ユニー サークルケイ・ジャパン設立 専業会社を立てる形をとったコンビニエンスストア事業への参入

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時期 1984年1月
論点 大型店規制下での出店手段と第二の収益源
何をなぜ決めたか
概要

1984年1月、ユニーがコンビニエンスストアのサークルケイ・ジャパン株式会社を設立し、総合スーパーとは別の会社でコンビニ事業を始めた経営判断。

背景

1974年3月施行の大規模小売店舗法は売場面積で大型店の出店を規制し、1979年5月施行の改正でさらに強化された。規制の枠に入らない小型店の展開を有力な大手スーパーが目指す動きが業界に広がり、セブン-イレブンは1980年に1,000店、1983年に2,000店を超えていた。

内容

参入は本体ではなく別会社に委ねた。ほていやが販売会社を地域ごとに設け、ユニーがユーストアやさが美を別に立てたのと同じやり方で、新しい業態も独立した会社に委ねている。

含意

この事業は後年、売上では総合小売業の4分の1でありながら利益では本体を上回る規模に育った。2012年2月期のセグメント利益は総合小売業181億円に対しコンビニエンスストア203億円である。

いつ何が起きたか 6件
筆者の見解
筆者の見解

規制への迂回が、結果として本業を上回った

1984年の参入は、新しい市場を開拓するという性格の判断ではなかった。セブン-イレブンはすでに2,000店を超え、ローソンもファミリーマートも動いており、市場の形はできあがっていた。ユニーが動いた理由は、主力である大型店の出店が規制で詰まったことにある。

判断として独自だったのは、参入するかどうかではなく、どこに置くかであった。本体の一部門ではなく別会社に委ねた設計は、フランチャイズチェーンという別の商売を別の会社が運営することを可能にした。ただし同じ設計が、後年には距離にもなる。加盟店との契約もエリアフランチャイズとの関係も本体からは遠く、2004年の合併後に加盟店の離反が続いたとき、親会社の側から手を打つ余地は限られていた。売上の4分の1で本体を超える利益を上げる事業を持ちながら、ユニーがその事業をどう扱うかを最後まで決めきれなかったことは、この置き方と無関係ではない。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

業績の推移
同じ問いに直面した会社

同じ問いに直面した会社

販路の転換1984年ポーラ・オルビスホールディングス通信販売の専業会社を別に立てることによる、販路の二本柱化チャネル戦略とブランド構成
1984年第一勧業銀行都市銀行初となる消費者金融専門会社の設立と、取引先企業との提携ローンの導入個人向け無担保融資への参入
1982年山崎製パン自前のコンビニ網の構築による小売チャネルの内製化販路の自前化と小売業態の保有
1981年伊藤園無糖のウーロン飲料という新市場の開拓と、飲料業界への進出主力事業の季節変動と新規事業
1979年大王製紙ティシューペーパーを起点とした紙おむつ・ナプキンへの品目拡大家庭紙への参入と販路の構築
隣接領域への展開2000年アスクルインターネット受注に絞った法人向け販売モデルの確立EC受注チャネルの確立と物流網の統合
1959年YKK余ったアルミ合金の使い道として選んだ新分野への進出ファスナー専業を続けるか、自社で余るアルミ合金を別の製品に振り向けるか
1953年岩谷産業家庭用LPガスを全国へ届ける流通体制の構築と販売の転換事業領域の転換と流通網構築
2022年ライフネット生命保険業務提携を足がかりとした団体信用生命保険事業への参入販売チャネルの多重化と収益構造
2000年損害保険ジャパン生保営業職員を通じた損害保険販売という新たな販路の獲得自由化下の販売チャネルと生損保の相互乗り入れ
参考文献
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 証券アナリストジャーナル 1978年16巻1号(西川俊男社長講演)
  • 日本産業史 第3巻 金融・商業(日本経済新聞社、1994年)「流通-コンビニエンスストアの台頭」
  • 日本産業史 第3巻 金融・商業(日本経済新聞社、1994年)「流通-急成長した総合スーパ」

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