プラクスエア欧州事業の取得(2018年・日本酸素HDの決断)

更新:
論点 未参入の欧州へ買収で参入するか
日本酸素HD:業績の推移
売上高(億円)営業利益率(%)
未参入だった欧州へ6,358億円を投じ、4極体制を構築した買収

何をなぜ決めたか:未参入だった欧州へ6,358億円を投じ、4極体制を構築した買収

概要

2018年7月5日、大陽日酸(現・日本酸素ホールディングス)は米Praxair, Inc.との間で、同社の欧州事業に関連する法人の株式を取得する株式売買契約を締結した。同年12月3日に取得を完了し、支払対価は635,847百万円、全額が現金であった。受け入れた資産458,123百万円のうち有形固定資産は190,561百万円、無形資産は208,301百万円で、うち顧客に係る無形資産が203,900百万円を占める。引き受けた負債130,412百万円を差し引いた純額327,711百万円と支払対価の差から、のれん310,401百万円が生じた。

背景

大陽日酸は2014年5月に定めた長期経営ビジョンで、売上収益1兆円、営業利益率10%、ROCE10%以上、海外売上収益比率50%以上の実現を掲げていた。取得を終えた2019年3月期の実績は売上収益7,403億円、コア営業利益658億円、海外売上収益比率47.9%で、いずれも目標には届いていない。有価証券報告書は、業界再編が進むなかでグローバル競争力を高め確固たる地位を確立するために、本買収がビジョンの実現へ大きく前進する手段となり、戦略的な意義を併せ持つ絶好の投資機会と捉えた、と記している。欧州の産業ガス市場は北米に次いで大きく競争環境も安定しており、未参入であった当該地域で一定シェアの事業を獲得できる点を理由に挙げる。

内容

取得したのはドイツ・スペイン・ポルトガル・イタリアなど9か国の産業ガス事業、英国・アイルランドなど4か国の炭酸ガス事業、およびヘリウムに関連する事業である。被取得企業はPraxair Espana S.L.U.ほか36社で、連結子会社Nippon Gases Euro-Holdingらが現金を対価に株式を取得した。議決権付資本持分は主として100.0%。連結損益計算書には取得日以降の売上収益55,101百万円と当期利益6,167百万円が含まれる。同じ期の2019年2月27日には、米国でLinde AGの子会社からHyCO事業の一部と関連資産を46,133百万円で譲り受けている。

含意

有利子負債は2018年3月期末の321,066百万円から2019年3月期末に1,000,131百万円へ3.1倍に膨らみ、総資産は931,047百万円から1,771,015百万円へ倍増した。買収資金は大部分を変動金利の借入とハイブリッドファイナンスで調達しており、有価証券報告書は金利変動の影響を受けうる点をリスクに挙げている。IFRSではのれんを償却しないため、310,401百万円は毎期の減損テストにさらされ続ける。取得は日本・米国・欧州・アジア・オセアニアの4極体制を確立させ、欧州ガス事業は最初の通期である2020年3月期に売上収益165,564百万円・セグメント利益24,854百万円を計上した。

いつ何が起きたか 6件
考察:空白を埋めた買収と、負ったものの重さ
考察

考察:空白を埋めた買収と、負ったものの重さ

この決断の核心は、自力では届かなかった欧州という空白を、一度の取引で埋めた点にある。産業ガスは消費地の近くに拠点を開設する面の商売であり、地盤のない地域へ後から入るのは難しい。欧州の産業ガス市場は北米に次いで大きく、競争環境も安定していた。未参入であった当該地域で一定シェアの事業を獲得することでグローバル化を大きく進める、という理由づけは、地域網こそが競争力だという事業の本質を踏まえたものである。受け入れた無形資産208,301百万円のうち203,900百万円が顧客に係る無形資産であったことは、買ったものが設備ではなく既存の顧客基盤であったことを数字の側から示している。

もっとも、空白を埋めた対価は軽くない。有利子負債は1年で321,066百万円から1,000,131百万円へ膨らみ、有価証券報告書はこの調達の大部分が変動金利の借入とハイブリッドファイナンスであることを金利変動リスクとして記し続けている。のれん310,401百万円はIFRSのため償却されないが、その分だけ減損の一撃を将来へ残す。欧州ガス事業のセグメント利益率は2020年3月期の15.0%から2024年3月期の17.6%へ上がり、有利子負債も890,258百万円まで戻した。買った事業の採算は確かめられつつあるが、のれんを抱えたまま次の投資余力をどう作るかは、なお残る問いである。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
数字で見る 3表

