日本酸素HD の歴代社長

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2006年2010年2020年2026年

松枝寛祐退任

2006年社長就任

代表取締役・取締役社長

川口恭史退任

2010年社長就任

代表取締役・取締役社長

田邉信司退任

2012年社長就任

2009年取締役代表取締役・取締役社長

市原裕史郎退任

2014年社長就任

2010年取締役代表取締役社長CEO

濱田敏彦現任

2021年社長就任

2014年取締役2020年執行役員代表取締役社長CEO
創業社長の関係
創業

1910年10月、工作機械の輸入商だった山口武彦氏が、日本銀行副総裁の高橋是清氏の後援を得て資本金5万円の日本酸素合資会社を東京・京橋に興した。ドイツから持ち帰った酸素熔接の技術が出発点である。1918年に株式会社へ改組し、1937年に日本理化工業、1955年に日本酸素へ戻した。創業家出身の社長は名簿では確認できない。

社長登用の傾向
登用

2006年以降の5代のうち4代は日本酸素の生え抜きで、入社から社長就任まで36年から41年を要している。例外は2010年6月就任の川口恭史氏で、1976年に三菱化成工業へ入社したのち1981年に大陽酸素へ移り、大陽東洋酸素の社長を経て、2004年10月の合併で副社長として合流した相手方のトップである。

社長任期の傾向
任期

最も長いのは市原裕史郎氏の7年で、2014年11月の三菱ケミカルホールディングスによる公開買付と2018年12月の欧州プラクスエア事業の取得をまたいだ。直近3代は2年8か月・7年・就任5年目である。案件の重い局面ほど任期が延び、移行を終えた代は短く交代しているように見える。

いまの体制への含意
含意

上場を保ったまま三菱ケミカルホールディングスの連結子会社であり、資本の親と独立した取締役会が併存する。社長は生え抜きから出るが、合併相手方の社長を承継の列へ入れた例が一度ある。海外を歩いた経歴が要件に加わり、濱田敏彦氏は米マチソン・トライガスと日酸TANAKAの経営を経て就いた。

氏名 社長在任期間 退任年は推定 在任年数 推定状況出自役職在任中の決断施策
松枝寛祐(2006年就任)2006〜2010年2006年就任4年退任生え抜き代表取締役・取締役社長
川口恭史(2010年就任)2010〜2012年2010年就任2年退任代表取締役・取締役社長
田邉信司(2012年就任)2012〜2014年2012年就任2年退任生え抜き代表取締役・取締役社長
市原裕史郎(2014年就任)2014〜2021年2014年就任7年退任生え抜き代表取締役社長CEO決断2018年プラクスエア欧州事業の取得
濱田敏彦(2021年就任)2021年〜現任2021年就任6年現任生え抜き代表取締役社長CEO1981年4月に日本酸素へ入社した。2002年7月に米国のマチソン・トライガス社でエグゼクティブ・バイスプレジデント、2006年4月に半導体ガス事業部長を務めた。同社は1983年3月に買収した特殊ガス事業を母体とし、1999年7月の合併で生まれた米国拠点である。2014年6月に日酸TANAKAへ移り、2016年6月に専務取締役、2017年6月に代表取締役社長へ就任した。2020年6月に取締役副社長執行役員として本体へ戻った。

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