1947年〜 安宅から飛び出した8人の独立系鉄鋼商社
阪和興業の業績推移:単体
- 1948年 東京出張所開設
- 1952年 名古屋出張所開設
- 1963年 大阪証券取引所上場
- 1968年 HANWA AMERICAN CORP.設立
- 1970年 東京証券取引所上場
- 1971年 阪和有限公司設立
- 1972年 HANWA SINGAPORE (PRIVATE) LTD.設立
8人で始めた独立系 ── 財閥にもメーカーにも属さない出発
1946年、安宅産業を退職した[1]北二郎氏は実弟の北茂氏らとともに阪和商会を大阪市で創業し[2]、翌1947年に従業員8人で阪和興業株式会社を発足させた[3]。社名の「興業」は終戦直後の混乱期に「大いに業を興す」決意と、関連の生産部門へ進出する将来の含みを込めて選んだ。三井物産・三菱商事の解体と財閥再編が進むなかで新興商社が雨後の筍のように生まれた時期にあたり、後の総合商社の多くが戦前財閥や繊維商社・鉄鋼メーカー系を出自とするのに対し、創業者の北二郎氏は財閥にもメーカーにも属さない第三の経路で出発した。鉄鋼の流通は戦時統制の解除と需要急増の局面に入り、新規参入の余地が一時的に開いた商機を捉えた船出だった。
- 阪和興業 公式沿革
- [1]創業者は北二郎氏、実弟は北茂氏
- [2]1946年 北二郎氏らが阪和商会を大阪市で創業
- [3]1947年 従業員8人で阪和興業株式会社を発足
1948年12月に東京出張所(現・東京本社)を[4]、1952年11月に名古屋出張所を開設し[5]、首都圏と中部圏の発注主に直接接続する営業網を整えた。1949年には鋼材クラブに加入して鉄鋼商品の取扱を拡大し[6]、ダム建設現場向けの軽レールなどを納入して鉄鋼商社としての地歩を固めた。1950年に大阪本社梅田倉庫を設け[7]、メーカーからの大量仕入れとユーザーへのジャストインタイム小口即納を組み合わせる流通機能の原型を作り、即納体制を支える在庫拠点を関西で先んじて確保した。1953年には中華人民共和国との貿易を開始し[8]、戦後早期に対中ビジネスへ足場を築いた。
- 阪和興業 有価証券報告書【沿革】
- [4]1948年12月 東京出張所(現・東京本社)開設
- [5]1952年11月 名古屋出張所開設
- 阪和興業 公式沿革
- [6]1949年 鋼材クラブに加入
- [7]1950年 大阪本社梅田倉庫を設置
- [8]1953年 中華人民共和国との貿易を開始
創業者の北二郎氏は1957年に資本金1億円のうち1000万円[9]を投じて財団法人阪和育英会を設立し、初代理事長に就いた。経済的困窮で進学を断念する子弟への給付型奨学金で、社外の人材を育てる姿勢を会社のごく初期から制度化した点が特徴である。北二郎氏は人を大事にして育てていく姿勢を一貫して掲げ[10]、その哲学は社員教育と社会貢献の両面に同社の経営DNAとして引き継がれた。鉄鋼商社が乱立する戦後の関西市場で、メーカー系列でも財閥系でもない独立系商社が生き残る前提は、価格交渉力と営業の人材に依存しており、創業初期から人材投資を制度化したのは独立系の宿命に対する一つの解答だった。
- [9]1957年 北二郎氏が資本金1億円のうち1,000万円を投じ財団法人阪和育英会を設立、初代理事長に就任
- [10]北二郎氏の「人を大事にして育てていく」姿勢(古川弘成相談役による発言紹介)
- 阪和興業 公式沿革
- [1]創業者は北二郎氏、実弟は北茂氏
- [2]1946年 北二郎氏らが阪和商会を大阪市で創業
- [3]1947年 従業員8人で阪和興業株式会社を発足
- [6]1949年 鋼材クラブに加入
- [7]1950年 大阪本社梅田倉庫を設置
- [8]1953年 中華人民共和国との貿易を開始
- 阪和興業 有価証券報告書【沿革】
- [4]1948年12月 東京出張所(現・東京本社)開設
- [5]1952年11月 名古屋出張所開設
- [9]1957年 北二郎氏が資本金1億円のうち1,000万円を投じ財団法人阪和育英会を設立、初代理事長に就任
- [10]北二郎氏の「人を大事にして育てていく」姿勢(古川弘成相談役による発言紹介)
大阪・東京二本社制と海外網拡張による多角化基盤
