稲畑産業 の歴史

更新:

1890年、稲畑勝太郎氏が京都で創業。住友化学工業の染料・化学品の特約販売店となり、医薬事業の住友製薬への譲渡、丸石化学品・大五通商・ノバセルの買収までの沿革と経緯を執筆。

創業

1890年

創業者

稲畑勝太郎

創業地

京都市

直近売上高(2026/3)

8,327億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1890年に、稲畑勝太郎は商社経由でなく独立の直輸入商として染料商を始めたのか
A 当時の染色業者は欧州の染料を商社経由で仕入れるのが普通で、買い手は薬品の中身も使い方も売り手任せだった。稲畑勝太郎氏はリヨン留学で染色技術そのものを身につけており、技術を解さない仲介商では埋められない領域で稼げると見た。1890年に京都市三条大橋東で稲畑染料店を開き、フランス留学時代の人脈を生かして高級合成染料を直輸入し、最新の染色法を講習しながら売る方法で顧客を広げた。欧州メーカーと直接結びつき技術ごと売るこの型が、後の住友グループとの結びつきにつながる原型である。
Q なぜ1944年に、稲畑産業は自社で原料を作る道でなく住友化学の特約販売店になったのか
A 戦時下の物資統制で染料の自由な輸入が絶たれ、独立の直輸入商という稼ぎ方そのものが成り立たなくなったためである。創業者・稲畑勝太郎氏が育てた日本染料製造は1944年に住友化学工業へ合併され、創業家がメーカーとして残る道は閉じた。同じ1944年7月、稲畑産業は住友化学工業の染料・化学品・医薬品の特約販売店に指定された。自社で原料を作らず住友化学のメーカー力を販売面で代行する立ち位置に定まり、創業者の影響圏は事業会社から販売チャネルの側へ集約された
Q なぜ2024年に、稲畑産業は事業の中身でなく資本コストと政策保有株式の縮減を経営の前面に掲げたのか
A 他社の製品を運んで稼ぐ商社の収益構造は長く資本効率が商社平均にとどまり、特約販売店として取引先と積み上げた持ち合い株がその効率を押し下げていたためである。稲畑産業は2024年5月の中期経営計画New Challenge 2026で、資本コストと株価を意識した経営を掲げ、PBR1倍を常態的に超える水準を目指すとした。政策保有株式は前計画NC2023で2021年3月末比50%を削減済みで、2027年3月末までに約80%へ縮減する。総還元性向50%以上・累進配当を原則とし、稼いだ現金を株主と成長投資へ配り直す規律を先に立てた

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1890年〜 リヨンに学んだ染料商から住友化学の特約販売店へ

  1. 1938年 名古屋支店開設
  2. 1939年 日本染料製造の医薬品の総販売元となり、医薬品部門を新設
  3. 1943年 商号を稲畑産業に変更
  4. 1944年 日本染料製造の住友化学合併を受け、住友化学工業の特約販売店となる 創業者が育てたメーカーを手放して販売の側に残るか——戦時統制下の商権をめぐる選択

京都府派遣留学生だった創業者・稲畑勝太郎氏のフランス染色技術直輸入

稲畑産業の起点は1890年10月、創業者の稲畑勝太郎氏が京都市三条大橋東[1]に開いた「稲畑染料店」である[2]。創業者は1862年に京都の御所御用達菓子舗[3]「亀屋正重」の長男として生まれ、1877年に15歳で京都府派遣留学生8名の一人として選抜[4]され、フランス・リヨンへ渡った。マルチニエール工業学校で染色を学び、リヨン近郊のマルナス染工場で3年間の徒弟[5]として実技を身につけたのち、1885年に帰国した[6]。京都府庁奉職、京都織物の技師長を経て独立した創業者は[7]、フランス・サンドニ社の総代理店として染料の直輸入を始めた。当時の日本の染色業者は欧州から薬品を仕入れる場合も商社経由が普通で、欧州メーカーと直接結びつく独立染料商の登場は珍しかった。

  • 稲畑産業 創業者史料室 IKものがたり
    • [1]1890年10月 稲畑勝太郎氏が京都市三条大橋東に「稲畑染料店」を開業
    • [2]創業者の氏名は稲畑勝太郎
    • [3]創業者は1862年に京都の菓子舗の長男として生まれた
    • [4]1877年に15歳で京都府派遣留学生8名の一人に選抜されフランス・リヨンへ渡った
    • [5]マルチニエール工業学校で染色を学び、マルナス染工場で3年間の徒弟を経た
    • [6]1885年に帰国
    • [7]京都府庁奉職・京都織物の技師長を経て独立しサンドニ社総代理店として染料直輸入を開始

