アスクル、インターネット受注による法人向けBtoB EC先駆モデルの確立
ファクス受注中心だった中小事業所向け通販は、いかにしてBtoB EC先駆モデルへ育っていったか
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- 概要
- 1993年にプラス株式会社の社内ベンチャーとして始まったアスクルは、1997年のインターネット受注開始を経て、1999年から2000年にかけて中小事業所向けオフィス用品通販のBtoB EC先駆企業としての評価を確立し、2000年11月にJASDAQ市場へ株式を上場した経営判断。
- 背景
- 大手企業向け販売網を持つコクヨなど既存の文具流通に対し、中小事業所向けの購買代行という空白市場を狙い、電話・ファクス中心だった受注をインターネットへ広げる一方、既存の文具店との摩擦や親会社プラスとの軋轢を抱えながら成長した。
- 内容
- エージェント制度・CRM・DCM(需要連鎖管理)・データマイニングを組み合わせ、顧客の要望を製品開発や在庫管理へ直結させる情報プラットホームを構築し、1997年のインターネット受注開始後は当日配送やアイランド方式のピッキングなど物流面の革新も併せて進めた。
- 含意
- 岩田彰一郎社長自身が「IT先進企業を目指していたわけではない」と語ったように、成長を支えたのは技術そのものではなく顧客の声を経営へ直結させる仕組みであり、これが後年、EC先駆者という評価が生んだ過大な期待とのずれの一因にもなった。
顧客志向の徹底とEC先駆者評価の代償
この経営判断の核心は、インターネットという技術そのものではなく、顧客の要望を経営の中枢に取り込む仕組みを先に作り、その実現手段としてITを選んだ点にあるとみることができる。文具業界の秩序を守る側からすれば異端であった他社製品の取り扱いや値下げも、岩田社長にとっては顧客に忠実であろうとする原則の帰結であり、技術の新しさよりも顧客志向の徹底こそが急成長の推進力であったとみられる。
もっとも、この成功はメディアを通じて「EC先駆者」という単純な物語に集約されやすい面も持ち合わせていた。実際の事業の骨格は、エージェント網や物流センターといった地道な運用の積み重ねに支えられており、ネット受注はその一部にすぎなかった。急成長を支えた実態と、外部から与えられた「ネット時代の旗手」という像との差は、株式上場後の株価をめぐる評価のなかで、まもなく表面化した。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
プラス社内ベンチャーとしての出発と「社会最適」モデル
1993年3月、文具メーカーのプラス株式会社は社内に「アスクル事業部」を設け、中小事業所向けのオフィス用品カタログ通信販売を始めた。文具最大手のコクヨが大企業向けの直接販売や量販店経由の流通を主戦場とするなか、プラスは中小事業所にも大企業並みの調達サービスを提供する事業を選んだ。責任者に就いたのは、ライオン油脂(現ライオン)で消費財マーケティングを13年手がけたのち1986年にプラスへ移った岩田彰一郎氏であった[1]。
発想の核は、丸の内の丸ビルに出入りする文具店三十六社・トラック七十二台の配送を一本化すれば二台で済むという「社会最適」の発想にあった。プラス社長・今泉嘉久氏は問屋出身の同社が抱える構造的な限界を見据え、1990年に「ブルースカイ委員会」を設けて次の流通のあり方を検討させ、二年の議論を経てアスクルの原型となる事業案をまとめた[2]。
他社製品の取り扱いと値下げが生んだ文具店との摩擦
アスクルは当初、プラス製品がカタログの九五%を占める形で扱っていたが、「プラス製品以外も欲しい」という顧客の声を受け、1994年から他社製品の取り扱いを始めた。1995年9月には価格を三〜四割引き下げる方針にも踏み切り、これがのちの急成長の最大の要因となった一方、プラス社内では一年に及ぶ激論を招き、文具店の側からはプラス製品の不買運動にまで発展した[3]。
社長の今泉嘉久氏は全国の支店長とともに文具店を巡り関係修復に努め、副社長の今泉公二氏は「どうしようもなくなったら、みんなでプラスの総合カタログを持って、お客様のもとを直接訪ねよう」と社内の結束を呼びかけた。1997年5月にアスクルをプラスから独立させた背景には、こうした摩擦を和らげる狙いも含まれていた[4]。
決断
エージェント制度とインターネット受注の組み合わせ
