MS&ADインシュアランスグループホールディングス の歴史

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創業 1893年
母体 三井住友海上火災保険
創業地 東京都中央区
創業
現在のMS&ADには五つの源流がある。1893年、大阪製銅社長の増田信之氏らが大阪保険を大阪で設立し、1917年には山下汽船社長の山下三郎氏の提唱で扶桑海上保険が発足した。この二つは1944年の企業整備統合で合併し、のちの住友海上となる。三つ目は1918年、三井物産常務の小田柿拾郎氏の発案で設立された大正海上火災保険で、社名に三井の屋号は掲げなかった。残る二つは同じ1918年に起こった大東京火災と千代田火災、1944年設立の同和火災海上で、前者はあいおい損保、後者はニッセイ同和損保へ連なる。三井系と住友系は2001年10月に三井住友海上火災保険として合併し、2008年4月、その単独株式移転で持株会社が設立された。
決断
合併を決める前に、持株会社だけを先に設立してきた。2001年10月に三井海上と住友海上が合併して三井住友海上火災保険が発足すると、2008年4月には単独株式移転で三井住友海上グループホールディングスを設立し、東京・大阪・名古屋の3市場へ上場した。2年後の2010年4月、株式交換でトヨタ系のあいおい損保と日本生命系のニッセイ同和損保を迎え入れた。ただし中核損保は一つにせず、ブランドと代理店網を別々に残したまま、2013年9月の機能別再編合意書で商品・損害サービス・システムだけを機能単位で集約し、事業費500億円の削減を狙った。海外では2015年9月に約6,420億円で英アムリンを取得しロイズ市場のスペシャルティ保険へ参入したが、想定した利益は出ないまま2020年に全株を売却し、北米の中小型投資へ改めた。
現況
政策保有株式の売却が、現在の成長投資の原資である。2024年3月末に時価3.6兆円あった政策株式は、2025年9月末には2.3兆円まで減った。売却益は業績にも表れ、2026年3月期の連結売上高は6兆4,360億円、親会社株主に帰属する当期純利益は7,873億円に達している。セグメント別では海外子会社・関連会社の収益2兆4,681億円・利益2,345億円が単独で最大で、国内は三井住友海上とあいおいニッセイ同和損保の2社に分かれたままである。二重に抱えた本社機能と損害サービスを、2025年3月に2027年4月の合併で一本化すると発表した
競合
国内首位の座は、グループ2社を合算して初めて成り立つ。2024年3月末の正味収入保険料は三井住友海上が1兆6,233億円、あいおいニッセイ同和損保が1兆3,689億円で、単純合算の2兆9,922億円は東京海上日動火災保険の2兆4,179億円を上回る。海外は逆で、東京海上が2008年に米フィラデルフィアを取得して先に動いたのに対し、MS&ADのアムリン取得は7年遅れ、収益も計画に達しなかった。3位のSOMPOホールディングスも2016年に米エンデュランスを取得している。2023年12月には企業向け保険の料率調整で3社そろって業務改善命令を受けており、海外の利益で伸びる東京海上に対し、MS&ADは国内の重複解消で利益を作る側へ回った。
MS&ADインシュアランスグループホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2012年3月期2026年3月期

設立ストーリー 財閥系損保の系譜と戦時統合から戦後復興まで (1893年〜)

神戸の三井物産が起こした大正海上火災保険

1918年10月、三井物産常務の小田柿拾郎の発案で[1]、財界有力者を集めて資本金50万円の大正海上火災保険が設立された[2]。本社登記は東京に置いたが、営業本部は神戸支店に構えた[3]。三井物産船舶部の本拠が神戸にあり、当時の日本の海外貿易の中心も神戸港にあったためである。社名にあえて三井を冠さず、大正という元号に由来する無難な名を採用した。創業時の三井財閥の影響力が強く、損害保険という事業の先行きに対する世間の見方も定まっておらず、三井の屋号を背負わせるのを避けたためである。財閥色の濃い発起人構成と控えめな社名の組み合わせには、三井系らしい用心深さがにじむ。