1891年には商標「IK」を制定し[8]、1893年に商号を「稲畑商店」へ改め[9]、1894年には東京出張所を開設した[10]。1895年には毛斯綸紡織を共同で創立し[11]、1897年にはリヨン留学時代の同窓だったリュミエール兄弟から映写機「シネマトグラフ」と興行権[12]を譲り受け、京都電燈の中庭で日本初の映画試写[13]、続いて大阪・南地演舞場で日本初の有料映画興行を実現した。映画事業は本業の染料商に専念するため数年で撤退したが、欧州先端技術を国内に持ち込む独立輸入商の創業者の人脈と判断速度は、その後の住友グループとの結びつきにつながった。1918年に法人化して「株式会社稲畑商店」となり[14]、創業者は1926年に日本染料製造の社長に就任した[15]

  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [8]1891年に商標「IK」を制定
    • [9]1893年に商号を「稲畑商店」へ改めた
    • [10]1894年に東京出張所を開設
    • [11]1895年に毛斯綸紡織を共同で創立
    • [14]1918年に法人化して「株式会社稲畑商店」となった
    • [15]創業者は1926年に日本染料製造の社長に就任
  • 日本映画発祥の地 京都市公式観光Navi
    • [12]1897年にリュミエール兄弟から映写機「シネマトグラフ」と興行権を譲り受けた
    • [13]京都電燈の中庭で日本初の映画試写・大阪南地演舞場で日本初の有料映画興行(最上級主張)
  • 稲畑産業 創業者史料室 IKものがたり
    • [1]1890年10月 稲畑勝太郎氏が京都市三条大橋東に「稲畑染料店」を開業
    • [2]創業者の氏名は稲畑勝太郎
    • [3]創業者は1862年に京都の菓子舗の長男として生まれた
    • [4]1877年に15歳で京都府派遣留学生8名の一人に選抜されフランス・リヨンへ渡った
    • [5]マルチニエール工業学校で染色を学び、マルナス染工場で3年間の徒弟を経た
    • [6]1885年に帰国
    • [7]京都府庁奉職・京都織物の技師長を経て独立しサンドニ社総代理店として染料直輸入を開始
  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [8]1891年に商標「IK」を制定
    • [9]1893年に商号を「稲畑商店」へ改めた
    • [10]1894年に東京出張所を開設
    • [11]1895年に毛斯綸紡織を共同で創立
    • [14]1918年に法人化して「株式会社稲畑商店」となった
    • [15]創業者は1926年に日本染料製造の社長に就任
  • 日本映画発祥の地 京都市公式観光Navi
    • [12]1897年にリュミエール兄弟から映写機「シネマトグラフ」と興行権を譲り受けた
    • [13]京都電燈の中庭で日本初の映画試写・大阪南地演舞場で日本初の有料映画興行(最上級主張)

「IK」商標と東京・大阪二極の販売網

1918年の法人化以降、稲畑商店は染料・化学品・医薬品の取り扱いを順次広げ、大阪本店と東京出張所を軸とする販売網を整えた。1938年6月には名古屋支店を開設し[16]、中部圏の取引先にも対応できる体制を敷いた。当時の染料商社は綿紡・絹織業者を主要顧客とする業態で、輸入元の海外染料メーカーと国内染色業者を結ぶ仲介機能が稼ぎ頭だった。1939年2月には日本染料製造の医薬品の総販売元となり[17]、医薬品部門を新設して取扱い品目を化学から医療へ広げた。創業者・稲畑勝太郎氏が日本染料製造の社長[18]を兼ねていた関係から、関係会社の販売チャネルを取り込む形で多角化が進んだ。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1938年6月 名古屋支店を開設
    • [17]1939年2月 日本染料製造の医薬品の総販売元となり医薬品部門を新設
  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [18]創業者・稲畑勝太郎氏が日本染料製造の社長を兼ねていた

1943年4月、商号を「稲畑産業株式会社」[19]へ改めた。「染料店」「商店」と続いた商号から「産業」を冠する社名への転換は、染料単品の輸入商社という出自を超えて、化学品・医薬品・機械までを扱う総合商社的な業態への意識転換を示した。戦時下の物資統制は染料の自由な輸入を絶ち、稲畑産業はこの時期、住友系の化学品取扱いに事業の中心を移した。1944年7月、稲畑勝太郎氏が育てた日本染料製造が住友化学工業に合併されたのと同時に、稲畑産業は住友化学工業の染料・化学品・医薬品の特約販売店に指定[20]された。創業者が興した日本染料製造が住友化学に吸収されたことで、創業者の影響圏は事業会社から販売チャネルの側へ集約された。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1943年4月 商号を「稲畑産業株式会社」へ改めた
    • [20]1944年7月 日本染料製造が住友化学工業に合併され、稲畑産業は住友化学工業の染料・化学品・医薬品の特約販売店に指定された