数字で見る

図と表

日本酸素HD:のれんと無形資産の推移

のれん(百万円)無形資産(百万円)
日本酸素HD:のれんと無形資産の推移
(百万円) のれん無形資産総資産 備考
2015年3月期 68,78925,907782,860 IFRS移行日である2015年4月1日時点の数値
2016年3月期 81,17922,827787,505
2017年3月期 123,60251,305924,281 IFRSを適用した最初の期
2018年3月期 119,22144,932931,047
2019年3月期 437,722253,8971,771,015 欧州事業で310,401、HyCO事業で7,185のれんが増えた
2020年3月期 419,290232,0771,751,732
2021年3月期 455,036237,7511,836,294
2022年3月期 485,190241,3201,977,026
2023年3月期 513,685242,3342,158,950
2024年3月期 575,809252,3482,409,083
出所:大陽日酸/日本酸素ホールディングス 有価証券報告書 第11期〜第20期(連結財政状態計算書)。IFRSではのれんと無形資産を区分して掲記する
出所:大陽日酸/日本酸素ホールディングス 有価証券報告書 第11期〜第20期(連結財政状態計算書)。IFRSではのれんと無形資産を区分して掲記する

日本酸素HD:欧州ガス事業の推移

売上収益(百万円)セグメント利益率(%)
日本酸素HD:欧州ガス事業の推移
(百万円) 売上収益セグメント利益減価償却費減損損失 備考
2019年3月期 55,1016,5678,8550 取得日以降の約4か月分。取得関連費用2,695は調整額に含まれ、当セグメントから除かれている
2020年3月期 165,56424,85427,7320 連結した最初の通期
2021年3月期 160,03521,01528,9620
2022年3月期 209,77826,30331,7360 報告セグメントの名称を欧州ガス事業から欧州へ改めた期
2023年3月期 272,88834,90435,0612,138
2024年3月期 302,47753,25938,889954
出所:大陽日酸/日本酸素ホールディングス 有価証券報告書 第15期〜第20期(セグメント情報)。売上収益は外部顧客への売上収益、セグメント利益は営業利益から非経常的な要因による損益を除いたコア営業利益
出所:大陽日酸/日本酸素ホールディングス 有価証券報告書 第15期〜第20期(セグメント情報)。売上収益は外部顧客への売上収益、セグメント利益は営業利益から非経常的な要因による損益を除いたコア営業利益

買収の条件

買収の条件
科目 概要 備考
被取得企業 Praxair Espana S.L.U.、他36社 米国Praxair, Inc.の欧州事業を運営する法人
対象事業 産業ガス・炭酸ガス・ヘリウム 産業ガスはドイツ・スペインなど9か国、炭酸ガスは英国など4か国で展開
株式売買契約の締結日 2018年7月5日 相手方は米国Praxair, Inc.
取得日 2018年12月3日 連結損益計算書への取り込みは取得日以降の約4か月分
支配の獲得方法 現金を対価とする株式取得 連結子会社Nippon Gases Euro-Holding S.L.U.等が取得した
取得した議決権付資本持分 主として100.0%
支払対価 635,847百万円 全額が現金
取得関連費用 6,722百万円 販売費及び一般管理費に2,695百万円、金融費用に548百万円を計上
取得資産合計 458,123百万円 有形固定資産190,561百万円、無形資産208,301百万円を含む
顧客に係る無形資産 203,900百万円 無形資産208,301百万円の大部分を占める
引受負債合計 130,412百万円 繰延税金負債72,444百万円を含む
取得資産及び引受負債(純額) 327,711百万円 非支配持分は2,265百万円
のれん 310,401百万円 IFRSのため償却しない。税務上は損金算入不能
ベーシス・アジャストメント 3,791百万円 為替予約のヘッジ手段の公正価値を調整し、のれん当初認識額が同額増加
取得日以降の売上収益 55,101百万円 同じ期間の当期利益は6,167百万円
通期換算した売上収益 857,543百万円 期首に結合したと仮定した概算額。当期利益は53,761百万円
結合の理由 未参入だった欧州での事業獲得 長期経営ビジョンの海外売上収益比率50%以上の実現へ向けた手段と位置づけ
出所:大陽日酸 有価証券報告書 第15期(2019年3月期)【経営上の重要な契約等】/連結財務諸表注記「5.企業結合」
出所:大陽日酸 有価証券報告書 第15期(2019年3月期)【経営上の重要な契約等】/連結財務諸表注記「5.企業結合」
参考文献

参考文献

参考
  • 大陽日酸 有価証券報告書「第15期(2019年3月期)【経営上の重要な契約等】/連結財務諸表注記「5.企業結合」」
  • 大陽日酸 有価証券報告書「第15期(2019年3月期)【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】」
  • 大陽日酸/日本酸素ホールディングス 有価証券報告書「第11期〜第20期(連結財政状態計算書)」
  • 大陽日酸/日本酸素ホールディングス 有価証券報告書「第15期〜第20期(セグメント情報)」
  • 日本酸素ホールディングス 有価証券報告書「第20期(2024年3月期)【事業等のリスク】」
  • 日本酸素ホールディングス 統合報告書「Integrated Report 2025」

次に読む決断

免責事項およびポリシー