岩谷直治

岩谷産業・元代表取締役社長

Iwatani Naoji(敬称略)

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社長就任 1944年
生年月日 —
学歴 安濃郡立農業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

1918年4月、神戸市の掛野海陸運送店に勤めた。1930年5月、大阪で溶接材料商の岩谷直治商店を興し、酸素・カーバイド・溶接材料の取扱を始めている。1945年2月、資本金19万8千円で岩谷産業株式会社へ改組し、取締役社長に就任した。大商社の出でも技術者でもなく、ガスと溶接材料を自ら売り歩いた商人である。法人になる前に15年の商店経営があり、その取引先がそのまま会社の得意先になった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

前任はいない。1930年5月に個人で開いた岩谷直治商店を母体に、1945年2月の法人化と同時に取締役社長へ就任した。改組は敗戦の半年前で、酸素と溶接材料の商いが軍需に組み込まれていた時期にあたる。役員には島根の商店時代からの同郷者が並び、福間哲氏は1933年4月に岩谷直治商店へ入り、1955年10月に取締役、1973年1月に代表取締役副社長となった。会社を設立した本人が経営を執り、1985年に齋藤興二氏へ社長を渡すまで在任した。

在任中の主な施策
施策

1953年11月、マルヰプロパンのブランドで日本で初めて家庭用LPガスの全国販売に踏み切った。都市ガスの届かない家庭を狙い、1959年3月にはLPガス販売会社のセントラル石油瓦斯を設立している。1962年8月に大阪証券取引所第二部、同年12月に東京証券取引所第二部へ上場し、1965年4月に両取引所の第一部へ指定された。1980年8月に堺LPG輸入ターミナルを完成させ、1981年2月からサウジアラビアより直輸入を開始した。台所を押さえたうえで、輸入基地まで川上へ遡った。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1944〜1985年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件
参考文献

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