1968年刊の『企業の歴史 明治百年』(経済春秋社編)は、稲畑染料店が明治末期に取扱い分野を広げ、1897年に店舗を大阪の本店所在地へ移したと記す[21]。同書によれば、移転と前後して従来の染料に加え工業薬品・紡織・染色用諸機械・雑貨・洋酒を海外から輸入[22]するようになり、染料単品商から輸入雑貨を含む商社へ業容を広げた。1916年には染料・医薬品を製造する日本染料を設立し[23]、染料では後に国内最大のメーカーへ育てた。1918年6月の株式会社稲畑商店への組織変更時の資本金は100万円[24]で、第一次大戦の活況も事業拡大に重なった。1935年には医薬品を取扱業務に加え[25]、1943年4月の現社名への改称と同時に資本金を200万円[26]へ増やしている。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [21]稲畑染料店は1897年に店舗を大阪の本店所在地へ移転した
    • [22]大阪移転と前後して染料の外に工業薬品・紡織・染色用諸機械・雑貨・洋酒を海外から輸入するようになった
    • [23]1916年(大正5年)に染料・医薬品を製造する日本染料を設立し、染料では後に国内最大のメーカーに発展した
    • [24]1918年6月の株式会社稲畑商店への組織変更時の資本金は100万円
    • [25]1935年(昭和10年)に医薬品を取扱業務に加えた(沿革の1939年2月医薬品部門新設とは別の取扱開始時点)
    • [26]1943年4月の現社名への改称と同時に資本金を200万円へ増やした
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1938年6月 名古屋支店を開設
    • [17]1939年2月 日本染料製造の医薬品の総販売元となり医薬品部門を新設
    • [19]1943年4月 商号を「稲畑産業株式会社」へ改めた
    • [20]1944年7月 日本染料製造が住友化学工業に合併され、稲畑産業は住友化学工業の染料・化学品・医薬品の特約販売店に指定された
  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [18]創業者・稲畑勝太郎氏が日本染料製造の社長を兼ねていた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [21]稲畑染料店は1897年に店舗を大阪の本店所在地へ移転した
    • [22]大阪移転と前後して染料の外に工業薬品・紡織・染色用諸機械・雑貨・洋酒を海外から輸入するようになった
    • [23]1916年(大正5年)に染料・医薬品を製造する日本染料を設立し、染料では後に国内最大のメーカーに発展した
    • [24]1918年6月の株式会社稲畑商店への組織変更時の資本金は100万円
    • [25]1935年(昭和10年)に医薬品を取扱業務に加えた(沿革の1939年2月医薬品部門新設とは別の取扱開始時点)
    • [26]1943年4月の現社名への改称と同時に資本金を200万円へ増やした

創業者・稲畑勝太郎氏の死と住友グループ商社化の起点

1949年2月、創業者の稲畑勝太郎氏は87歳で死去[27]した。リヨン留学からシネマトグラフ輸入、日本染料製造創立、住友化学合併への流れを生涯にわたって主導した創業者の退場は、稲畑産業の経営判断の主軸が一族親族から組織的経営へ移る転機となった。2代社長の稲畑太郎氏は1937年から創業者の後を継いで稲畑商店の社長を務めており、1943年の稲畑産業改称後も社長として終戦直後[28]の混乱期を支えた。1944年の住友化学特約店化は戦時下の商権整理の一環でもあったが、結果として稲畑産業は住友化学の販売チャネルの一翼を担う商社として戦後を出発した。

  • 稲畑産業 創業者史料室 IKものがたり
    • [27]1949年2月 創業者・稲畑勝太郎氏が87歳で死去
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1943年の稲畑産業改称後も2代社長として終戦直後を支えた

戦後の稲畑産業は染料課を1946年に新設して取扱いを復活し[29]、1949年にはモンサント社の塩化ビニル樹脂の取扱いを開始[30]した。染料一本足ではなく、新興の合成樹脂や化学品へ商権を広げる起点が、創業者死去の同じ年に置かれた。住友化学の特約販売店という立ち位置は、自社で原料を製造しない代わりに住友化学のメーカー力を販売面で代行する商社機能を稲畑産業に与えた。創業者の興した「フランス染料の直輸入商」という出発点は、創業者死去とともに、戦後日本の住友系化学品流通網の中の一商社という新しい姿に置き換わった。1890年から1949年までの約60年間は、創業者・稲畑勝太郎氏が一代で「リヨン仕込[31]みの染料商」を「住友化学の特約販売店」へと変えた時代であり、戦後の事業転換の土台を残した。

