ハートファイナンスに第一勧業銀行が直接出した資本は5%にすぎず、残る95%は関連会社が持った。資金量では日本一を掲げながら、個人への無担保融資では利息制限法の上限も、担保に取れるものも、午後3時に閉まる窓口も動かせない。その制約を外す場所として、本体から一歩離れた会社が選ばれたのだろう。羽倉信也頭取の言う『銀行の窓口で貸しにくい人』という線引きは、銀行そのものを変えずに個人へ貸すための線引きでもあった。
ただ、この会社が背負った条件は軽くない。焦げつきが1%を下回る世界で育った銀行員が、30%に達する世界の選別を身につけられるかは、開業の時点では見通せなかった。低い金利は、返済に行き詰まった借り手を先に呼び寄せる。店舗は八重洲の一店、人員は10人、2〜3年内に融資残高50億円という目標も、資金量日本一の規模から見ればごく小さい。その後の残高がどこまで積み上がったのかは、社史にも数字で示されていない。