1997年3月、アスクルはインターネットによる受注を開始した。当時の日本でインターネット経由の企業間取引を軸に据えた通販事業は珍しく、電話・ファクスが主体だった受注をネットへ広げる決断は、日本国内のBtoB電子商取引の先行事例の一つとなった。同時に、顧客開拓や代金回収をエージェント(提携文具店)に委ね、カタログ制作・受注・配送・広告をアスクル本部が担うという機能分担の徹底により、少人数の本部で大量の取引をさばく体制を築いた[5]。
岩田社長は、顧客とアスクルの間に約1460社(2000年5月時点)のエージェントを置き、アスクル本部はカタログ作成・受注・配送・広告宣伝に特化するという役割分担について、証券アナリスト向けの講演で「機能主義を徹底し、効率的な流通システムを実現している」と説明した。あわせて、顧客の問い合わせから得た情報をメーカーへ還元するマーケティング・パートナーシップも敷き、2000年5月時点で仕入先は288社に達した[6]。
「起承転結」の分析枠組みに基づくeビジネスモデルの確立
2000年4月、週刊東洋経済のeビジネス特集は、アスクルの成長を「起・承・転・結」という枠組みで分析し、先行事例として紹介した。岩田社長は「顧客の要望を突き詰めたらインターネットの世界があった」と語り、通販で扱う商品を1995年に他社製品へ広げた判断についても「初めは顧客を説得しようとしたが、それでは注文が来なくなり、結局は思い切って他社製品も扱った」と振り返った[7]。
同誌はまた、既存チャネルとの摩擦(チャネル・コンフリクト)を乗り越えた例としてもアスクルを取り上げ、既存の文具ディーラー網とは別に顧客直結のカタログ通販チャネルを設け、ディーラーには顧客開拓と代金回収を担わせる役割分担で新旧チャネルの摩擦を和らげたと分析した。導入当初は反発が強く、文具流通業界の協会長を務めていた文具ディーラーの経営者がアスクルの顧客開拓を担った経緯から辞任に追い込まれる事態も生じたが、その後は沈静化していった[8]。
結果
急成長の実績とJASDAQ上場
急成長は数字にも表れた。1999年5月期の売上高は前期の二倍強に当たる226億円、経常利益は同じく三倍近い8億2000万円に達し、2000年5月期には売上高471億28百万円(前期比208.4%)、経常利益13億92百万円(同169.8%)、当期純利益7億1百万円(同147.4%)を計上した。登録顧客数も事業開始当初の目標だった100万事業所を突破し、106万事業所に達した[9]。
2000年11月21日、アスクルは株式の店頭(JASDAQ)市場に公開を果たした。岩田社長は講演で、調達した資金を物流拠点の拡充とIT整備の充実に充て事業基盤の強化と業績拡大の原動力にしていく考えを示し、社外取締役の招聘などコーポレート・ガバナンスの整備にも着手する方針を述べた[10]。
「ITは道具」という評価と情報投資の実態
2000年10月、日経ビジネスは日経コンピュータとの合同企画「IT経営の光と影」の第一回でアスクルを取り上げ、コールセンターに毎日7000〜8000件寄せられる問い合わせやクレームをデータベースに蓄積し、松下電器産業やネスレ日本など約30社のパートナー企業と共有して製品改良に役立てている実態を紹介した。目的を明確にしたうえでITを活用する先進企業の代表例として、外食のグローバルダイニング、アサヒビールと並んで挙げられた[11]。
岩田社長自身は同誌の取材に対し「もともとIT先進企業を目指していたわけではない」と語り、事業が軌道に乗り始めた二年目から「お客様は何とわがままなことか」と感じるようになったと打ち明けた。顧客情報を経営の根幹に据え、それをITで徹底活用するという発想は、技術先行ではなく現場の要望への対応から生まれたものであった[12]。
- 証券アナリストジャーナル38巻12号「アスクル」(岩田彰一郎氏講演, 日本証券アナリスト協会, 2000年12月)
- 日経ビジネス 1999年12月20日・27日合併号「"e組織"で大企業を撃破 松井証券、アスクルが極めた勝利の方程式」
- 日経ビジネス 2000年10月2日号「先進事例3社「ITはあくまで道具」目的は明快に、システムは簡潔に」
- 日経ビジネス 2001年1月22日号「愚直で熱い「顧客第一主義」の教祖 岩田彰一郎 アスクル社長」
- 週刊東洋経済 2000年4月1日号「[特集]最新eビジネス 勝利の手法 実践教室 賢いe企業の作り方」
- 週刊東洋経済 2000年4月1日号「[特集]最新eビジネス 勝利の手法 チャネル・コンフリクトの誤解」
- 週刊東洋経済 2001年1月27日号「[特集]「価格創造」への挑戦 流通構造を「破壊」できるか」
- アスクル 有価証券報告書【沿革】