  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [29]1946年に染料課を新設し取扱いを復活
    • [30]1949年にモンサント社の塩化ビニル樹脂の取扱いを開始
  • 稲畑産業 創業者史料室 IKものがたり
    • [31]創業(リヨン仕込みの染料商)から1949年(創業者死去)までは約60年間
  • 稲畑産業 創業者史料室 IKものがたり
    • [27]1949年2月 創業者・稲畑勝太郎氏が87歳で死去
    • [31]創業(リヨン仕込みの染料商)から1949年(創業者死去)までは約60年間
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1943年の稲畑産業改称後も2代社長として終戦直後を支えた
  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [29]1946年に染料課を新設し取扱いを復活
    • [30]1949年にモンサント社の塩化ビニル樹脂の取扱いを開始

1950年〜 染料商から合成樹脂・海外網へ──戦後30年で業態が入れ替わった転換期

稲畑産業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1961年 大阪証券取引所市場第二部に株式上場
  2. 1962年 東京証券取引所市場第二部に株式上場
  3. 1970年 本部制を採用
  4. 1975年 化学品本部内に食品部を新設
  5. 1976年 戦後初の海外営業拠点となるINABATA SINGAPORE (PTE.) LTD.を設立
  6. 1978年 山陽化工との合弁でSANYO-IK COLOR (PTE.) LTD.を設立
  7. 1984年 医薬事業を合弁の住友製薬へ営業譲渡し、直営の医薬品事業から撤退 商社が「メーカー」と呼ばれた事業を、なぜ設立したばかりの合弁へ移したのか

1959年ポリプロピレン日本初輸入が決めた合成樹脂シフト

戦後の稲畑産業は、染料の取扱い復活と並行して新興素材の取扱いに主力を移した。1957年、2代社長の稲畑太郎氏と小川専務[32]はイタリアの化学会社モンテカチーニを訪問し、ポリプロピレンの輸入仮契約を結んだ。1959年、日本に初めてポリプロピレンが輸入された商権を稲畑産業[33]が握った。当時の日本の合成樹脂市場は、ポリエチレン・塩ビが主流でポリプロピレンはまだ実用化が始まったばかりであり、結晶化技術を確立したイタリア・モンテカチーニ社の特許を欧州メーカーと直接結ぶことができる商社は限られていた。1949年のモンサント塩ビ取扱開始から始まった合成樹脂シフトは、1959年のポリプロピレン日本初輸入で決定的になった。

  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [32]1957年 2代社長の稲畑太郎氏と小川専務がモンテカチーニを訪問しポリプロピレン輸入仮契約を結んだ
    • [33]1959年に日本に初めてポリプロピレンが輸入され、その商権を稲畑産業が握った(日本初の主張)

ポリプロピレンは1960年代に自動車部品・家電筐体・包装材料の素材として急拡大し、稲畑産業の合成樹脂部門は染料部門を上回る稼ぎ頭へ成長した。1970年3月には本部制を採用し、染料・化学品・合成樹脂・機械・総務・人事の各本部を設置[34]した。創業以来の染料・化学品の縦割りから、事業領域ごとに本部長へ意思決定を移譲する近代的な事業部制への移行であり、合成樹脂と機械の本部設置は、稲畑産業が「染料商」から脱却し総合商社の体裁を整えたことを示した。1974年3月には建材本部[35]、1975年10月には化学品本部内に食品部[36]、1988年4月には食品本部への昇格と[37]、戦後30年で取扱品目は染料1分野から複数事業の集合体へ広がった。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [34]1970年3月 本部制を採用し染料・化学品・合成樹脂・機械・総務・人事の各本部を設置
    • [35]1974年3月 建材本部発足
    • [36]1975年10月 化学品本部内に食品部を新設
    • [37]1988年4月 食品部を食品本部に昇格
  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [32]1957年 2代社長の稲畑太郎氏と小川専務がモンテカチーニを訪問しポリプロピレン輸入仮契約を結んだ
    • [33]1959年に日本に初めてポリプロピレンが輸入され、その商権を稲畑産業が握った(日本初の主張)
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [34]1970年3月 本部制を採用し染料・化学品・合成樹脂・機械・総務・人事の各本部を設置
    • [35]1974年3月 建材本部発足
    • [36]1975年10月 化学品本部内に食品部を新設
    • [37]1988年4月 食品部を食品本部に昇格

1976年シンガポール──戦後初の海外拠点と樹脂コンパウンド製造の起点

1961年10月に大阪証券取引所市場第二部[38]、1962年6月に東京証券取引所市場第二部[39]、1973年8月には東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定され[40]、稲畑産業は資本市場で資金調達できる中堅商社の地位を得た。1976年11月、シンガポールに戦後初の海外営業拠点[41]となるINABATA SINGAPORE (PTE.) LTD.を設立した。住友化学の特約販売店として国内に閉じていた事業を、東南アジア市場に開く起点である。1978年6月には山陽化工との合弁でシンガポールに樹脂コンパウンド製造のSANYO-IK COLOR[42] (PTE.) LTD.を設立し、商社機能だけでなく自社で製造拠点を持つ事業会社化への布石も打った。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1961年10月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [39]1962年6月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [40]1973年8月 東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定
    • [41]1976年11月 シンガポールに戦後初の海外営業拠点 INABATA SINGAPORE (PTE.) LTD. を設立
    • [42]1978年6月 山陽化工との合弁でシンガポールに樹脂コンパウンド製造 SANYO-IK COLOR (PTE.) LTD. を設立

