決断
需要が生まれる前に、配る網を先に置いてきた。1941年に捨てられていた副生水素を商品にしたのが起点で、1953年11月には日本で初めて家庭用LPガスの全国販売に踏み切る。都市ガスの届かない地域を狙い、以後15年で充填基地と特約店網を積み上げた。2000年4月に4代目社長へ就任した牧野明次氏は"量から質への転換"を掲げ、2002年2月に燃料電池車がほとんど走っていない時期の国内初の水素供給ステーションを稼働させ、同年7月に戸建住宅事業の子会社5社を清算して撤退した。産業ガスとLPガスへ経営資源を集中し、グループ会社の統廃合と役員半減も併せて実施している。撤退で浮いた余力を、まだ市場のない商材の受け渡し設備へ充当した。
2024年 コスモエネルギー株取得
業績の推移2023 2024 2026 売上高(億円) 9,063 8,479 9,085 営業利益率(%) 4.4 6.0 4.2 2002年 戸建住宅撤退と水素ステーション
1953年11月 マルヰプロパンの発売