マルヰプロパンの決断が示すのは、既存事業の延長線上にはない市場を、既存の商流の外側に見つけ出す嗅覚である。工業用のボンベを工場や商店に卸す仕事から、家庭の台所に届く消費財事業への転換は、扱う商品を変えただけでなく、顧客との接点そのものを作り替える賭けであっただろう。都市ガスのインフラが届かない領域を狙った着眼は、後発の弱みを逆手に取った選択であったといえる。
この転換が興味深いのは、単発の商品発売で終わらせず、特約店・充填基地・系列販売会社という流通の骨格を15年がかりで積み上げた点にある。1980年の堺LPG輸入ターミナル建設に象徴される川上から川下までの一貫供給体制も、1953年に築いた消費財流通網があってこそ意味を持つ投資であったとみられる。生活者の手元に届く商品をどう作るかという発想は、その後の水素事業を含む岩谷産業の事業拡張の基本形として繰り返し現れることになる。