1978年10月には米国・ニューヨークにINABATA[43] AMERICA CORPORATIONを設立し、対米拠点を整えた。1987年タイ、1988年香港[44]、1989年台湾、1990年フランス[45]、1991年インドネシア、1995年中国・東莞[46]、1996年中国・上海、1998年フィリピンと[47][48]、シンガポール進出から20年余で東南アジア・中国・[49]欧米の主要市場に営業拠点と樹脂[50]コンパウンド製造拠点を並行配置した[51]。商社拠点と製造拠点を同地域に重ねる戦略は、染料商社から樹脂コンパウンド事業会社への業態転換を地理的にも進めた。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [43]1978年10月 米国ニューヨークに INABATA AMERICA CORPORATION を設立
    • [44]1987年タイ拠点設立
    • [45]1989年台湾拠点設立
    • [46]1988年香港拠点設立
    • [47]1990年フランス拠点設立
    • [48]1998年フィリピン拠点設立
    • [49]1995年 中国・東莞拠点設立
    • [50]1996年 中国・上海拠点設立
    • [51]1991年インドネシア拠点設立
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1961年10月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [39]1962年6月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [40]1973年8月 東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定
    • [41]1976年11月 シンガポールに戦後初の海外営業拠点 INABATA SINGAPORE (PTE.) LTD. を設立
    • [42]1978年6月 山陽化工との合弁でシンガポールに樹脂コンパウンド製造 SANYO-IK COLOR (PTE.) LTD. を設立
    • [43]1978年10月 米国ニューヨークに INABATA AMERICA CORPORATION を設立
    • [44]1987年タイ拠点設立
    • [45]1989年台湾拠点設立
    • [46]1988年香港拠点設立
    • [47]1990年フランス拠点設立
    • [48]1998年フィリピン拠点設立
    • [49]1995年 中国・東莞拠点設立
    • [50]1996年 中国・上海拠点設立
    • [51]1991年インドネシア拠点設立

医薬事業の住友製薬譲渡と「染料」消失──創業者の事業の最終整理

1984年10月、稲畑産業は医薬事業を住友製薬に営業譲渡[52]した。住友製薬は1984年2月、稲畑産業と住友化学の共同出資で設立[53]された医薬合弁子会社で(現社名は住友ファーマ)、創業者・稲畑勝太郎氏の時代から続いた医薬品取扱いを合弁会社へ移管する整理だった。1939年2月の医薬品部門新設から45年を経て[54]、稲畑産業は自社直営の医薬事業から手を引き、住友グループの医薬事業統合の流れに合流した。2005年4月には住友製薬の株式を住友化学に一部譲渡し[55]、同社は持分法適用から外れた。創業者が育てた医薬品取扱いの痕跡は、稲畑産業の連結決算からも消えた。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1984年10月 稲畑産業は医薬事業を住友製薬に営業譲渡
    • [53]住友製薬は1984年2月に稲畑産業と住友化学の共同出資で設立された医薬合弁子会社(現社名住友ファーマ)
    • [54]1939年2月の医薬品部門新設から1984年まで45年
    • [55]2005年4月 住友製薬の株式を住友化学に一部譲渡し、同社は持分法適用から外れた

1998年は5代社長に稲畑武雄氏が就任した年であり、創業者の苗字を継ぐ稲畑家の社長は1998年時点で4人目だった(初代・稲畑勝太郎氏、2代・稲畑太郎氏、4代・稲畑勝雄氏、5代・稲畑武雄氏)。1969年から1972年の3代社長・伊藤英夫氏のみが稲畑家以外で、戦後の稲畑産業の社長人事は稲畑家を中心に組み立てられた。1990年3月には創業100周年を迎えて大阪本社新社屋を竣工し[56]、1999年4月には情報電子・住環境・化学品・合成樹脂・食品の5[57]分野体制に事業を再編した。戦後の50年間で、稲畑産業は「染料の特約販売店」から「合成樹脂・情報電子を稼ぎ頭とする複数事業の集合体」へ業態を入れ替えた。創業者の事業の名残は、住友化学の特約販売店という関係性の中にのみ残った。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [56]1990年3月 創業100周年を迎え大阪本社新社屋が竣工
    • [57]1999年4月 情報電子・住環境・化学品・合成樹脂・食品の5分野体制に再編
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1984年10月 稲畑産業は医薬事業を住友製薬に営業譲渡
    • [53]住友製薬は1984年2月に稲畑産業と住友化学の共同出資で設立された医薬合弁子会社(現社名住友ファーマ)
    • [54]1939年2月の医薬品部門新設から1984年まで45年
    • [55]2005年4月 住友製薬の株式を住友化学に一部譲渡し、同社は持分法適用から外れた
    • [56]1990年3月 創業100周年を迎え大阪本社新社屋が竣工
    • [57]1999年4月 情報電子・住環境・化学品・合成樹脂・食品の5分野体制に再編