1963年8月に大阪証券取引所第二部に上場[11]、1970年9月に東京証券取引所第二部に上場し[12]、翌1971年に両証取の一部指定替えを実現した[13]。鉄鋼を主軸としつつ、1960年代半ば以降は非鉄金属・建材・食品・石油・化成品・木材・セメント・機械まで取扱を広げ、独立系の総合商社へと事業の幅を伸ばした。1968年9月にHANWA AMERICAN CORP.を米国に設立[14]、1971年7月に阪和(香港)有限公司[15]、1972年4月にHANWA SINGAPORE[16] (PRIVATE) LTD.、1975年11月にロンドン事務所[17]、1976年9月にHANWA THAILAND CO., LTD.と[18]、1970年代を通じて米国・香港・東南アジア・欧州に現地法人と事務所を相次いで開設した。
- 阪和興業 有価証券報告書【沿革】
- [11]1963年8月 大阪証券取引所第二部に上場
- [12]1970年9月 東京証券取引所第二部に上場
- [13]1971年 両証取の一部指定替えを実現
- [14]1968年9月 HANWA AMERICAN CORP.を米国に設立
- [15]1971年7月 阪和(香港)有限公司設立
- [16]1972年4月 HANWA SINGAPORE (PRIVATE) LTD.設立
- [17]1975年11月 ロンドン事務所開設
- [18]1976年9月 HANWA THAILAND CO., LTD.設立
1983年7月、東京支社を東京本社に昇格させて東阪二本社制を採用[19]した。首都圏比重が高まる鉄鋼流通の変化に対応した組織再編で、関西発祥の独立系商社が首都圏営業の比重を制度上同格に引き上げる節目になった。創業者の北二郎氏は1947年から1983年まで36年間社長を務め[20]、1983年に実弟の北茂氏に社長を譲った。同年には情報処理子会社の株式会社シー・ピー・ユーを設立し、1984年には北京事務所を開設[21]、1987年には東龍セメント株式会社を共同出資で設立[22]するなど、本業以外の事業多角化と中国本土への足場固めも並行した。
- 阪和興業 有価証券報告書【沿革】
- [19]1983年7月 東京支社を東京本社に昇格し東阪二本社制を採用
- [21]1984年 北京事務所開設
- [22]1987年 東龍セメント株式会社を共同出資で設立
- 阪和興業 公式沿革
- [20]北二郎氏は1947年から1983年まで36年間社長を務め、1983年に北茂氏へ社長を譲った
多角化と海外網拡張は1960〜70年代の高度成長と日本企業の海外進出ブームを背景としたが、阪和興業の特徴は鉄鋼を軸足にしながら非鉄金属・食品・石油・建材まで取扱を広げた点にある。総合商社では伊藤忠商事・三井物産が広範な商材を扱う一方、専門商社では1社1領域に特化するのが業界の標準形だったなかで、独立系で総合商社並みの広さと専門商社並みの深さを併せ持つ立ち位置を目指した。第3代社長の北修爾氏が後年「お客様のかゆいところに手が届く商社」と表現する阪和興業の流通機能は[23]、創業期から1970年代までに敷かれた即納体制と多商材取扱の組み合わせが土台になった。
- 東洋経済オンライン(2017年5月13日)
- [23]第3代社長の北修爾氏が阪和興業の流通機能を「お客様のかゆいところに手が届く商社」と表現
- 阪和興業 有価証券報告書【沿革】
- [11]1963年8月 大阪証券取引所第二部に上場
- [12]1970年9月 東京証券取引所第二部に上場
- [13]1971年 両証取の一部指定替えを実現
- [14]1968年9月 HANWA AMERICAN CORP.を米国に設立
- [15]1971年7月 阪和(香港)有限公司設立
- [16]1972年4月 HANWA SINGAPORE (PRIVATE) LTD.設立
- [17]1975年11月 ロンドン事務所開設
- [18]1976年9月 HANWA THAILAND CO., LTD.設立
- [19]1983年7月 東京支社を東京本社に昇格し東阪二本社制を採用
- [21]1984年 北京事務所開設
- [22]1987年 東龍セメント株式会社を共同出資で設立
- 阪和興業 公式沿革
- [20]北二郎氏は1947年から1983年まで36年間社長を務め、1983年に北茂氏へ社長を譲った
- 東洋経済オンライン(2017年5月13日)
- [23]第3代社長の北修爾氏が阪和興業の流通機能を「お客様のかゆいところに手が届く商社」と表現