本興亜生命が組んだ相手は、48店舗を構える中古車販売業者であった。研修を3度重ね、最終通告まで出したという説明が事実だとしても、その間も契約は積み上がり続けている。借りられるのは売る力であって、売り方を確かめる力ではなかった。
ただ、これを日本興亜1社の管理不行き届きに帰すと、2年後に自社の支払漏れで業務改善命令をふたたび受け、3年後に損保26社が31万8,000件の支払い漏れを抱えていた事実の説明がつかない。加入時の審査を置かず、代理店網を広げて大量に売り、事故時の査定で支払いを抑える。この収益の作り方を続ける限り、売る側の管理も払う側の管理も後回しになりやすい。12日間という過去最長の停止を受けたのは日本興亜1社だが、3年後に31万8,000件の支払い漏れを抱えたのは損保26社であった。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
合併2年目の混乱と、代理店に選ばれる側への転落
2001年4月、日本火災海上保険と興亜火災海上保険が合併し、日本興亜損害保険が発足した。同じ月、両社の生命保険子会社も合併して日本興亜生命保険となっている。合併初年度は上期にシステムと事務の混乱が残り、新社名の浸透も進んでいなかった[1][2]。
同じ年度、業界では合併による新会社が4社生まれている。市場が伸び悩むなかで、代理店の手数料も自由化された。1社にまとめて売り上げを増やしたほうが手数料が増える仕組みとなり、乗り合い代理店は扱うブランドを絞り始めた[3][4]。
生保で全国代理店を持たなかった後発
絞り込まれる側に回った中堅の損保にとって、大量に売ってくれる代理店の値打ちは上がる。松澤建社長は「一年目は合併の新会社の基盤固めの時期、新年度から力を発揮する」と述べ、規模を追う流れとは距離を置いていた[5]。
損保の合併と同時に発足した日本興亜生命は、生保としては後発であった。日本興亜側は後に、生保分野では全国展開する代理店との付き合いがこれまでなかったと語っている。組んだ相手は中古車販売専業のカーポイント湘南で、神奈川県厚木市に本社を置き、函館から沖縄まで48店舗を構えていた。ピーシーエー生命が顧客からの苦情でこの代理店からの新規募集引き受けを止めたのが2001年11月、日本興亜生命が代理店契約を結んだのはその翌月にあたる[6][7]。
決断
この種の事案で過去最長の12日間
2003年11月6日、金融庁は日本興亜損害保険と子会社の日本興亜生命保険、それに以前同じ代理店と契約していたピーシーエー生命の3社に対する行政処分を発表した。生命保険商品の虚偽説明や無登録募集など、保険代理店による保険業法違反が認められたためである。3社に業務改善命令が下るとともに、日本興亜の2社にはこの種の事案では過去最長となる12日間の生保募集業務停止命令が科された[8]。
販売の件数を見ると、一代理店の逸脱という説明では釣り合わない。カーポイント湘南は安い掛け捨て定期保険を1年強で4,000件売っている。日本興亜生命の2002年度の個人保険新規契約件数の5.5%にあたり、1社の代理店が全体の20分の1近くを1年余りで運んだ計算になる。生保関係者も突出した水準だと口をそろえた。処分当日の会見には、日本興亜損保の松澤建社長と日本興亜生命の小松敏行社長が並んでいる[9][10]。
代理店名を明かさないという選択
処分を受けた3社も監督当局も、当該代理店の名を明かさなかった。登録が抹消されて実際に販売できないため消費者への影響はない、というのが共通の説明である。日本興亜生命でコンプライアンスを担当する井川二朗取締役は「社名の公表は当該代理店の本業への影響も出る」と述べ、契約解除によって関係はすでに絶たれていると説明した。ただ登録は3年経てば復活しうるとされ、公表こそ消費者が望む情報開示にあたるという指摘も出た[11][12]。
責任の所在をめぐる説明も交わらなかった。カーポイント湘南の持株会社社長である大久保誠氏は「年6000件の目標が提示されており、この目標達成のために社員が頑張りすぎた面もある」と述べる。日本興亜側は業務改善の研修を3度実施し、2003年1月には同年4月までの改善を求める最終通告も行っていたと説明したうえで、「違法性を認識しながら契約件数を上げるために黙認していたということは断じてない」(井川取締役)と否定した。両者の言い分は平行線をたどった[13]。
結果
2年後、今度は払う側の管理を問われる
処分を挟んだ2004年3月期、連結の経常収益は1兆712億円、経常利益は494億円、当期純利益は193億円となり、2期続いた赤字から黒字へ戻った。12日間の募集停止が業績を大きく削った跡は残っていない。販路を広げる動きも止まらず、2004年7月には安田ライフダイレクト損害保険を子会社化し、同年10月にそんぽ24損害保険へ商号を改めて通信販売の販路を取り込んだ[14][15]。
ところが2005年11月、日本興亜損保と子会社のそんぽ24損害保険は、一部の顧客に費用保険金等の支払漏れが生じていたとして、保険業法に基づく業務改善命令をふたたび受けた。命じられたのは経営管理態勢の改善・強化と、支払管理態勢の検証・見直しである。2003年に問われたのが売る側の管理だとすれば、今度は払う側の管理であった。同社はコンプライアンス委員会に加えて保険金適正支払委員会を設け、各本部にコンプライアンス・オフィサーを配置した[16][17]。
3年後、業界全体が同じ問いに立たされる
同じ問題は、3年後に業界の規模で表に出た。2006年9月には損保26社で31万8,000件・187億円の自動車保険金支払い漏れが判明し、続いて大手・中小11社で5,000件余り・14億円の第三分野商品の不払いが発覚した。三井住友海上火災保険は無期限の販売停止処分を受けた。格付投資情報センターの植村信保シニアアナリストは「不祥事は契約時の審査(入り口)を緩く、保険金の支払い(出口)を厳しくする損保の出口偏重の文化の表れ」と指摘している[18][19]。
収益の作り方まで遡ると、日本興亜1社の管理の話に収まらない。自動車保険や火災保険といった伝統的な損保商品は加入時の審査が基本的になく、事故が起きてから過失を見極めて損害額を査定する。代理店網を広げて大量に売り、支払いを厳しく査定して抑えることが収益確保の常道とされてきた。第三分野の商品は逆に、加入時に既往症を正確に把握しなければ成り立たない。自動車保険が成熟するなかで各社は第三分野に力を入れたが、支払いと管理の体制は整っていなかった[20][21]。
- 週刊東洋経済 2003年11月22日号「日本興亜に行政処分「まさか業務停止」の波紋 中古車業者の違法販売で厳罰」
- 週刊東洋経済 2006年11月18日号「泥沼化する保険金不払い 顧客軽視の損保業界」
- 週刊東洋経済 2002年4月20日号「自由化の影響 損害保険再編で二極分化が鮮明に 課題抱えたあいおい損保」
- 日本興亜損害保険 有価証券報告書(2006年3月期・第62期)
- 日本興亜損害保険 有価証券報告書(2004年3月期・連結)
- 日本興亜損害保険 有価証券報告書【沿革】