1999年〜 5分野から4分野へ──商社+樹脂コンパウンド7拠点と売上8,378億円

稲畑産業の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1999年 情報電子・住環境・化学品・合成樹脂・食品の5分野に事業を再編
  2. 2000年 イギリス・ロンドンにINABATA UK LIMITEDを設立
  3. 2002年 アメリカ・ノバトに水産物販売会社DNI GROUP, LLCを設立
  4. 2005年 住友製薬の株式の一部を住友化学に譲渡
  5. 2023年 株式の追加取得により、丸石化学品・その子会社である丸石テクノを子会社化
  6. 2023年 株式の追加取得により、大五通商を子会社化
  7. 2024年 オーガニック成長からマジョリティ出資へ——丸石化学品・大五通商・ノバセルの連続買収 自力の伸びだけで長期ビジョンに届くのか——中堅商社が資本配分を組み替えた3年

5分野再編から4分野集約へ──情報電子・合成樹脂への重心シフト

1999年4月、稲畑産業は情報電子・住環境・化学品・合成樹脂・食品の5分野体制[58]を敷いた。2012年4月には情報電子・化学品・生活産業・合成樹脂・住環境の5分野に再編[59]、2019年4月には情報電子・化学品・生活産業・合成樹脂の4分野に集約し[60]、20年間で2度の分野再編を経て稼ぎ頭の絞り込みを進めた。住環境は2020年3月期に化学品事業へ統合され[61]、食品は2012年再編で生活産業へ括られた。FY24(2025年3月期)のセグメント別売上高は合成樹脂4,015億円、情報電子2,640億円、化学品1,182億円、生活産業537億円で、合成樹脂と情報電子の2分野で連結売上8,378億円のうち約79%を占めた。1959年のポリプロピレン日本初輸入で始まった合成樹脂事業は、半世紀を経て連結売上の48%を占める中核事業に育った。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1999年4月 情報電子・住環境・化学品・合成樹脂・食品の5分野体制を敷いた
    • [59]2012年4月 情報電子・化学品・生活産業・合成樹脂・住環境の5分野に再編
    • [60]2019年4月 情報電子・化学品・生活産業・合成樹脂の4分野に集約
    • [61]住環境は2020年3月期に化学品事業へ統合された

2005年12月、6代社長に創業者の曾孫にあたる稲畑勝太郎氏(初代と同名)[62]が就任した。2代・稲畑太郎氏(在任1937〜1969年)、4代・稲畑勝雄氏(同1972〜1998年)、5代・稲畑武雄氏(同1998〜2005年)と続いた稲畑家の社長系譜の中で、6代目は初代と同じ「稲畑勝太郎」を名乗る世代だった。稲畑社長は2010年の創業120周年に経営理念体系(Mission・Vision・IK Values)を新たに制定し、長期ビジョン「IK Vision 2030」[63]を据え、2010年代以降の事業ポートフォリオ整理と海外M&Aを主導した。

  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [62]2005年12月 6代社長に創業者の曾孫にあたる稲畑勝太郎氏(初代と同名)が就任
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [63]2010年 創業120周年に経営理念体系(Mission・Vision・IK Values)を制定し長期ビジョン「IK Vision 2030」を据えた
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1999年4月 情報電子・住環境・化学品・合成樹脂・食品の5分野体制を敷いた
    • [59]2012年4月 情報電子・化学品・生活産業・合成樹脂・住環境の5分野に再編
    • [60]2019年4月 情報電子・化学品・生活産業・合成樹脂の4分野に集約
    • [61]住環境は2020年3月期に化学品事業へ統合された
    • [63]2010年 創業120周年に経営理念体系(Mission・Vision・IK Values)を制定し長期ビジョン「IK Vision 2030」を据えた
  • 稲畑産業 会社沿革ページ
    • [62]2005年12月 6代社長に創業者の曾孫にあたる稲畑勝太郎氏(初代と同名)が就任