  • 日本会社史総覧 三井海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [1]発案者は三井物産常務の小田柿拾郎
    • [2]1918年10月 三井物産関係者が大正海上火災保険を設立(資本金50万円)
    • [3]営業本部は神戸支店に置かれた

関東大震災では本店の置かれた三井第2号館が全焼し、本来は填補責任のないはずの地震災害についても、政府の裁定に基づいて見舞金を支払った。海上・火災・運送の三本柱に加え、1928年に自動車保険と傷害保険、1937年に航空保険、1938年に利益保険の認可を相次いで取得し、種目を広げた。1937年には収入保険料で業界47社中第[4]3位の地位を確保し、1940年には海上保険分野で業界2位の規模に達した。それでも社名を三井海上火災保険へと変更したのは、創立から73年を経た1991年4月のことである[5]。三井系の損保として本来の屋号を取り戻すまでに、戦中の財閥批判と戦後の財閥解体という二つの断絶を挟み、ほぼ一世代分の時間を要した。財閥名を社名に出さずに事業を運ぶ姿勢には、三井系の気風がそのまま映る。

  • 日本会社史総覧 三井海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [4]1937年に収入保険料で業界47社中第3位
    • [5]1991年4月 大正海上火災保険が三井海上火災保険に商号変更(創立73年)
  • 日本会社史総覧 三井海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [1]発案者は三井物産常務の小田柿拾郎
    • [2]1918年10月 三井物産関係者が大正海上火災保険を設立(資本金50万円)
    • [3]営業本部は神戸支店に置かれた
    • [4]1937年に収入保険料で業界47社中第3位
    • [5]1991年4月 大正海上火災保険が三井海上火災保険に商号変更(創立73年)

戦時統制が縫い合わせた住友海上火災保険の二系統

住友海上のルーツをさかのぼると、異なる二つの系譜に行き着く。一つは1893年に大阪製銅社長の増田信之が中心となって設立した大阪保険で[6]、火災保険と海上保険の両方を扱う関西の地場損保として出発した。1916年に大阪商船グループの傘下へ入って大阪海上火災保険へと改称し[7]、第1次世界大戦下の海運好況にも助けられ、翌年度の保険料収入は業界2位に達した。もう一つの系譜は、1917年に山下汽船社長の山下三郎が提唱し、渋沢栄一や住友吉左衛門らが発起人となって設立した扶桑海上保険で、資本金1,000万円[8]という当時として群を抜く規模の創業だった。大阪の商工業者を軸とする地場系と、海運と財閥資本を軸とする全国系。性格の対照的な二社が、のちに戦時統制のもとで縫い合わされる素地がここで用意された。

  • 日本会社史総覧 住友海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [6]1893年 大阪製銅社長の増田信之が中心となり大阪保険を設立(火災・海上保険)
    • [7]1916年 大阪保険が大阪商船グループ傘下に入り大阪海上火災保険へ改称
    • [8]1917年 山下汽船社長の山下三郎が提唱・渋沢栄一・住友吉左衛門らが発起人となり扶桑海上保険を設立(資本金1,000万円)

扶桑海上は1920年に火災保険にも進出して扶桑海上火災保険へと改称し、1927年には住友合資会社が筆頭株主に就いた。1940年に社名を住友海上火災保険へ改めた段階で[9]、住友グループの一員としての立ち位置はほぼ固まった。1944年3月、戦時経済統制下の損保業界整理統合のなかで、大阪海上と旧住友海上は政府の企業整備統合要請に基づき合併[10]し、大阪住友海上火災保険として発足した。新生会社の規模は当時の業界第3位に並び[11]、関西地盤の損保としては頭ひとつ抜けた。1954年7月には商号を住友海上火災保険[12]へと再変更した。住友系損保の母体は、関西の商工業者を軸とする系譜と海運業者を軸とする系譜という二つの流れが、戦時統制下の政府要請で縫い合わされて成立した。

