決断
三和の大衆化は、財閥系の企業集団を持たないことから出た選択である。1947年に頭取となった渡辺忠雄氏はピープルズ・バンクを経営の方針に掲げ、1960年には上枝一雄頭取が京阪神108店のどこでも引き出せるネット・サービス預金と消費者金融を始めた。1972年には住宅ローンを受け持つ女性行員を支店に置き、1978年には金融界で最初のカードローンを発売している。1987年の中期経営計画では、資金量で上位都銀の5位にとどまりながら収益首位を目標に掲げ、中堅企業の私募債の受託と駅前の無人店舗で取引を拡大した。その結果、1993年3月期に業務純益・経常利益・当期利益の3部門で都市銀行の首位に立った。