樹脂コンパウンド7拠点19.5万トン──商社拠点と製造拠点の同地配置

稲畑産業の樹脂コンパウンド事業は、1978年のシンガポール進出以来[64]、東南アジア・中国・メキシコ・フィリピン・ベトナム・インドネシア等への製造拠点設置を続け、2025年時点で7カ国7拠点・年産19.5万トン[65]の規模に達した。商社拠点と製造拠点を同一地域に並べる配置は、合成樹脂の販売機能と加工機能を一体運営する稲畑産業独自の事業構造を支えた。2012年11月にはメキシコ・シラオに自動車向けIK[66] PLASTIC COMPOUND MEXICO、2013年7月にはフィリピンにIK PLASTIC[67] COMPOUND PHILS.を設立し、自動車・OA機器メーカーの海外現地調達の流れを取り込んだ。2024年6月にはノバセル株式会社およびその香港・シンガポール・タイの子会社を株式取得で子会社化し[68]、樹脂コンパウンド事業の拠点に新たな1社が加わった。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1978年のシンガポール進出が樹脂コンパウンド事業の起点
    • [66]2012年11月 メキシコ・シラオに自動車向け IK PLASTIC COMPOUND MEXICO を設立
    • [67]2013年7月 フィリピンに IK PLASTIC COMPOUND PHILS. を設立
    • [68]2024年6月 ノバセル株式会社およびその香港・シンガポール・タイの子会社を株式取得で子会社化
  • 決算説明会QA 2025年6月5日
    • [65]2025年時点で樹脂コンパウンド製造は7カ国7拠点・年産19.5万トン

ノバセル買収はFY24の業績に売上高約120億円、利益面で約10億円強の貢献[69]をもたらした。稲畑社長は決算説明会で、7カ国7拠点それぞれが歴史を重ねて生産技術レベルを年々改善[70]していると述べ、米国の相互関税環境下でOAの生産地を関税が高いベトナムから低いフィリピンへ移管する顧客の動きにも対応できる拠点分散を強みに挙げた。日系コンパウンドメーカーの中で稲畑産業の19.5万トン規模は最大級で、中国の金発などグローバル大手と比較すれば中規模ながら、商社機能と組み合わせた事業モデルが他社にない差別化要因となった。

  • 決算説明会QA 2025年6月5日
    • [69]ノバセル買収はFY24に売上高約120億円・利益面で約10億円強の貢献
    • [70]稲畑社長は7カ国7拠点それぞれが歴史を重ね生産技術レベルを年々改善していると述べた
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1978年のシンガポール進出が樹脂コンパウンド事業の起点
    • [66]2012年11月 メキシコ・シラオに自動車向け IK PLASTIC COMPOUND MEXICO を設立
    • [67]2013年7月 フィリピンに IK PLASTIC COMPOUND PHILS. を設立
    • [68]2024年6月 ノバセル株式会社およびその香港・シンガポール・タイの子会社を株式取得で子会社化
  • 決算説明会QA 2025年6月5日
    • [65]2025年時点で樹脂コンパウンド製造は7カ国7拠点・年産19.5万トン
    • [69]ノバセル買収はFY24に売上高約120億円・利益面で約10億円強の貢献
    • [70]稲畑社長は7カ国7拠点それぞれが歴史を重ね生産技術レベルを年々改善していると述べた

NC2026 売上9,500億円目標と投資積極化への舵切り

2024年5月、稲畑産業は新中期経営計画「New Challenge 2026」を発表した[71]。3カ年計画(2024〜2026年度)の最終年度であるFY26(2027年3月期)に売上高9,500億円・営業利益270[72]億円を目標とする内容である。前中期経営計画NC2023(2021〜2023年度)は3期連続で売上高・営業利益とも過去最高を更新して終わり[73]、FY23の連結売上高7,660億円・営業利益212億円から、3年で売上高1,840億円・営業利益58億円の上積みを目指す内容となった。稲畑社長はメインテーマを「投資の積極化による成長の加速」と置き、3カ年累計650億円程度の営業キャッシュフロー等のうち[74]、50〜60%程度を成長投資、40〜50%程度を株主還元に配分する方針を示した。

  • 稲畑産業 中期経営計画NC2026
    • [71]2024年5月 新中期経営計画「New Challenge 2026」を発表
    • [72]NC2026 最終年度(2027年3月期)に売上高9,500億円・営業利益270億円を目標
    • [73]NC2023は3期連続で売上高・営業利益とも過去最高を更新して終了
  • 決算説明会QA 2024年6月3日
    • [74]NC2026は3カ年累計650億円程度の営業キャッシュフロー等のうち50〜60%を成長投資・40〜50%を株主還元に配分