  • 日本会社史総覧 住友海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [9]1940年 扶桑海上が住友海上火災保険に改称(住友合資会社が筆頭株主)
    • [10]1944年3月 大阪海上と旧住友海上が政府の企業整備統合要請に基づき合併し大阪住友海上火災保険として発足(当時業界第3位)
    • [11]新生会社の規模は当時の業界第3位
    • [12]1954年7月 大阪住友海上火災保険が住友海上火災保険に商号変更
  • 日本会社史総覧 住友海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [6]1893年 大阪製銅社長の増田信之が中心となり大阪保険を設立(火災・海上保険)
    • [7]1916年 大阪保険が大阪商船グループ傘下に入り大阪海上火災保険へ改称
    • [8]1917年 山下汽船社長の山下三郎が提唱・渋沢栄一・住友吉左衛門らが発起人となり扶桑海上保険を設立(資本金1,000万円)
    • [9]1940年 扶桑海上が住友海上火災保険に改称(住友合資会社が筆頭株主)
    • [10]1944年3月 大阪海上と旧住友海上が政府の企業整備統合要請に基づき合併し大阪住友海上火災保険として発足(当時業界第3位)
    • [11]新生会社の規模は当時の業界第3位
    • [12]1954年7月 大阪住友海上火災保険が住友海上火災保険に商号変更

新種保険の開拓と海外復帰に表れた戦後成長の二本柱

戦後の両社は、海上保険分野の不振を抱えつつ、国内市場の開拓と海外業務への復帰に同時に向き合わねばならなかった。三井系の旧大正海上は、森林・盗難・競争馬・信用・風水害・硝子といった新種目の損害保険を同業他社に先駆けて拡充し、国内の営業網を広げた。1961年には東海村の原子炉組立保険を幹事会社[13]として引き受け、原子力保険という未知の分野に踏み込んだ。1964年にはロンドン市場でLDR(ロンドン預託証券)を発行し[14]、これは日本企業として初のロンドン株式時価発行となった。国内の種目拡充と海外資本市場への進出を両輪に据える戦略が、戦後成長期の旧大正海上の骨格をつくった。

  • 日本会社史総覧 三井海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [13]1961年 大正海上が東海村の原子炉組立保険を幹事会社として引き受け(原子力保険分野へ参入)
    • [14]1964年 大正海上がロンドン市場でLDR(ロンドン預託証券)を発行(日本企業初のロンドン株式時価発行)

住友系ではひと味違う切り口が選ばれた。効率経営と積立型商品による差別化である。1969年には初の積立型商品となる長期総合保険を発売し[15]、以後の積立商品が同社総資産の拡大を支える原動力となった。1984年に単独開発した積立女性保険は爆発的に売れ、日本経済新聞社の年間優秀製品賞を受賞した[16]。1968年には代理店の全国組織である住友連合代友会を結成[17]し、1965年決算では営業残高率で業界首位に立った。1978年から1979年にかけては一挙に50支社を新設し、地域密着の販売体制を厚くしている。新種保険の拡充派と効率経営派。同じ業界上位ながら戦略の色合いが対照的な両社が、半世紀ののちに統合相手として巡り合う伏線が、1960年代から1980年代にかけて敷かれた。

  • 日本会社史総覧 住友海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [15]1969年 住友海上が初の積立型商品「長期総合保険」を発売
    • [16]1984年 住友海上が単独開発した積立女性保険を発売・日本経済新聞社の年間優秀製品賞を受賞
    • [17]1968年 住友海上が代理店の全国組織「住友連合代友会」を結成
  • 日本会社史総覧 三井海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [13]1961年 大正海上が東海村の原子炉組立保険を幹事会社として引き受け(原子力保険分野へ参入)
    • [14]1964年 大正海上がロンドン市場でLDR(ロンドン預託証券)を発行(日本企業初のロンドン株式時価発行)
  • 日本会社史総覧 住友海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
    • [15]1969年 住友海上が初の積立型商品「長期総合保険」を発売
    • [16]1984年 住友海上が単独開発した積立女性保険を発売・日本経済新聞社の年間優秀製品賞を受賞
    • [17]1968年 住友海上が代理店の全国組織「住友連合代友会」を結成