オーガニック成長中心の経営から、マジョリティ出資の買収を含む投資積極化への転換は、NC2023期間中の丸石化学品(2023年4月子会社化)、[75]大五通商(2023年6月子会社化)、[76]ノバセル(2024年6月子会社化)の連続買収で具体化した[77]。NC2023ではROE 8%以上を新たに指標として開示し、政策保有株式の50%縮減方針を示した。FY24の連結売上高は8,378億円、営業利益258億円、親会社株主に帰属する当期純利益198億円となり、過去最高益を更新した。1890年の創業から135年を経て、稲畑産業は売上高8,378億円・従業員4,677名(連結)の中堅商社へ成長した。創業者・稲畑勝太郎氏が京都の小さな染料店から興した事業は、6代後の同名社長の下で住友グループ系の商社と樹脂コンパウンド事業会社の両輪へ業態を入れ替えた。

  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [75]丸石化学品を2023年4月に子会社化
    • [76]大五通商を2023年6月に子会社化
    • [77]ノバセルを2024年6月に子会社化
  • 稲畑産業 中期経営計画NC2026
    • [71]2024年5月 新中期経営計画「New Challenge 2026」を発表
    • [72]NC2026 最終年度(2027年3月期)に売上高9,500億円・営業利益270億円を目標
    • [73]NC2023は3期連続で売上高・営業利益とも過去最高を更新して終了
  • 決算説明会QA 2024年6月3日
    • [74]NC2026は3カ年累計650億円程度の営業キャッシュフロー等のうち50〜60%を成長投資・40〜50%を株主還元に配分
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
    • [75]丸石化学品を2023年4月に子会社化
    • [76]大五通商を2023年6月に子会社化
    • [77]ノバセルを2024年6月に子会社化

稲畑産業の沿革1938〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
名古屋支店開設
日本染料製造の医薬品の総販売元となり、医薬品部門を新設★★
商号を稲畑産業に変更
日本染料製造の住友化学合併を受け、住友化学工業の特約販売店となる創業者が育てたメーカーを手放して販売の側に残るか——戦時統制下の商権をめぐる選択 詳細を読む★★★
大阪証券取引所市場第二部に株式上場
東京証券取引所市場第二部に株式上場
本部制を採用
化学品本部内に食品部を新設
戦後初の海外営業拠点となるINABATA SINGAPORE (PTE.) LTD.を設立★★
山陽化工との合弁でSANYO-IK COLOR (PTE.) LTD.を設立
アメリカ・ニューヨークにINABATA AMERICA CORPORATIONを設立
両本社制を採用
医薬事業を合弁の住友製薬へ営業譲渡し、直営の医薬品事業から撤退商社が「メーカー」と呼ばれた事業を、なぜ設立したばかりの合弁へ移したのか 詳細を読む★★★
タイ・SIAM INABATA CO.,LTD.を設立
INABATA SANGYO (H.K.) LTD.を設立
TAIWAN INABATA SANGYO CO.,LTD.を設立
パリにINABATA FRANCE S.A.R.L.を設立
インドネシア・PT. INABATA INDONESIAを設立
中国・SHANGHAI INABATA TRADING CO.,LTD.を設立
フィリピン・INABATA PHILIPPINES, INC.を設立
情報電子・住環境・化学品・合成樹脂・食品の5分野に事業を再編★★
イギリス・ロンドンにINABATA UK LIMITEDを設立
アメリカ・ノバトに水産物販売会社DNI GROUP, LLCを設立★★
稲畑勝太郎住友製薬の株式の一部を住友化学に譲渡★★
稲畑勝太郎韓国・INABATA KOREA & CO.,LTD.を設立
稲畑勝太郎インド・INABATA INDIAを設立
稲畑勝太郎情報電子・化学品・生活産業・合成樹脂・住環境の5分野に事業を再編
稲畑勝太郎ケレタロにINABATA MEXICO, S.A. de C.V.を設立
稲畑勝太郎サンパウロにINABATA BRASIL IMPORTAÇÃO E EXPORTAÇÃO LTDA.を設立
稲畑勝太郎デュッセルドルフにINABATA EUROPE GmbHを設立
稲畑勝太郎情報電子・化学品・生活産業・合成樹脂の4分野に事業を再編
稲畑勝太郎株式の追加取得により、丸石化学品・その子会社である丸石テクノを子会社化★★
稲畑勝太郎株式の追加取得により、大五通商を子会社化★★
稲畑勝太郎オーガニック成長からマジョリティ出資へ——丸石化学品・大五通商・ノバセルの連続買収自力の伸びだけで長期ビジョンに届くのか——中堅商社が資本配分を組み替えた3年 詳細を読む★★★
稲畑勝太郎大五通商がマルカブ佐藤製茶を子会社化
出典・参考
  • 稲畑産業 創業者史料室 IKものがたり
  • 稲畑産業 会社沿革ページ
  • 日本映画発祥の地 京都市公式観光Navi
  • 稲畑産業 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 決算説明会QA 2025年6月5日
  • 稲畑産業 中期経営計画NC2026
  • 決算説明会QA 2024年6月3日

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