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MS&ADインシュアランスグループホールディングスの沿革1893〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1893〜1990年財閥系損保の系譜と戦時統合から戦後復興まで大阪保険を設立
大阪保険を大阪海上火災保険に商号変更
大阪商船グループ入り
扶桑海上保険を設立
三井物産関係者が大正海上火災保険を設立
扶桑海上が住友海上火災保険に商号変更
大正海上が新日本火災海上保険を吸収合併
大阪海上と旧住友海上が合併し大阪住友海上火災保険を設立★★
大正海上が三井火災海上保険を吸収合併
大正海上が財閥解体に伴う制限会社に指定
大阪住友海上火災保険が住友海上火災保険に商号変更
大正海上がイギリスで元受け営業を開始
大正海上が東海村原子炉の組立保険を幹事引受
大正海上がLDR(ロンドン預託証券)を発行
住友海上が代理店全国組織「住友連合代友会」を結成
住友海上が初の積立型商品「長期総合保険」を発売
大正海上が示談代行サービスを開始
住友海上が単独開発した積立女性保険を発売
大正海上が東京神田駿河台に新本社ビル竣工
1991〜2012年業界再編の波を受けてMS&AD体制が整うまで大正海上が三井海上火災保険に商号変更
住友海上が創業100年
三井海上と住友海上が合併し三井住友海上火災保険が発足★★
三井住友海上火災保険の取締役会で持株会社設立を決定
江頭敏明単独株式移転により三井住友海上グループHDを設立★★
江頭敏明東京証券取引所市場第一部に上場
江頭敏明生命保険3社(きらめき生命・三井ダイレクト・メットライフ生命)を子会社化
江頭敏明三井住友海上・あいおい・ニッセイ同和の3社統合とMS&ADインシュアランスグループの結成

2009年1月23日、三井住友海上グループホールディングス・あいおい損害保険・ニッセイ同和損害保険の3社が、持株会社方式による経営統合と業務提携の協議で合意したと発表した経営判断。2010年4月の統合を掲げ、三井住友海上HDを受け皿の持株会社として活用する枠組みが示された。

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江頭敏明MS&ADインシュアランスグループHDに商号変更
江頭敏明あいおい損保とニッセイ同和損保が合併、あいおいニッセイ同和損害保険が発足★★
2013〜2024年合併を先送りした1グループ2社体制の12年と試行錯誤柄澤康喜英アムリン買収によるロイズ市場への本格参入

国内損保が成熟するなか、MS&ADは2015年に三井住友海上を通じて英アムリンを約6,420億円で買収し、ロイズ市場のスペシャルティ保険へ本格参入した経営判断。当時の日系損保による海外M&Aとしては最大級であった。

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★★★
原典之柄澤康喜から原典之に取締役社長グループCEO交代
舩曵真一郎損保業界の保険料調整問題で公正取引委員会から課徴金★★
舩曵真一郎政策株式売却を加速、当期純利益が6,917億円に拡大★★
舩曵真一郎原典之から舩曵真一郎に取締役社長グループCEO交代
舩曵真一郎三井住友海上とあいおいニッセイ同和損保の合併発表とMS&AD損保2社統合(2025年)

2025年3月28日、MS&ADインシュアランスグループHDが傘下の三井住友海上火災保険とあいおいニッセイ同和損害保険を2027年4月に合併させると発表した案件。存続会社は三井住友海上で、新会社の商号は三井住友海上あいおい損害保険となる。

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★★★
出典・参考
  • 日本会社史総覧 三井海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)
  • 日本会社史総覧 住友海上火災保険(東洋経済新報社, 1995)

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